ブッククラブニュース
平成24年6月号(発達年齢ブッククラブ)

アカゲザルは下等動物です

 アカゲザルという猿がいます。もともとは中国やアフガニスタンなどに分布しているのですが、ペットとして飼われていたのが逃げて野性化し、千葉県の一部で二十年前くらいから生息しています。ニホンザルによく似ていますから、見間違えますが、外来種。いずれニホンザルと交配していって生態系破壊が起こるかもしれません。生物の進化の方向が他種交配で進むのか、それともこういうことが人為的な問題で変化していくかは私にはわかりませんが、ニホンタンポポがなくなり、ニホンイシガメが消え、生存能力のある外来種が幅を利かすようになるのはちょっと悲しいですね。それが、ただの趣味で栽培したり飼っていたりした動植物で引き起こされているわけですから、これはもうデタラメ。そこまで許していいものか。ペットショップもより珍しい珍種、珍獣で一儲けを狙っていますが、それが生態系を破壊することなどおかまいなしです。やはり規制緩和は、いろいろな意味で世界を混乱させておしまいですかね。
 ・・・・いやいや、今回の話は、そういう話題ではなく、アカゲザルのお話です。このアカゲザルは行動観察の実験に使われる有名なサルなのだということを知っていただきたいのです。

親から引き離す実験

 知っている方も多いと思いますが、このサルを使った有名な「ハーロー博士の実験」があります。「生まれてすぐのアカゲザルの子を母親から引き離す」のです。多くの霊長類の子は一人にされると落ち着きを失って、ちょっとしたことでパニックになり、自分の体を丸めて転げまわります。ですから、母親に養ってもらえない子ザルを人工保育するとき、飼育員は、タオルを筒状に巻いたものを子ザルに与えます。そうすると子ザルは、それに抱きついて、安心するというわけです。アカゲザルの子もそうです。
 人間の子も生まれて一ヶ月、二ヶ月で何も肌についていない状態だと不安で大泣きすることが頻繁にあります。沐浴させるときも濡らしたガーゼを胸においておくと安心しますが、やはりむき出しのままだと不安におびえます。これは赤ちゃんばかりではなく大人でもそうですね。裸で歩くのは不安があります。恥ずかしいということもでしょうが、それ以前に本能的に不安になるのはやはり、私たちも同じサルだからかもしれません。
 で・・「アカゲザルの子を母親から引き離す」のですが、当然、これは不安と恐怖でパニックとなります。やはり、世界に飛び出してすべてが怖い時期に、抱っこされて守られている安心感は子どもにとってとても大切なことなのでしょうね。

金属ママか布ママか

 さて「ハーロー博士の実験」では、タオルなどを与えず、金属(針金の枠組み)で母ザルに似せたものをつくり、胸から哺乳できる装置をつけました。つまり、オッパイが飲めるのです。さらに、別の部屋には柔らかい布で母ザルに似せたものを作り、こちらには哺乳装置をつけないでおきました。そこに子ザルたちを置くと子ザルはどう行動するか? それが、この実験です。
 結果は興味深いものでした。金属製の母親の部屋の子ザルたちは、ミルクが出るにもかかわらず母ザルの方には行かないのです。お腹が空いていてもです。そして、不安気に床を這い歩き、ちょっとした音や声にビクビクするのでした。もちろん、抱きつくものがないので、怖くなると我と我が身を抱きしめて転げまわるのです。
 一方、布製の母ザルがいる部屋の子ザルは、ミルクが出ないにもかかわらず、子ザルには人気がありました。音がしたり、怖さを感じると、すぐに布の母親に抱きつくのです。
 この実験の目的は、子ザルにとって「授乳と安心ではどちらが重要なのか」を判別するものでしたが、大方の予想を裏切って「授乳より安心」という答えが出たのです。子ザルにとって親とはお乳が出るだけではダメということでした。つまり生理的な要求である「授乳」より、心理的要求である「不安の解消」が優先されるのです。
 この実験では、子ザルが親から引き離されるという「追いつめられた自立」を経験しますが、ハーロー博士はこれだけにとどまらずに、(1)親に育てられた子ザルと(2)金属製の母の部屋の子ザル、(3)布製の母の部屋の子ザルの三種の成長を長期にわたって観察したのです。すると、いずれも(ミルクやエサは与えられるので)体は成長していくのですが、親に育てられた子ザルとそうでない子ザルたちには大きな違いが見られました。

