ブッククラブニュース
平成21年2月号新聞一部閲覧

想像力ってなぁに?

 風邪・インフルエンザが猛威を振るっていますが、皆さんのお宅はウイルスを遮断できたでしょうか。まだかかっていなくても、あと一ヶ月は油断大敵です。一月に寄せられたお便りの中に「風邪を引いて寝ていると、読み聞かせの時間が多くなって絵本に親しむ時間が増えました」というものがいくつかありました。それはそれで良いことかもしれませんが、やはり健康は大切です。心も体も健康で生活しなければ、こういう時代は大変です。
 テレビも新聞も明るい話題がほとんどありません。私たちの子どものころは介護とか振り込め詐欺などという老人型のニュースや殺人事件は、こんなになかったように思います。老化が溢れる世界を生きる子どもたちは大変だなぁと思います。希望が持てる環境を作るのは大人の責任ですが、あらゆるものがそうではない方向に動いているようで悲しくなります。あまりにも相手のことを考えない事件や社会現象が多すぎますからね。

「おおはくちょうのそら」が語るもの


 娘たちが小さかったころの、ある冬の夜、「おおはくちょうのそら」(6歳で配本になります)という本を読み始めたことがあります。子どもの白鳥が病気に罹り、家族は北へ飛び立てないのです。親の白鳥は出発を遅らせて子どもを見守りますが、期限切れ…子どもの白鳥は?……という、お話ですが、思わず最後の場面を読んでいて声が震えてしまい、涙が止められなくなりました。聞いていた娘たちは私の様子を不審に思ったのでしょう。「白鳥のお父さんもお母さんも子どもを連れて行くよね。連れて行くよね。」と繰り返しました。
 私は、このとき娘たちがすでに結末を直感していて、悪い結末を回避するように「連れて行くよね」という希望を言葉にしたのではないかと思いました。それは子どもの白鳥への思いであり、親の白鳥への期待です。本の中のものに気持ちを投影できることは想像力の成果であり、読み聞かせの成果でもあります。このとき・・・漠然とですが、想像力とは「何かに対する思いなんだな」と感じたことを記憶しています。

大江健三郎が語る「想像力」


 それから十数年・・・今年一月のNHKの九時のニュースで作家の大江健三郎さんがインタビューを受けていました。キャスターは、「未曾有の不況」「派遣切り」などについてコメントを求めていたのですが、大江さんは「想像力がなくなっている」ということを言いました。そして「想像力とは、自分以外のことを考える力です」と付け加えたのです。たしかに今世界が直面している問題は環境問題も経済・教育・福祉の問題もすべて他を考える問題です。国益とか自社利益とか個の欲望では解決できません。さすが、世界の大江さんでした。分かりやすい! ところがです。このインタビュー映像は、ブツ切れに切れていました。言葉の前後関係や映像の切れ間の大江さんの口ぶりから想像すると、おそらく「想像力を奪っているのはメディアだ」という発言があったと思います。ところが、そういう部分をNHKは平気でカットします。NHKがカットすれば民放などご都合主義で作る映像ばかりですから、真実は見えなくなってきますよね。たしかに、想像力は奪われるわけで、テレビばっかり見ているといつかシッポが生えてきてしまうかもしれません。
 こういう点から見ると、子どもの想像力のほうがはるかに大人よりすぐれていて、希望や勇気も持っているような気がします。それをダメにしてしまう家庭や教育があるとすれば、そのほうが問題。もう百万回も言ってきましたが、ちゃれんじやくもんなどの早期教育、電子ゲームやアニメなどは子どもが想像力を芽生えさせる時期から、どんどん、その芽を奪い取るものです。でも、現代の親自身がもう早期教育や塾型学習で育っているわけで、おそらくこれから子どもを他の育て方で育てることはできないでしょう。想像力も育たないということです。でも、現実と戦わなければならなくなったとき、一番必要な力はこの想像力だと思うのです。想像力は現実を乗り越えるパワーなのですからね。ニンテンドーDSやアニメ映画ではとてもとても育てられる力ではありません。 想像力は自然の中で遊び、自由に周囲を見ることでついてくる能力です。相手のことを考えない大人が増えているということは、その幼少時代が想像力を形成できなかった貧しい環境があったということなのでしょう。子育ての方向を探るときに、ここはひとつ、この辺を深く考えなければならないでしょうね。とにかく、お勉強、お勉強、お稽古、お稽古できた子育てが、現代のような時代を作っているのですから、考えなくてはならないと思います。

