ブッククラブニュース
平成21年7月号新聞一部閲覧 追加分

サブカルチャーとどう向き合うか
B子どもは何をしているか?

タイムスが指摘した「消費者としての子ども」

 今年の1月21日付けのタイムスに子どもとネットの問題を論じた記事があるというので調べた。しかし、残念ながら購読は有料で、こちらの個人情報を入力してカードで支払わないと記事が読めないようになっていた。個人情報は大切なので、アナログ方式で読むことにした。何のことはない。ロンドン在住の会員にお願いしてコピーを送ってもらうという原始的な方法である。すべてを紹介するには私の英語力では無理があるので、重要な部分は英語に堪能な会員のお力を借りて訳した。なんだかすべてを会員に頼りきりという記事では、説得力がないかもしれないけれど、私は英語が出来ない人なので、どうかご容赦ください。
 まず、記事では英国の消費者協会の会長と大学教授の共著「子どもという消費者」という本が紹介されている。そこでは、「ウエブを販売手段とする企業が絶え間ない売込みを行い、子どもから個人情報を獲得することにやっきになっているから注意せよ!」という警告が発せられている。

子どもが過ごす一年間の時間割

 その警告の背後には、英国の子どもがどういう生活をしているかという問題が横たわっているという。 平均的な英国の子どもは一年のうち900時間を学校の教室で過ごし、1280時間を家庭で過ごす。ところが、家にいるとき一日5時間18分をテレビを見たり、コンピューターゲームをやったり、インターネットをしているというのである。これはものすごい時間で、私には信じられない数字だった。つまり年間2000時間はディスプレイ画面に向かっているという計算である。凄すぎる数字だ。
 日本人の子どもは学校での拘束時間が長いので、これほどコンピューターゲームやネットをする時間はないだろうが、中学・高校となるとケータイでインターネットができるから時間数は近づいているかもしれない。
 日本の親たちと同様に英国でも親たちはネットの一部のサイトが性的な情報を流して子どもたちに悪影響を与えていることには気がついている。しかし、ウエブ上で利益を得ようとしている企業がフィッシングもどきの広告を載せて、サイトにアクセスする子どもたちから個人情報を吐き出させようとやっきになっていることには関心が払われていないというのだ。

5時間18分の内訳

 子どもが画面に向かって過ごす5時間18分の内容はテレビ2時間36分、インターネット1時間18分、ゲーム1時間24分というものだが、当然これは平均で、ネット、ゲームにハマる子は比率が逆転していることだろう。親は、「時間を決めて」と考えるが、なかなかそれができないのもこれまた当然の理屈である。ここで著者たちは、「テレビはもうベビーシッターなどという単純なものではなく、子どもたちの成長に関わる重要な部分を占有してしまうものだ」と述べている。メディアは儲ける世界に子どもを組み込む装置となっていて、電子の世界で利益目的の宣伝に子どもたちを巧妙に誘い込んでいくものと化しているわけだ。「従来、子どもは家族や学校の仲間たちとの係わり合いで成長すると考えられてきたが、もはや現代ではそういう見方では子どもの発達を見ることができない」と言う。つまり、子どもの成長過程をかなりの比率で支配しているのは、電子的な媒体を持つ商業的な世界だというのである。それは逆に考えれば、十数年前には一般家庭では存在し得なかったハイテクの装置が現代の子ども部屋に備え付けられている光景となっていることを意味する。これは日本も同じである。しかし、日本の新聞はこういう批判記事を書かない。

