ブッククラブニュース
平成22年8月号新聞一部閲覧

折り紙付きと札付き

 ブッククラブで最初に選書している本は、薮内正幸さんの「どうぶつのおやこ」である。この本はブッククラブが始まって以来ずっと入れている。つまり、この三十年でゆめやが売ったベストワンでもある。最初から始めたお子さんならどなたも持っている一冊だ。たいてい生後十ヶ月に入る配本である。この本は作者が意識してつくったかどうかは別としても、とにかく1歳前の子どもを平面にプリントしたものにひきつける仕掛けと力が十二分にある。だから私がこの本に付けた折り紙(品質・価値につけた保証の別表現/その逆は「札付き」)は、「生後十ヶ月限定対応の認識絵本」。この月齢の子どもの認識力と集中力を高める仕掛けがリアルな絵柄とページ設定に施されている優れた本である。
 動物描写では薮内さんの右に出る人はいない。六十歳という若さでお亡くなりになったが、生涯で描いた点数は膨大で、一万数千点に及ぶ。そんじょそこらに散らばるキャラクターアニメの動物なら一ヶ月で一万数千点くらい描けるだろうが、原画を見れば分るとおり、その緻密な筆さばき、彩色は一枚描くのに膨大な時間を要するような気がする。この原画が・・・山梨県北杜市に薮内美術館があるので、ぜひ見学に訪れてほしい。懐かしい「どうぶつのおやこ」の絵に対面できる。

カワイイとリアル

 で、7月19日午前0時10分からNHK総合テレビ(22日、BSハイビジョンで5:40pmの再放送)で、薮内正幸さんの仕事を軸にした番組が放映された。なんとSTARWARSのパロディ版で、現代の世相にもなっているカワイイ系キャラの絵に薮内さんのリアルな絵が「逆襲」するという展開だった。
 旭山動物園の売り場にあるカワイイ系動物グッズやキャラクター、ぬいぐるみ・・・これを見物客の中高生少女が「きゃあ、かわいい!」と評価?する。薮内さんの絵を見せても評価の声が上がらない。「なんだかダサい絵!」という表情。しかし、木の葉が落ちても可笑して笑ってしまう世代の少女は、なんでもかんでも「かわいい」「かわいい」だが、これでは頭スッカラカンのおバカ少女と思われてもしかたがないだろう。でも、成長すれば、そういうことが恥ずかしい記憶になればいいと思うが、40歳、50歳になっても「かわいい」の乗りでディズニーランド大好きおばさんになっていたり、クマのプーさんのぬいぐるみを車の中に山と飾っていたりするのを見ると、「この国の大人は子ども?」と思ってしまうこともある。

赤ちゃんとコウノトリの逆襲

 とにかく、いまや、この国はテレビ画面から各種イベントまでかわいいキャラクター、原色のユルキャラぬいぐるみが大手を振って歩いている。これではリアルな細密画、中間色の絵画などは絶滅状態だ。リアルな絵など見かけることも少なくなった。これではリアルの負けだ。完全に負けている状態である。
 ところがテレビ画面ではリアルが逆襲を始める。何と!ゆめやのブッククラブの会員の赤ちゃん二人が登場(使いまわしで私もチラっと登場!)・・・「どうぶつのおやこ」を読み聞かせが始まったのである。母親が開いたページで赤ちゃんたちは大きな反応を示していた。ヤッタぜ! リアルが勝利・・・赤ちゃんは正直なものだ。まだまだサブカルチャーに毒されてはいない。ま、あと何年かすればDSを与えられ、戦隊ものを見て、どう変わっていくかは保証できないが、少なくとも1歳児はきちんとリアルに反応している。
 とは言うものの、世の中は、まだまだユルキャラ、アニメの大氾濫・・・札付きのアニメ絵本も出回っている・・・危うしリアル・・・すると、カメラは、突然、コウノトリ復活で有名な豊岡市に飛ぶ・・・絶滅したコウノトリが復活した豊岡市では、コウノトリをキャラにして町おこしをしようと言うわけだ。巣作りを始めたコウノトリを囲む町の住人。
 だが、イベントではまたもやユルキャラのコウノトリの出現で、まだまだ「カワイイ」が勝っている。リアルの出番はないのか。リアルはどこに行ったのだ! 薮内さんの描いた幻のコウノトリはいずこ・・・・探すと、あった、あった!倉庫の片隅に・・・・ここでカメラは薮内さんのコウノトリの幻の絵を探し出したのだ。復活するか!リアル!・・・幼児たちも自然環境に興味を持ち始め・・・コウノトリは再び翼を広げて飛ぶというわけ。市営バスの横腹にも薮内さんが描いたコウノトリが大きく羽ばたいていた。子どもを運ぶコウノトリ・・・・こうなれば、少子化も乗り越えられそうである・・・これも薮内作品のリアルの勝利?・・・と、手に汗握る?20分間でした。
 しかし、テレビから現実に戻ると、この国では上は政治から下は社会生活まで浅薄な「札」が付きまくっている。「折り紙」付きのものを子どもに与えたり、生活の中に導入しようという動きは一部だけの話。「札付き」が増えれば、世の中は悪くなるが、儲けることばかり考える社会は、どこまで行っても札付きを出す。バーチャルな札付きは見た目の派手さ、浅薄な内容で子どもたちを悪くする。当然、大人も悪くする。派生語から考えても「折り紙付きの少年」という言葉はあるが「折り紙付きのおバカ少女」というのはない。「札付きのワル」という言葉はあるが「札付きの善人」という言葉はない。やはり折り紙付きのものは人間の品位も高めます。例え地味でも、例え流行っていないものでも、子どもは折り紙つきのもので育てたいです。