感染爆発(パンデミック)


 次々とウイルス感染が広がっていく状態を「パンデミック」というそうです。コンピューター上の話ではなく鳥インフルエンザなど抗生物質が効かないウイルスが爆発的に増える状態です。私は英語が弱いので「感染爆発」という言葉を使いますが、グローバルになったために広がり方がハンパではないのだそうです。
 そういえば、私が若いころ、「人口爆発」という言葉がありました。中国は七億人だったのが爆発的に増えて十三億人、インドも、日本もどんどん増えた時代でした。
 その後の「感染爆発」・・・・人が多くなり、交流も盛んになればウイルスもどんどん伝染しますよね。でも、これは今度が初めてではありません。昔もスペイン風邪などというものも流行ったし、ペストではヨーロッパの人口が半減したとも言われています。増えれば減るような自然のリズムなのでしょう。カミユの「ペスト」を読むと人々が感染爆発に無頓着で無意識であることが書かれていて怖いのですが、人間の心はそう進歩していないので、また同じことを繰り返すかもしれません。 しかし、金融危機や恐慌もありましたが、日本人はある独特の世界観でしのいできました。昭和恐慌、戦後の混乱、オイルショック、バブルの終焉、この社会現象をうまくやり過ごす心構えがあったように思います。

無常ともののあわれ


 宗教学者の山折哲雄さんも「百年に一度とか金融破綻などと言っているが、特別な現象ではなく、よくある落ち込み・・・つまり世の無常だ」というのです。
 無常・・・高校の教科書で「もののあわれ」といっしょに教わった言葉ですが、たしかに「盛んだったものは必ず衰え、生きているものは死に、また生まれる・・・」そういう無常観で物を見る力が日本人にはありました。それで心を落ち着かせる余裕があったのでしょうね。
 ところが、最近はそういう感覚を日本人が失ってしまって、「いつまでも生きていたい」、「豊かさはずっと続く」、「便利なのが当然」になっているようです。ここでは、すべて夢いっぱい、自制も反省もなく欲をかくだけですから人間性が壊れていくのにも気がつきません。老人が心臓を入れ替えてまで生きようとする・・・異常です。 企業が自分の生き残りのために平気で社員を切るようになりました。これはおかしい。本末転倒ですよね。でも、昨年から増ページで書いているように市場原理の行き着く先のことなので当然かも。多くの人は「しかたがない」「唯々諾々とされるがまま」なのでしょう。周囲で「人間性」の否定が始まって、人を大事にする心が壊れ始めています。世界一競争をすれば空しさだけが残るわけで「もののあわれ」です。どうも、日本人が築いてきた感覚は、今回は作用しにくくなっているのかもしれません。戦後が長くて、アメリカ的な考え方の影響が大きくなったからでしょうね。

人と人との関係を見つめなおす


 このまま行くと人間性の壊れまで「感染爆発」しかねません。子どもを追い込んでいく教育も始まっていますし、精神病にしてしまうような文化や生活様式に漬けられている状況もあります。どこで気がつくか!爆発の前か、最中か、それとも後か・・・・感染爆発を防ぐ方法は原始的なマスクとかウガイや手洗いらしいのですが、人間性崩壊の感染爆発も、家族とか人の結びつきとか原始的な方法でしか防げないのかもしれません。その証拠に自分だけの生活を考えていた人、責任を持たないで楽に仕事をしようとしていた人、家族との絆が薄くなっている人が自殺や事件や切り捨てに遭っています。
 私は日常的な仕事として、毎日十数通のハガキや手紙をペンで書いています。遠い県外の会員もいますし、国外の会員もいます。データを転送するばあいはメールを使うことも多いですが、やはり下手な字でも挨拶は肉筆で書くと温かみが違います。また、来店のお客様とはお茶を飲みながら、かなりいろいろな話をします。人間と言うものは電気を媒体にした通信や交流では、真の意味でつながることはできないように思います。「車輪の下」を書いたヘルマンヘッセは世界中の読者から来た手紙に直筆ですべて返信をしたそうです。そういう気持ちがあったからこそ、「デミアン」「車輪の下」のような人間への強い思いを表した作品が書けたのでしょうね。テレビやネットが報道する話は、どこかが嘘臭いのは電気を伝わってくる情報だからかもしれません。人間性が企業によって否定され始めた時代です。「人と人との関係をまず温めないと!」と思う、風邪が流行るある冬の日でした。



(2009年2月号ニュース・新聞一部閲覧)

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