ブッククラブニュース
平成22年9月号新聞一部閲覧 追加分

読み聞かせのある生活へD

 最近はとにかく忙しい。お母さん方もお父さん方もよくまあこれだけ働けるものだと思うくらい働いている。こういう時代だからしかたがないといえば言えるが、大変だなぁと思ってしまう。なるべく子どもを見失わない生活を維持してもらいたいと思うが、なんだか世の中の流れは、そんな私の思いなど無視してどんどん子どもの成長の世界を親が見られない方向に進んでいく。
 子育てなんて、実は「あっと言う間」に終わってしまうものだ。子どもも十七、八歳になれば親元を離れるのが普通だし、本来的な意味の子育てなど実際には十年そこそこのものにすぎない。単純計算しても一日8時間寝ていて、幼稚園や学校に8時間いたら、子どもが家庭にいる時間は8時間・・・つまり一日の三分の一。18年間で子育てが終わるとすれば、そのうち親と子が接する時間は、三分の一のたった6年ということになる。しかし、この計算も子どもが家庭に8時間いることが前提だし、親がそこに8時間いることも前提だ。ずっと接していることは成長すればするほど無理だし、ずっと接している必要もないが、とにかく子育ての時間は合計で、そんなに多くない。とすれば、一日20分、30分の読み聞かせの時間は、濃密に子どもと接するかなり良いチャンスなのである。子育ての最中は、子どもの存在が鬱陶しい親もいるかもしれない。たしかに子どもは手がかかる。だからこそ子育てなのだが、よく考えてみれば、人生で一回しか出会わず、それも実質数年しかいっしょに居られない貴重な時間を秘めた存在だと思えば、そうそう軽々しくウッチャっておくことはできないだろう。子どもは親に読んでもらう時間が好きだ。そうなら、読んでやろう。読み聞かせたあと寝入った顔など天使ですよ。現実のネグレクトは大阪のヤンママのように犯罪になるが、働くこと優先の意識上のネグレクトも「子育て」の本筋から見ればちょっとした罪になるかもしれません。

D―2歳の読み聞かせーその2
ちょっと注意があります

ある偏りが起こる

 2歳代で特定の子にある現象が起こります。主に男の子に起こりますが、特別の分野のものに異常な関心を示すというものです。それも自動車や電車、(キャラクターものに目が行っている子は怪獣やレンジャーキャラクター・・・)など限定的な対象です。あまりキャラクターそのものへの偏りはまだありませんが、車などへの関心の偏りは一歳代にいろいろなパターンの読み聞かせを行っていても起きてしまう現象です。個人差もありますが、一種の「偏執」的なもので、自然現象といえばいえます。あまり女の子では見られません。

天才ではない

 これについて結論から先に言えば、なるべく抑制がのぞましいです。大脳新皮質の初期成長段階では記憶力の急激な増加がともないますが、この偏執が特定分野への記憶増加を促す形になります。「これは?」「トヨタのプリウス」「それは?」「マツダのプレマシー」「あれは?」「ニッサンのノート」などとたくさん覚えていきます。これを周囲の大人は「継続的記憶」と間違えるのです。だから自動車図鑑を買え与えたり、新幹線や列車のビデオをたくさん見せたりします。とくに孫に弱い爺婆たちは「天才じゃ!こんなに覚えている。いくらでも金は出すから与えよ!」とあおり立てます。そうなると、ますます子どもの「偏執」に拍車がかかります。しかし、けっして特別な才能発揮ではなく、一時的な現象なのです。2歳児では、数回読み聞かせだけで、一字一句間違わずに言える子どもが続出しますが、これも、けっして天才ではなくごく当たり前のことなのです。こうした偏執的記憶が四歳まで持てばいいほう。実際にはいつまでも持たないのです。

