ブッククラブニュース
平成20年7月一部掲載追加分

読み聞かせの周辺B1歳後半の子


●1歳後半〜2歳●

▼ どんなに遅くとも1歳半を過ぎれば、絵本をおもちゃとして取り扱うような子はいなくなります。読み聞かせによってお母さんやお父さんと接することができる快感を知った子が、その絵本を大事にしないわけが  ないからです。
さらに、この時期は大脳の旧皮質が完成に向かう時期で、「自分が存在する位置」の認識が始まる時期でもあります。何に属しているのか、自分は肯定(愛)されているのか、などの認識が高まりますから、とても大切な時期です。むずかしくいえば「人間の存在の意味を無意識に確認する」時期であり、かんたんに言えば「相手をしてもらいたい」時期です。
前回述べたように、旧皮質は2歳半で発達がとまってしまいますから、この間の保育環境はとても大事です。旧皮質は文字通り下等動物に存在する進化の上では古い組織らしいのですが近年の研究では「自己肯定感」や「結びつき・つながり」を意識する重要な時期だといわれています。
「本、読んで!」と持ってきたら、「今、手が離せないから後でね。」はやめて、できるかぎり対応してくださいね。かかわりがとても大切なのです。絵本の内容もさることながら、どうかかわってくれるか、どう対応してくれるかを子どもは見ています。

▼ 1歳半では動作絵本(こぐまちゃんS)や感覚絵本(もこもこもこ)などが入ります。動作はいっしょにやってみると乗ってきます。感覚絵本も工夫して、その感覚を表現することをしてもおもしろいでしょうね。例えば、「もこもこもこ」でシーツなどをかぶってモコモコ、ニョキ!なんてパフォーマンスは喜びます。「ぎっこんばったんくるりんこん」などはフトンや椅子などをシーソー代わりにして遊ぶのもいいですね。この時期の子は、周囲の何でもおもちゃになります。特定のおもちゃらしいおもちゃよりは、生活用具すべてを自分の思ったものに見立てて使うことができる能力が発達しはじめるからです。用途が限定されたおもちゃは逆に想像の力をそいでしまいますね。これに対応した本は順次配本していきます。
▼ また、この時期には初期の探し物ができるようになります。配本では、「きんぎょがにげた」や「たべたのだあれ」などが入りますが、この程度の探しものなら何回か読むうちに「ここ!」と言うようになるでしょう。頭の中では物事や事物に関する知識がどんどん増えています。もちろん、表現言語(口で話せる言葉)は、まだ少ないのですが、頭で分かっている言語(理解言語)は1歳前半に比べて飛躍的に増えています。耳から入る言葉が理解言語として蓄積していく時期ですから、絵本を通していろいろなことを話してあげましょう。
● この時期の読み聞かせで重要なことは、なるべく静かで邪魔が入らない時間に読 み聞かせをしようという点だけです。個人差もありますが、だいたい、それまでに読んできた本を合わせて毎日数冊を読めば大丈夫です。気に入った本も出てくるでしょうし、新しい本ではなかなかとっつきにくい本もあります。そういう場合は読み聞かせる側が意図的に「とっつきにくい本」を一冊加えて読めばいいと思います。子どもというのはふしぎなもので、なれてくるとどんな本でも好きになります。どんな怖い本でも・・・・。だから回数ですね。読み聞かせる回数が多ければ多いほど好きになることでしょう。(ニュース一部閲覧追加分)

親や子がいる場所B「転移(てんい)」

◆シフトする◆

 転移」・・・シフトといったほうがわかりやすいかもしれない。ライト側にばかり打つ選手がバッターボックスに立ったとき守備を右寄りに固める・・・こんなのをシフトと言う。同じことが私たちの日常の中でも起こる。世の中が変化し始めると、変化に対して備えようと生き方や考え方などライフスタイルを転移させる現象だ。このシリーズの@市場(しじょう)やA陳腐化(ちんぷか)で起きた周囲の変化にどう対応するかが「転移=シフト」である。
でも、たいていは周囲と同じように転移するから自分でもそうなっていることに気がつかないことが多い。例えば、勝ち組になるために学歴が必要だという傾向が出てくると家庭は教育にシフトし始める。周囲がそうなるから、我が家もシフトするというだけのことだ。疑問や批判があってもなくても周囲のシフトの傾向に乗っていくのがふつうは安全策と考えるからである。2000年ごろケータイが普及し始めたときに疑問や批判をしていた人も2008年では当たり前のように使っているのと同じだ。教育にシフトすることによって未来の守備を固め、ケータイにシフトすることによって現在の絆を固めるという「転移」である。
ただ、自分で選択したシフトではないので守備しているつもりでもリアリティーが欠ける。うまく行っている間はいいが、世の中の変化が激しくなるとそうもいかなくなる。例えば教育にシフトしてかなりの確率でうまくいったのは1990年ごろまでだろう。破綻はいつも事件に現れるが、秋葉原の殺傷事件以前から、家庭が教育にシフトした結果、親が子どもから逆襲を食らった例はひんぱんに起きている。教育の成果が出なかった子が、リアリティのない心の成長過程でリアルすぎる現実(事件)を起こしてしまう例は枚挙のいとまがない。親も夢の中で起きたことのような気がして、これまたリアリティが持てない。あたりまえかもしれない。シフトが自分の意思でやったことではないのだから。世の中の流れに乗って生活を何かにシフトしていると、だんだん現実感がなくなり、現実は仮想になってしまう。

◆子どもの置かれる時間と空間◆

● 子どもは、いくらシフトされた家庭が嫌でも逃げ出すわけにはいかない。家庭外で生きる力がないから、しかたなく言うことを聞くわけである。思春期に反抗でもして自分なりに意識的なシフトができればいいが、管理教育と教育にシフトしきった家庭、息抜きのために遊んだサブカルチャーが三位一体で他への「転移」を許さない。選択肢などいくらでもあるのに子ども自身のなかで「試み」をする勇気が育たなくなっている。こういうものを乗り越える力は、きちんと遊んでいて、自分を認めてくれる家庭や環境があれば出てくるものだが、現代の教育シフト型家庭は「お勉強をしていれば何もしなくていい」わけだから大変である。自分の行き先はもう決まっていて、外れたらあとは何もないのだ。シフトは自分の意思で変えられるし、どんどん変えていってもかまわないのだが・・・ケータイが絆を作るという考えもいまや幻想となった。逆に絆は切れ始めている。しかし、シフトの呪縛は強く、子どもは固定した「転移=シフト」のなかで自分を失いつつ、大人への道を歩かざるをえなくなっている。こういう道を子どもたちがたどらないようにするには、どうしたらいいのだろうか。(新聞一部閲覧追加分)


(ニュース一部閲覧2008年7月号一部追加分)
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