親が育てないと

 金属母、布製母の部屋の子ザルは、体の運動を無意味に繰り返す「常同行動」というものが頻繁に見られるのです。体をゆする、部屋を同じパターンでうろつく、頻繁に指をしゃぶる、などです。いっしょに育った仲間がいてもこの行動は起きました。金属母、布製母は子ザルの相手をしないから、子ザルの心が成長しないというわけです。ふつう、親は育てるときに、話しかけ、体を接し、子の反応を見たり、たしなめたり、叱ったり、さまざまな態度を取ります。それが子どもの心の成長を促していくというわけです。もちろん守る行動もします。それによって、愛されていることもわかってくるのでしょう。「おまえは大丈夫だよ」という信号が送られれば、安心して離れて行動することもできるようになってきます。
 でも、ハーロー博士の実験で、親に育てられなかった子ザルがおかしな行動をする・・・でも、これは下等なアカゲザルの話です。われわれは、そんな下等なサルといっしょにされたら困ります。

霊長類の頂点・完全生物の人類様

 なんてったって、あらゆる動物の上に君臨する人類様なのですから、赤ん坊のときに放っておかれても、人様に預けられても、親でなくて他の人が育てても大丈夫です。肉体も精神もおかしくなんかなりません。いわば知能も発達した「完全生物」で、体の部位が壊れても移植で治す、薬で治す、手術で治す・・・ものすごい生物なんです。
 真の「完全生物」というのは自分の力で育つのです。完全生物といえば映画「エイリアン」に登場する宇宙人を思い起こしますよね。寄生し、脱皮を繰り返し、完全な生物になっていく・・・寄生した生物を食べ、何でも捕食し、情緒や感情など持たず、ひたすら生命維持のための活動を繰り返す完全生物・・・人間も、他の動物よりははるかに進化した高等動物なので、食べさせておけば、どのような環境でも自分の力で体も心もどんどん成長する能力を持っていますよ・・・きっと、ね。そのうち、赤ん坊でも自力で食べていく進化を始めるかも知れません。エイリアンのようにね。心配ない!心配ない! ヒトは、アカゲザルごときとは違います。サルより毛も三本、多いし! エイリアンを目指して科学を発展させていくことでしょう。

ゆらゆら揺れながら見る夢

 でも、話はまったく変わりますが、昔の日本ならどこでも見られた親がオンブし、ダッコしてあやす風景・・・やさしく語りかけていた風景・・・最近あまり見なくなりましたよね。
 昔、昭和三十年代ですが、京王帝都電鉄の下りに乗ったときのことを鮮明に思い出します。あのころ外出するお母さんは負ぶい紐で子どもを背中にしょっていました。高校生だった私は当然ながら、そのお母さんに席を譲って立ったのですが、お母さんは座ると子どもを抱っこして、おっぱいを飲ませ始めました。そんな風景はいつも見ていたので、なんとも思いませんでしたが、今もし母親がそんなことをすれば、「狂気ではないか」と疑われるくらい世相が変わっています。
 でも、東京であれ、地方の小都市であれ、田舎であれ、あのころの親が子どもに接する様子は心がこもっていたように見えるのは私のノスタルジーなのでしょうか。でも、そういう育ちをしていた人たちの中には、オタクも異常性格者も自殺をする人も少なかったように思います。やはり、どこかで何かが狂ったと思うのです。今に比べれば、その時代の親は子育ての技術も知識も少なかったと思うのですが、親の背中でゆらゆらと揺れながら赤ちゃんは不安も恐れもない夢を見ていたのではないでしょうか。それは太古の昔、私たちがまだサルだったころに母親に背負われて揺れながら見ていたおだやかな夢と同じものだったのかもしれません。(6月号ニュース一部閲覧)