偏った方向につながる

 よく、三歳くらいで車の名を全部言ったり、全国の駅名を暗記したりする子がいて、テレビなどでは「○○チビッコ博士」などともてはやします。でも、一時的な記憶なので、関心の偏りはその後の思考発達の対象を広範囲にしなくなる傾向を生んでしまうのです。また結果的には、そういう子の中には高度な読書に入れない子がたくさん出てくることも分っています。すぐに出る傾向は、3歳代の物語絵本に関心が持てず、どこまでも車、車、車、電車、電車、電車・・・ということになります。やがて、これは偏ったコレクションや遊びにつながるだけです。そんな人が大人にもたんくさん出てきました。
 ですから、とにかく、こういう偏執的な関心をなるべく幼い時期にはさせたくないのです。ある程度大きくなったらしかたがないのですが、2歳〜3歳のもっとも想像力が大きくなる重要な時期にオタク的な記憶パターンで頭を作りたくないわけです。

要求に屈しない最初の親のありかた

 じゃあ、抑制の方法にはどういうものがあるか?といわれるとむずかしいのですが、むやみに買い与えないことです。ほしい!と言って買い与えれば、さらにほしい!と言ってきて悪循環になります。ここで要求に屈して、子どもの言うことは何でも聞く奴隷になってしまっている親をよく見かけます。図鑑も関連のおもちゃも集めもなるべく避ける・・・・・・外の世界にある実物の車、列車ていどを見せるくらいならいいでしょう。そういうものは集められませんからね。この時期は物語絵本が始まる重要な時期です・・・繰り返しものを楽しめる時期です。図鑑を繰り返して広げて覚えていくというパターンではなく、物語としてストーリーの繰り返しが楽しめるようにしたい時期なのです。親が子どもの要求に負けないで、なるべくバランスのよい方向に向ける・・・・2歳代は、まず親としての最初の子どもコントロール技術の発揮になるのかもしれません。

子どもは本が好きか?!
D電子化は頭の良い子を増やすか!

電子授業

 学校が授業を電子化する日はかなり近い。すでに電子黒板が実験的に導入されていて、その端末として生徒たちの机の上にi-pad的な教科書兼ノートのようなものも置かれるようになるのも数年後だろう。電子黒板は動画も映し出すだろうし、教育プログラムが合理的に投影されたきれいな画面で子どもたちの前に出てくる。そして、電子教科書や電子ノートとつながっていって子どもたちの習熟状況をチェックできるようになるだろう。当然、電子化だからあらゆることが記録される。何回間違えたとか、何度答えられなかったかまでが数字ではじき出される。こうした合理的な授業が効果を生み出すかどうか別として、とにかく近い将来、学校の授業は電子化する可能性が高い。

公共事業

 しかし、作家の柳田邦男さんは、学校での授業の電子化は「形を変えた公共事業」だと言っている。高校から大学まで整備されるとハード面だけの計算でも1兆円を越え、ソフト面も計算すれば、それこそ数兆円規模の継続的なマーケットになるわけだ。マイクロソフトやソフトバンクなどにとってはビジネスチャンスもいいところのおいしい話で、おそらく総務省や文科省によってひじょうに大型の公共事業になることだろう。
 それはそれでいいと思う。子どもたちの頭脳によりよい効果をもたらせば数兆円など安いものだ。しかし、これを推し進める「デジタル教科書教材協議会」はソフトバンクの孫正義社長やマイクロソフトの樋口社長などで構成されていて、目的は「日本の国際競争力を取り戻すために分析力と競争心の高い子どもをつくる」というものである。柳田さんによると、孫正義社長は「子どもたちがケータイで不良サイトに接続するのをやめさせるために政府がフィルタリング規制しようとしたときケータイの規制には反対した人物」らしい。そこで国会審議の参考人招致での証言を調べたら、「子どもでもケータイのアクセス規制は、包丁が危険だから台所からなくすようなものだ」と訳の分らない比喩で話していた。まあ、儲かれば何でもする人だからそういう言動はしかたない。ただ、こういう動きは柳田さんや心ある学校の先生が反対しても進んでいくということだ。日本人は、声の大きい人には何も言えない人種になっているからだ。

