ブッククラブニュース
平成20年2月分

一日は24時間である

甲府は、大寒からずっとマイナスの日が続いています。温暖化と言われていたので暖冬になるかと思いきや一転して厳冬。降雪が稀な甲府も何回か雪が降っています。
今年は灯油が高いので、我が家は夜の暖房の規制があり、夜行性動物の私はコタツで丸くなる猫になってしまいました。
さて、一月号ニュースで、「戌子」の年は「茂りすぎた樹木を切り払って抑制が始まるとき」という易学の話を書きましたが、すぐにその現象が出始めて、経済も政治も「減速」が始まりました。「豊かさ」を維持していた時代へはもう戻れないというところまできています。易もバカにしたもんじゃないですね。ちゃんと当る。
でも、一般庶民はなかなか頭の切り替えができません。まだまだ豊かさ前提の忙しい生活から抜け出してはいませんよね。このことは国をリードする人たちの頭が変わっていないところに原因があるんでしょうけど。
「カネをできるだけ大きく蓄積すれば世の中が自分の思い通りになり、幸せをつかむことができる」という勘違いが、上から下までまかり通っています。
でも、減速していけばだんだん分かるでしょう。学歴や投機ではカネがつかめないことも分かってくると思います。「豊かさ」も「自由」もコントロールできなければゴミの山と身勝手を増やすだけ。子どもを育てることの意味も変わってくると思います。
最近、「忙しくて読み聞かせが毎日できない」とか「一日が飛ぶように過ぎていく」というお便りが増えています。複雑でスピードアップした世の中では、家庭生活も子育てもなかなか余裕のあるものにはならないことは重々承知していますが、でも、なんとかゆったりしたものに切り替えないと大変です。
小学生の子どもたちに話を聞いても「一週間が速く過ぎる」という言葉が戻ってきます。私が小学生・中学生の頃は毎日毎日がとても長いものでした。どうして、こんなにあわただしくなったか、その答えは「欲である」と作家エンデが「モモ」の中で言っていますが、たしかにその通り。昔は大人も「カネをできるだけ大きく蓄積すれば世の中が自分の思い通りになり、幸せをつかむことができる」という欲を持っていませんでした。
 どういうわけか、カネと余裕は反比例するもののようです。大昔、洗濯機や車や冷蔵庫が「人間の余裕を生み出す」と宣伝されていた時代がありました。まったくの大ウソでした。便利なものが増えれば増えるほど人から時間が奪われていったのです。「移動」に費やされる無意味な時間がひじょうに多くなったとも言われています。一日は24時間。どこかを増やせば、どこかが削られる。
 最近始まった「減速」は一時的なものではないようです。また、減速しないと国が滅ぶこともあります。減速の時代に適した余裕ある家庭生活にしたいですね。このままでは次の時代を生きられる子どもが育ちません。

(20年2月ニュースの一部閲覧)

ここまで来ましたか!

寒い冬になりました。中学受験でがんばっているお子さんもいるかもしれません。風邪など引いていませんか? まだ春が来るには早く、冬は続きます。
 さて、毒入りギョーザや石油高騰で明けた今年ですが、私が一番深く考えたニュースは、杉並の公立中学校が塾に委託した補習授業をする、というものでした。受けた子どもたちのインタビューもありました。口々に「楽しい授業でわかりやすかった」と答えていました。民間出身の校長の話では、この方式は「親のニーズに応えたもの」なのらしいのです。
昨年、山梨県でも大手の塾の講師が公立学校の研修会で先生たちに教え方を手ほどきにしたことがありました。インタビューに答えた先生は異口同音に「参考になった」と言っていましたが、杉並はすでに塾の教師が学校に入り込む形でスタートしているわけです。「ここまで来たか!」という感がありました。
私が新聞記事を読んで危惧したのは、補習を受けた子たちの言葉の裏には「学校の先生なんかダメだ!」という気持ちが生まれていないか、ということです。さらに山梨の研修会のばあいでも「いったい塾の教え方の何が参考になったのだろう?」という疑問は出なかったのか、ということです。
「学校は成績ばかりを追い求めるところではない」と主張する先生はいなかったのでしょうか。これでは、学校の先生のプライドはなくなったも同然ですよね。
学校が追い求め、親も追い求めてきた偏差値の高さ。でも、学校は塾とは違って、教科限定の勉強のほかにある重要なことも教える場になっていたはずです。ところが、その誇りを学校自体が捨ててしまっているように思えます。もし、受験テクニックだけを教えることが教育なら、そりゃ塾には勝てません。塾は企業ですから、なりふり構わずに何でもします。だから杉並の中学も企業人だった校長が成果主義や競争原理で学校を運営するのも当然のことだったのかもしれません。同じ穴のムジナといったところでしょうか。
でも、市場原理を入れていいものもあれば、入れてはいけないものもあることに、まだ多くの人が敏感になっていません。学校の先生が誇りを失ったら、学校の運営は難しくなるでしょう。ところが、おどろくことに、これからは学校「運営」ではなく、学校「経営」と名も変わるそうです。事態はここまで来ているのです。まだ、地方では公立学校が塾に頼るところまでは来ていませんが、受験型にシフトしている高校は増えています。
背後には、受験勉強をしないで大学に入ってしまう高校生が3割もいて、大学生でには、まったく授業に関心のない学生が5割もいるというのです。先生が教える誇りを失えば、生徒も生徒としての誇りを持てなくなるでしょう。誇りが持てなくなったときに人間はほんとうにダメなものになってしまうのですが・・・・。

(平成20年2月新聞一部閲覧)