だんだん馬鹿になっていく

 最近の世の中を見ていると、「大人がどうしようもない」という感じだ。暑さのせいばかりではない。政治だけでなく、国民も国民でおかしい。相変わらずタレント候補が当選・・・多くの人は冷ややかに横目だろうが、実際に当選するということは投票する国民の側に馬鹿が多くなっているわけで、国も国なら民も民。なんで、みんな、こんなに馬鹿になっちゃったんだろ。どこを見てもいい大人がおかしいことをやっている。23歳の風俗嬢が遊び歩いて子ども二人を餓死させたことなど自分が大切を教えてきた教育の成果かもしれないが、これで母性愛というものがもともとあるものではないということもハッキリしたわけだ。人間は自由を与えられるとどんどん身勝手になって、子どもを洗濯機に入れて回すことまでする。まあ、こんな母親はともかく、教え子をレイプするという性的倒錯の教師や自宅に放火するという何も倫理的なものが育っていない中学生・・・上から下まで大馬鹿者の寄り集まりになっている。しかも、周囲の人は見て見ぬふり、際立った事件、事故もどんどん忘れられて、まったく困ったものだ。
 政治家たちが平気で約束を守らないように、この国はどこかで何かが狂ったとしか思えない。以前は、おかしい! 異常だ!という人がいた。いまはテレビでもそんなコメントが聞かれない。新聞でも見ない。誰もおかしいと思っていないのも狂っている。あらゆることをアルツハイマーのように次々と忘れていく社会?! まだ島根の女子大生の首切り事件は事件が終わっていないのだが、多くの人々は忘れてしまった。秋葉原も記憶の彼方。オウム真理教のことも「それって、いったい何の鳥?」・・・まあ、けっきょく「事件がたくさん起こりすぎてイチイチ覚えていられん」が大方のところだろう。それもこれも国も国民も年を取ってボケてきただけのことかもしれない。