事業も授業も思った通りにはいかない

 つまり、この流れが動き始めたときに、もう学校の先生も反対できないようになっているから、ここで「人間的な教育がなされない」「電子機器に向うだけで人との対話ができない子が育つ」などという反対意見を出しても無駄である。しかし、心配するように「本を読む子が減る」などということもない。もともと読む子は多くないのだから・・・。
 ただ、動画が見えて、合理的に説明していく電子黒板が「感動」や「分析力」「競争心」を生むとはとうてい思えないことだけは言っておいたほうがいいと思う。そんなのは目新しいうちの話で、慣れてくれば「適当にやっておけ」という習性が人間にはあるのだからすぐに効果はなくなっていく。その意味ではダムや道路よりはるかに費用対効果の少ない公共事業ということになってしまうだろう。人間と言うものはどんな3Dの動画にしようがハイビジョンの黒板にしようが次々に感動などできない動物だ。分析力なども感性がなければ見当違いのものになる。競争心もゲーム的な勝った負けたの低レベルな競争で、そうそう導入したい側の目的に沿った成果は出てこないだろう。まあ、彼らは公共事業で儲かればいいのだが・・・。
 人間は「知識の詰め込み」を目的とする習性はないので、いずれはまともな目的に向うはずである。ただ、「知識の詰め込み量が多い人間が勝ち組の成功者だ」と思っている大人もいないわけではないし、バブル期からそういう親が増えているから全体としては事業(授業)は進むはずだ、この公共事業及び電子授業の達成時期はだいたい2015年〜2020年・・・日本の価値観が崩れて大変な社会構造になっていく時期と一致する。導入の実現自体がうまくいくかどうかわからないが、まあ、遊ばない子が大人になって成功した例はほとんどないとだけは言っておける。ケータイ、ゲーム、PCなどの電子機器に取り囲まれて、ネット依存を起こし精神が壊れる若者(大人も)の例を挙げる必要はもうないが、人格にゆがみのある人間をつくるのが教育の目的ではないだろう。これからは、家庭に入る電子機器ばかりでなく学校の電子化にも目を光らせておかないとゆがんだ子どもがどんどん出てくる可能性もないことはないだろう。

続・発達に応じるということ
2)物を選ぶ意味・・・言葉も本もおもちゃも生活用品も

好き嫌いで選ぶのは簡単だが

 以前、「子どもの本の専門家養成講座」で選書論と発達論を受講者に述べたことがあります。かんたんに言えば「この本は子どもの発達ではこの時期に与える」というものでしたが、その前に「個人的な好み・・・つまり好きか嫌いかで選んではいけない」というようなことを話しました。基準がなければ発達に応じた本を選書していくことはできませんから、まず「絵の好き嫌い、文章や物語の好き嫌いなどは特定個人の生育過程で出来上がった価値観で、適切さに欠ける」というものでした。もちろん、完璧な選び方などはできるものではないですが、なるべく標準というか基本原則に沿ったもので選んでいく必要がある」と言ったわけです。当然、絵本なら子どもの発達に合わせる必要があり、いくら優れた絵本だからといって、5歳児に与えるべきものを2歳児に与えたらミスマッチになるからです。
 だから、ここでは「優れている」だけが選ぶ基準ではないわけです。・・・こういう話をしていたら講座の最後で、ある女性が「私はゆめやさんの考え方が嫌いです。」と講座全体の感想を言われてしまいました。「あなたの論は間違えている」ではなく「嫌い」なのです。これには苦笑してしまいました。だって、一番最初に「好き嫌いで決めてはいけない」と言ったはずなのに、講座が終わる頃には完全に忘れていて、自分の感情でしめくくるわけですから「何の学習もしていない」というより最初から「好きなものでないと受け付けない体質」ということになっているのでしょう。

