ブッククラブニュース
平成24年6月号新聞一部閲覧 追加分

読み聞かせの日々

@自分で選べないというのが配本の良さ?!
多くの人は好みで選んでしまう

 配本をしていると、お母さん方からいろいろなお便りが来ます。その中で目立つものに「私なら、こういう本を選ばなかった」というものが多いのです。もちろん、私に来るお便りだから皮肉や批判ではないと思っていますが、ひょっとするとお便りのテーマで一番多い感想かもしれません。私としては「私が選んだ本が強制的に届けられる」という感じをいつも持っています。「自由」と「個性」を標榜している学校教育で育った方々の多くは、「自分で選書できないからいやだ!」という人もいるかもしれないな、と思うのですが、予想に反して「私なら選ばない本なのに、子どもが妙に気に入っている」という話になります。
 前回述べたように、私は一応子どもの発達に合わせて選びますが、親は自分の好みで選ぶので「子どもの発達段階が視野から消えている」ことが多いのです。ブッククラブ配本は、まったく自分では選べませんが、じつは「自分では本を選べない」という点がブッククラブ配本の良さでもあるのです。さらに傲慢に言えば「自分の好みでない作品に出会えることのほうが貴重な体験になるのではないか」ということです。

例えば・・・・

 じつは、このことは書評を書くときに私自身も感じることがあるのです。平凡社の「太陽」は、多くの選者がいろいろな視点で書評をしているので、年間で出版される二千冊の絵本から数冊の選書をして書評を書きます。このとき、私も自分の好みで書くのですが、他の選者の方の選んだ本を見ていくと、「なるほど、そういう見方があったのか!」「だから、子どもに受けるのか!」「大人好みの絵本でしかないというわけか!」という別の糸口が見えてきます。
 これは選んでいる人の美意識や哲学、子どもや世の中の見方までわかるわけで、ひじょうに参考になります。ときおり、自分がいかにつまらない思いや価値観にとらわれていたかもハッキリ分かるのです。これは、やはり他人の選んだものを見ることで妥当性や正当性が透けて見えてくるということなのでしょう。

たとえば・・・・

 お子さんからもお便りが来ます。子どもの意見はストレートです。例えばこの写真にあるお便りの一年生(女子)は、これまでの本で好きだったもののランキングを挙げていますが、トップが「たこのななちゃん(小1女子対応)」で「おやすみなさいおつきさま(2歳女子対応)」「おやすみクマタくん(2歳基本対応)」とつづき、4位に「キャベツくん(4歳個別)対応」が入っていたりします。こういうことを知ると、「大人が、その年齢に適切ではないように思える本」もきちんと楽しまれていることが分かります。
 「たこのななちゃん」は現時点の配本ですから読んでいてリアルタイムの楽しさがあるのでしょうね。しかし、二位、三位が2歳のときに好きだったものですから、これはもうほんとうにそのころ好きだったものとして記憶中枢にしみこんでいるのでしょう。そして4歳のときの「キャベツくん」・・・・このナンセンス絵本はきっと心のそこから楽しかったのでしょう。大人にはわからない人気ランキングの選定ですが、素直でストレートな意見なのだと思います。
 このような本は、キャラクター絵本やアニメビデオで育った子には、とうてい選ばれない本でしょう。やはり段階を追って読みを重ねてきた子と今様の育ちをしてきた子では大きな違いが出るものです。

きちんとした選書がされれば

 では、選ぶ側はどのようなことをsひなくてはいけないのか。・・・お客様に「選書は発達対応とどうリンクするか?」・・・そう聞かれたときに答えられないブッククラブの選書配置では意味がありませんから、うそ偽りなく根拠を答えなくてはなりません。どこかのブッククラブのように自社発刊の利益率の高い本を配本にたくさん組み込んだり、同じ月に全員同じものを配本することで一括仕入れして年間プログラムを組むブッククラブのように仕入れ先の出版社を叩くことなど出来ないゆめやとしては、「なぜ、この本がこの時期に入るか」、「なぜこの本を選書しているか」については、すべて答えられます。なぜなら利益の紐付きがない選定なので、選書基準そのままを語れるからです。
 じつは、ブッククラブの基本配本のすべてについて山梨子ども図書館というNPO法人の子どもの本の養成講座ですべてを挙げて選書理由を公開しました。それを外部から比較分析してくださったのが神奈川大学外国語学部・白須康子准教授ですが、子どもの本の選書をしている北海道・小樽の工藤左千夫さんの絵本・児童書研究センター(河合隼雄さんが顧問だった)のものと比較してくれたものがあります。私が述べるより外部のほうが客観的評価になると思いますので、ホームページの「ブッククラブのご案内」の中段のPDFボタンをクリックすれば全文読めます。最初は英文で、あとの比較分析はかなりむずかしい文かもしれませんが・・・目を通せる方は暇なときに開いてみてください。
 自分で選べない本でも、大きな楽しみや成果をもたらす配本体系にしているつもりです。ま、すべて発達対応ですから、まずは配本を順番通りに読み聞かせをしてみる、そうすれば、いつか、なぜ、「この本をこの時点で読まねばならないか」がわかります。(ニュース一部閲覧)

連載・読み聞かせW&B
W・・・なぜ、配本の順序が大切なのか?