マザーグースは語る

 そんなとき、思い出す詩がある。マザーグースの一節だ。
 「私が子どもであったころ私は知恵を持っていた それは ずいぶん前のこと それから毎日 日が過ぎて だけど賢くなりゃしない 長く生きれば生きるだけ 時が過ぎれば過ぎるだけ 私は馬鹿になっていく だんだん馬鹿になっていく」・・・・詩のタイトルは「私が子どもであったころ」。マザーグースというのは、童唄なのに、じつにたくさんのブラックユーモアを含んでいて、怖い予言のようなところがある。つまりは馬鹿になるということは齢を取りすぎたからだというわけだ。たしかに、子どもの感性は鋭く、細かなところによく目が行き、いろいろな角度から考えている。それが大人になると、経験と常識に縛られて何も考えない、何も見えない。あんなに世界のことをいろいろ考えて賢かったのに、いまじゃお金のことばかり。これでは馬鹿になっていくはずだ。たしかに、子どものころは物事に疑問を持てたし、純粋に「おかしいのじゃないかな?」と思えたものだ。それがどうしたことか、大人になると異常さを感じる前に現実を認めてしまう。年金もらいすぎの金満老人が自分の親の死を隠して親の年金もらっているというのも異常な話だが、こういうことに鈍感になっている私たちも実は馬鹿になっているのかもしれない。メディアによる鈍感。学校の勉強は私たちを賢くしてくれただろうか。因数分解できる力は、世界の骨組みを分解して見せてくれる力を私たちに与えてくれただろうか。仮定法過去の表現は、私たちに相手とうまく交流する修辞技法を身につけさせてくれただろうか。元素の周期律表は、核融合がいかに危険な現象であるか我々の感覚に影響をもたらしただろうか。「奢る平家は久しからず」の古典は、我々に抑制の概念を教えてくれただろうか・・・・・。大学生が増えれば増えるほど馬鹿になっていくこの国・・・・首相はブレていつも前言訂正。辞職してしまえば誰も責任を問わない。CO2削減25%は努力目標だったが、もうみんな忘れているよ。だんだん馬鹿になっていく・・・・・。

拝金の仕掛け

 しかし・・・・その裏には我々の頭を馬鹿にする仕組みも働いている。・・・テレビでは、ある女優が子どもたちの未来のために自然と環境を整える活動・・・「うん、立派なものだ」と思えば何のことはないサプリメントのCM。ある元サッカー選手が地球のために何かしようと叫ぶ・・・「さすが大物」と思えば、これまた何とエステサロンのCM。みんな希望と夢を掲げるふりをして裏では大枚のCM収入を得ているわけで、まったくすごい世の中だ。有名人を使えば、CM効果は高くなり、商品が売れるという企みである。消費者もバカなもので、そういうCMに踊らされて買っている。まあ、そのくらいならまだいい。AKB48などというわけのわからんグループを仕立て上げて、下手な歌のCDやDVDを買わせる仕掛け・・・もちろん、ファンになる消費者も消費者だが、この国は完全におかしくなっている。売り手の狡さ、それを承知の芸能、スポーツ選手。これでは、そういうものを見て育つ子どもから「大人なんてけっきょく!」と思われてしかたがない。でも、すぐ子どもも馬鹿な大人と同じになっていく。そして、多くが騙されて、酒屋が開発したサプリメントを飲み、ハチミツ屋が一儲けしようと考えた化粧品を塗り、地球のためにエステをする。その片棒を担ぐメディア型有名人たち・・・そして、こういう人たちの言葉をアッサリ信じて、効きもしないサプリを高い金を出して買い、人は老けるものなのに若さが戻ると信じて高いエステをする。ほかにやることはないのか! 肥満を避けたければグルメをしないことなのだが、うまいものは食いたくて、それでダイエットするおバカな人々。だんだん馬鹿になっていく国民。それにしても、いくら市場主義が跋扈していても、こういう仕組みを誰が仕掛けているのだろう。けっきょくは拝金の風潮の中で一儲けしようという人たちが、馬鹿になっていく欲深の人々に仕掛けているだけなのだ。

英雄を必要としませんように

 でも、考えてみれば、このくらいで目クジラ立てる必要はないのかもしれない。サプリ、エステ、ダイエット・・・こんな小さなことに血道をあげている国民はかわいいものなのだ。世の中も平和で、悲劇と言えば、子どもが親に餓死させられる程度。氷河特急で金満老人が事故死する程度。おバカ中高年の登山で救出ヘリの乗組員が数人死ぬ程度、百数歳の人が白骨化したり、ミイラ化しても年金がもらえている程度・・・・人口一億二千万の国という観点から見れば、この程度の悲劇は大したことではないのかもしれない。
 これが政治の世界で、夢と希望とウソを掲げて出てくる人がいたら大変だ。幸い政治家は国民と同じ馬鹿揃い。国民を騙せる政治家はいない。しかし、もし、出現したら・・・・! 馬鹿な国民は、すぐ騙されて、「そうだ! 戦争しよう!」になってしまうかもしれない。なんとかしないと大変だが、じっくり本を読んで頭を固めるシステムが学校にも家庭にもない。危ないが、見守るよりしかたがないことだ。子どもが馬鹿な大人になる前に、せめてリテラシイーだけは教えたいのだが・・・それもテレビゲームとアニメに洗脳された頭には入り込まないだろう。

(2010年8月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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