言葉も本もおもちゃも生活用品も

 しかし、現代生活ではなかなか基準や原則に沿った「選び」はむずかしいです。ほとんどの商品がテレビや雑誌などの広告媒体を使って洗脳のような形で選ぶことを迫ってきます。自分に似合うか、合っているかなどとは無関係に流行だからということだけで買わされてしまうことのほうが多いのではないでしょうか。
 このように大人でさえ選択能力がないわけですから、幼児や子どもに求めることはなお無理です。・・・・ところが、時折、何も言わないでいると、そのお母さんが「ボク、どれがいい?」と言って子どもに選ばせている人がいるのです。適切なものが何かアドバイスを求めてくればいいのに、対話が苦手なお母さんなのかもしれません。そうすれば、子どもは印象による好き嫌いで選んでしまいます。親は「子どもが自主的に選んだものだから」ということで妙に納得して、一件落着・・・これでは、せっかく来店してもテレビショッピングや衝動買いと同じですよね。この選ぶということは生活全般から人間関係にいたるまでとても重要なものですので、しばらくシリーズで書いてみましょうね。

選ぶ基準でさえ変化する

 時代、時代によって世の中の考えもちがってきます。ただ、現代のように何もかもが基準もルールもないことは珍しいのですが、ある意味では選択が行き当たりバッタリで何でもありの感じがします。とくに日本は宗教性の乏しい国なので最後のところでの歯止めがありません。たしかに価値観や選択意識も時代とともに変化するわけで、この半世紀の間でもおどろくべき変化が起きています。私のように長く生きてしまうと(笑)、そのクルクルと変化する価値観に開いた口がふさがらないのですが、皆さんはお若いので昔がどうだったかは知らないことでしょう。でも、おもちゃ選びや本選びならまだしも、やがては学校選び、配偶者選び・・・・人生の選択までいくわけですから、なるべく不幸にならない選択をするにはどうしたらいいかを考えるべきです。誰も責任は取ってくれない選択ですからね。(つづく)

一人読みから高度な読書へ
@古典文学へ向けて

高学年で古典文学が楽しめるように

 さて、一人読みができるようになって、その後の方向はどうなるのか。ここが問題である。心ある学校図書館の司書の先生が苦慮するのは中学年から高学年のオススメ本である。これが現代ではなかなかむずかしい。
 本来なら中学年で空想が広がる楽しくおもしろい本へ入り、高学年では「少年少女古典文学」へつなげて行きたいのだが、それもなかなかむずかしい時代になってしまった。なんとか中学年では基本配本でかつてのレベルのものを維持しているが、高学年で古典文学を入れると歯が立たない子が増えてきて、多くはDグレードに格上げしなければならなくなった。でも、ここは数冊でもなんとか読んでほしいものがあるので本格版ではなく読みやすい、いわゆる「少年少女版」も入れてある。がんばって読んでもらいたいところだ。

端折(はしょ)った本は読まないほうがいい

 もちろん、古典文学はディズニーなどのアニメ版もあり、「これが、あの話?」と思うようなハショリにハショった幼児でも読めるような古典文学もある。こういうものは避けてある。比較すれば分るが良い例が「アルプスの少女ハイジ」で、アニメ版は100ページそこそこ(絵の部分を抜けば50ページにも満たない)。低学年どころか幼児でも読める。しかし、原作の翻訳は500ページもので分厚く、中学生向きののものである。実際「ハイジ」は、内容的に心理の揺れ動きを描いたものだから、小学生というよりは多感な中学生が読んだ方が適切な本である。しかし、アニメ版を幼少期に読んでしまうと、「ああ、これ知っている!」状態になって、本格版を読むことができない。やはり、ハショった本は避けたい。