売り手の取る方法を警戒しなくてはいけない

 子どもたちばかりでなく大人にも売り込む一番いい方法はとにかくブームを作ることだろう。何らかの技術を使ってブームを作り、関心をひきつけて無意識の状態で買わせてしまう方法を企業が仕組むわけだ。マイケル・ジャックソンが死ぬと、なんだかとんでもない偉大な芸術家だったようにメディアが吹き込む。無意識、無批判な購買層は並べられたCDに殺到する。どう見てもまともな生き方をしていたとは思えない芸能人なのに批判を許さないのがブームというものだ。とにかくサッカー選手にしてもタレントにしても企業にとっては稼ぐ商品である。裏で何をしていようと、稼げなくなるのを恐れるあまり、好意的に事件を誤魔化してしまうのがこれまたメディアの常だ。泥酔して素裸で暴れたタレント事件も丸く収まり、すぐに復帰する。淫行や暴行で警察に呼ばれたお笑いタレントが知事になる・・・この国は儲かればなんでもいいのである。それもこれも話題が大きければそれで十分ブームが広がると計算している。
 こういうことは芸能商品の売り込みだけでなく、食品や教育用品の世界まで行われる。ダイエットブームを作り、漢字検定ブームを作り、短期間で大量に売る・・・あとは野となれ山となれ・・・誰も読んでいない本が発売一週間で百万部を売るという不思議もまた同じである。評価などどちらでもいいわけで、内容とは無関係に売ることが先決なのだ。これもブームの仕掛け人がいるわけである。子どもたちはブームを作り出す名人でもある。その子どもを利用してブームを巻き起こす企業がある。企業の罠にハマるかハマらないか・・・これを家庭だけで防御するのは難しい。電子の時代は、人を騙す時代でもある。

発達に応じるということ
B幼児の図書館利用は・・・

1) 読み聞かせと「本」の関係

 ブッククラブにご参加いただくときに「ご挨拶」というものが同封されます。大量の資料といっしょなので読まれなかった方もいるかと思いますが、そこには「図書館などを利用して発達不適応の本を大量に与えるより、何度も何度も読んであげてください。配本はいずれ増えていきます。図書館を利用する暇があるなら、ぜひ外の世界で現物を触ったり見たり聞いたりする時間に当ててください。いっぺんに大量に与えるより何回も読み続けるようお願いします。」と書いてあります。配本で育てた方には分かっていることなのですが、図書館から本を借りてきて、読み聞かせをするというのはいくつかの問題があります。これから述べることは、絵本屋が売りたいために言うのではありません。私は図書館に幼児室というものがあるということがよく分からないのですが、これは読書を推進するのと別の理由があって設けられているような気がします。図書館に絵本が充実したのは近年のことです。学級崩壊が起きたから朝読書が始まったように、図書館に幼児対象の絵本が置かれるようになった背景には何かあるようなきがするのですが・・・・。

2) タダより高いものはない・・・!?

 まず、図書館では大量の本が借りられます。五冊、十冊はあたりまえ。十数冊を一回で借りられるところもあります。当然、これが何の指導や注意もなく貸し出されます。親や子の好き勝手、好みで・・・公共図書館にとっては利用率が命。黙認です。トーマス写真絵本を山のように借り出してもおそらく誰も何も言わないでしょう。そうすると子どもの瞬間的な好き嫌いで選んだ本や発達に不対応な本(親はグレードも内容も分からないので)を選んでしまうことが起きます。一回十冊、十日か二週間の間、まさに量攻めで、とっかえひっかえ読み聞かされたらどうなるでしょう。子どもはお母さんの肉声を待望していますから、それは聞くでしょうが、じつは右から左状態で何の成果も出ません。本をフラッシュカードのように使って何の得があるか。ないです。そんなことより一冊をていねいに何度も読み聞かせるほうが効果的なのです。その意味ではタダより高いものはないのでしょうね。数ではなく質なのです。

3) 多読の戒め

 1歳児は(これは5歳くらいまでそうですが)大量のものを詰め込むより、何度も読むことで内容を把握します。一度では無理です。これも絵本屋の手前勝手ではなく「幼児は所有することで内容も所有する」のです。配本体験のある方なら分かりますが、図書館派の親には、この単純な事実が分からないのです。図書館貸し出しが幼児においては弊害をもたらすこともありうる・・・・。幼児の多読は「本の体裁として知っている」だけの記憶を残すだけです。「ああ、それ知ってる!図書館にある。」・・・さびしい言葉ですね。幼児に多読は戒められるべきですが、図書館ボランティアや読み聞かせおばさまたちは「さあ、たくさん読んであげましょう!」です。知識攻め、量攻めのセンター入試世代の親へのキャッチフレーズとしては、いいかもしれませんが、やはり子どもには借りて・返すの繰り返しは害があります。「良い本なら大丈夫!」という人がいますが、それも成長や発達にあっていなければ意味がありません。子どもの読み聞かせ、読書を「多読にしないこと」が子どもに本を与えるコツのひとつだと思います。本を知っているだけではなく、中身を味わう読み聞かせや読書にしていきたいものです。



(2009年7月号ニュース・新聞一部閲覧 追加分)

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