金環蝕を見たよ

 五月二十一日朝、なんとこの私が7時20分に起き、金環蝕を観察しました。もう欠けが始まっていました。丸い輪になっていく様子を見ていました! それも寝床で、です。
 私の寝室は東南の角部屋の二階で、朝日がベットに差し込みます。目覚めて、すぐに完璧な金環蝕を見ることが出来ました。寝たままです。体も起こさずに横になったまま、何とズボラ、何と怠惰。
 早起きが得意でない私が、この天体ショーを見る気になったのは、やはり一生の間に一度も見られないような貴重な天体現象だったからだと思います。こういう時代ですから、金環蝕が見られる場所に飛行機で飛んでいけば、一生の間には何度も見られることでしょう。しかし、私には金も暇もなく、そんなことはできるものではありません。さらに、偶然は一回性の論理・・・繰り返してみると感動も薄れるという考えですから、偶然は大切にしてしっかりと見ようというものです。しかし、しっかりと見たいわりには、寝ながらというのはやはり問題ですかね。

肉眼で見るほどバカではない

 日蝕グラスなんか買いませんでした。子どものころは、ガラスの破片にロウソクの煤をつけて日蝕を見たものです。長時間見なければ、遮光グラスでもOKですし、ピンホールに写して見るという方法もあります。カメラにはフィルターをつければよい。
 「肉眼で見ると危ない」というすごい宣伝が繰り返されて、日蝕グラスが飛ぶように売れたようですが、これも何だか一儲けを企む連中のいつものやり方のような気がしましたので、買いませんでした。子どものころ凸レンズ(虫メガネ)で太陽光を集めて火を点ける遊びをしていれば、直接見たり、まして望遠鏡で太陽を見るようなバカには育ちません。「二年間の休暇」でも時計の蓋のガラスで太陽光を集めて火を起こす場面がありましたよね。子どものころの遊びは大切なんです。すべては幼いころの遊びが原点・・・いまの子どもは遊ばな過ぎです。やはり五感と五体を使ってしっかりと遊ばねば生きることは大変になります。

月も太陽も関係ないことはない

 さて、金環蝕・・・我が家の窓には黒い遮光フイルターが貼ってあるので、肉眼でも見ることができます。私の性格そのまんまの安直すぎる天体観察でしたが、完全な金環蝕を見ることができました。枕の横にカメラを用意しておいたので、これも寝ながら撮影。ディスプレイには、真っ黒な中に不気味な輪のようなものがありました(この写真)。 金環になったのを確認すると、すぐにまた寝ましたが、寝ながらふと思いました。こういう天体の現象と人間の活動には何か関係があるのかどうか、と・・・。
 私は「ある!」と思うのです。小さな月の引力で、地球の海の満ち干が起こるわけですから、きっとコップの中の水も私たちには見えない微妙さで満ち干をしていると思われます。まして、巨大な太陽・・・黒点が増えるだけで異常気象が起きたり、磁気嵐が起きたり・・・。おそらく光や放射線などの影響は生物の生活にも及んでいると思います。地球も人類も私たち個人もすべてに影響されて、決められた軌道を動いているというわけですかね。

不気味に感じた金環

 眠りから覚めて、改めて撮影した画像を拡大して見ました。真っ黒な背景の中に赤いリングが写っていたのですが、やはり不気味な印象でした。見ていると、石川達三の小説「金環蝕」も思い出しました。高度成長期の闇の部分を描いた政治小説です。「・・・外側は金色に輝いているが、中は真っ黒に腐っている・・・・」・・・まさに現代社会の形容です。豊かで華やかに見えるけれど、内部では倫理も道理も意識も真っ黒に腐っている・・・・そのとおり。いつまで、内部の腐敗を、外側の金環が包みきれるか・・・・・ボロボロ、ボロボロ、隠していたものが見えてくる時代です。この一年、みんなが「怖いものを見ないように」、「知らないで済ましたい」と思ってきたことが、これからボロボロ、ボロボロ・・・みんなを騙そうとして捏造した神話や宣伝で隠してきたものが明るみに出てくる時期になることでしょう。でも、誰も、その状態を変えられず、ますます暗黒や混乱は広がっていくのかもしれません。世の中に起こる現象もみんな太陽や月、その他もろもろの宇宙のリスムの中で進んでいくと思います。これからどういうふうになっていくのか。
 これを推理する方法は歴史を調べてみるよりないと思います。日本では932年ぶりの金環蝕。932年前・・・・院政が始まり、中世の暗黒が始まったとき金環蝕があった(1080年)らしいです。今回の金環蝕は、何の始まりを意味するのでしょう。人を騙さず、人にも騙されず、なんとかまた太陽が昇ってくるまでガマンしたいものです。(6月号新聞一部閲覧)



(2012年6月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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