生き方や世の中との向かい合い方が描かれている

 少年少女古典文学のすぐれたところは、冒険物語や空想小説の形を取りながらテーマは「生き方」や「社会との向かい合い方」などが深いところで書かれている。もちろん、話の展開を楽しめばそれでいいわけだが、読むほどに深いところに書かれた哲学が読み取れるようになるだろう。いま、子どもたちの読書で最大の問題は、こうした人間の心について考える本が少ないということだ。古典文学にはいわゆる「文学の毒」が盛りだくさんに入っている。裏切り、復讐、自己矛盾、不条理などが描かれる。しかし、そこにはまた友情や団結、困難を乗り越える心や悲しみに耐える心も描かれている。それは、きっと成長していくときに役に立つはずである。

人間の良い部分も悪い部分もきちんと書かれている

 とにかく、古典にはどうしようもない人間のどうしようもない事柄もきちんと書かれているから、まずは人間観察の力もついて来る。相手の見かけに騙されないで悪を見抜く力もだんだん養われることだろう。これは現代において一番必要な力かもしれない。ディズニーの物語のように、悲劇で終わるものさえハッピーエンドでまとめてしまう嘘くさい予定調和などは古典文学にはない。あの悲しい話「人魚姫」でさえディズニーではハッピーエンドで終わる。これではどこまで行っても悪いことにはならないワンパターンの物語だ。
 しかし、こういうことに反して、古典文学のいいところは人間の類型が様々な形で描かれていることだ。実際にそういう人間に出会う前に人間の本質をシミレーションできる「すぐれもの」なのである。大人になって「ああ、あいつは三銃士のアラミスのような熱い人だ」「彼は、海底二万里のネモ艦長のように人間嫌いなのかもしれない。」などと類型が浮かぶはずだ。こういう感覚は人間分析にとても重要である。

古典文学をたくさん読むと・・・・

 だから、高学年から中学にかけては古典文学をたくさん読んでほしいと思う。そして、その後は基本的な文学・芥川龍之介やドストエフスキーなどに向っていけば人間を見る観察力は鬼に金棒となる。人間の暗闇や凄さが分れば、ちょっとやそっとのことではひるまなくなる。「世の中とはそういうものだ」ということが分ってくるからである。最近、若者の引きこもりや自殺が多いが、これらの原因はテレビや教育で「夢を持って頑張れば必ずかなう」と洗脳されて、現実にぶつかり、すぐに精神的に挫折してしまうからではないだろうか。世の中はそんなに甘くない。世の中の現実やさまざまな人間が古典文学には書かれている。心が強くなる。だから読むべきとき、つまり少年期から青年期までに読んでもらいたいのである。



(2010年9月号ニュース・新聞一部閲覧 追加分)

お礼とお知らせ

アンケートに回答していただいた方へのお礼の言葉

 7月に実施いたしましたNHK依頼のブッククラブ会員への「アンケート調査」については、お忙しいところを丁寧にご回答くださり、まことにありがとうございました。1歳から中学生のお子さんを持つ方まで、年齢別に127名の方をピックアップしてアンケートをお願い致しましたところ88名の方から詳細な文章で回答をいただきました。予想を超える高率の回収におどろいています。現在、NHKが集計したもののコピーをゆめやも目を通させていただいています。いずれも克明に調査項目に答えていただき、またエピソードもお寄せくださったことに、あらためて感謝する次第です。
 また、さらに内容を深める取材がいく方もいるかと思いますが、ご協力をお願い申し上げます。

言葉ではないお礼と番組放映のお知らせ

 回答を寄せていただいた方にはNHKの柿本ディレクターから一昨年のゆめやの番組と、今年7月の動物画家・薮内正幸さんの番組の2本が入ったDVDが送られると思います。楽しみにお待ちください。7月の「カワイイをめぐる冒険」(8月フレンドシップニュース本文参照)については、さらに時間を増やした30分番組の形で甲府局が今秋放映する予定とのことです。地方発ですが、いずれBSなどでも放映されるでしょう。ぜひご視聴ください。

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