 B・・・ゆめやの配本プログラムは、個別になっています。そういうと会員全員が違うものと思われるでしょうが、同じ生年月日で性差がなければ同じです。でも、誕生月が違えば、かなり変化します。ほとんどは第一子の方が始めますから、おおまかには男女別2パターン、生まれ月別の配本で12×2パターンに分かれます。季節対応もしていますから、生まれ月が違えば当然、すべて変化してきます。配本プログラムが同じものは少ないですが、第一子なら基本配本が軸なので似通った配本にはなります。
 そうそう多くはありませんが、スタート時点での違いや後で弟妹が生まれた場合に微妙に変わる配本とか、地域によって入れる本が異なったりすることもあります。代表的なものとしては南半球は季節が逆転しますので、南半球の会員にはそういうことを少し考慮したりします。関西と関東でも微妙に違います。最終的には標準の配本にシフトしていきますが、その標準も小学校段階で、また読書力の差なども考慮して6パターンに分かれます。
 個性が大切ということではなく、発達には個人差や環境差があるわけで、それにできるかぎり対応して、最終的には標準的な本が読めるように持っていきたいと思っています。もちろん、配本は標準的な発達に沿って組んでありますから、その順を追って読み聞かせをしていただけば、多くはプログラムのグレードに乗って行かれると思います。

避けるべきものは避け・・・

 幼児期のテレビの長時間視聴、キャラクター玩具やサブカル絵本などを子どもから避けるようにすれば、配本選書してある地味ながら深みのある本も好きになることができます。そういう本を経れば、小学校ではかなり高度な本の読書も可能です。ですから、図書館の貸し出しを併用して、発達に不適応な本をどんどん借りてきて読み聞かせるのはあまり賢明なことではありません。発達対応のプログラムの効果はなくなってしまいます。とくに4歳以下の低年齢の子にはたくさん借りれば一冊の読み込みが減っていくので、発達を無視して借りまくることは避けていただきたいわけです。
 読み聞かせは冊数ではなく回数です。また、図書館利用に慣れると幼児では本の扱いがゾンザイになることがあります。借りれば借りるほど頭の中を通過するだけですからね・・・・物を大切にすることで内容も大切にする・・・それは自明の理ですよね。
 図書館を利用する暇があるなら、実際に外の世界でさまざまなもの(動物や植物、空や海、川や山など)を見せてあげてください。幼児にとっては、それがまた想像力を膨らませる源になります。図書館関係者には申し訳ない言い分ですが、幼児にとって借りてきて返してしまう本は「ない」も等しいものなのです。決して本屋が売りたいから言っているのではなく、幼児とはそういうものだからです。数は少なくてもきちんと順を追って読んで行ったほうが読み聞かせが読書につながっていくのは確かなことです。

W・・・なぜ、発達対応の選書をするのか?

 B・・・親は「這えば立て!立てば歩め!」の心がありますから、子どもが他の子より早く成長してもらいたいと思っています。これは原始時代からの生存競争の賜物で本能のようなものです。他の子より早く発達すれば生き残れる!という自然の原則にのっとったものというわけです。しかし、子どもは、相手をしてくれる親の快さや自分が認識できる部分(絵柄)などに心が向いているだけで、理解や内容を楽しむにはほど遠い状態にあります。でも、親が期待するような表情や態度を示すので、親としては「分かっているんだ!」などと思ってしまいます。
 ところが、あたりまえのことですが、子どもはその月齢、その年齢で「わかることしかわからない」のが普通です。たとえば、親は1歳児に字の絵本や数の絵本を与えます。「早く分かってほしい」という願いです。でも、子どもは字も数もわかりません。字や数は早くても3歳、書きや計算は4歳を過ぎても無理でしょう。もちろん、教え込めば覚えますが、それも1、2歳では無理。4歳でも楽しく読めば乗ってきますが、教え込みではまったく関心を示さないこともあります。子どもは負担に思えることは好きではないのです。
 しかも、負担に感じることにはひじょうに敏感で、小さければ小さいほど拒絶が強いのです。それが自然なのですが、親によっては「負担=努力で解消」というきれいごとの教育方針を持っている人もいて、

毎日プリント

 毎日プリントをやらされて5歳で微分が解けた子を知っていますが、それから二十数年経って「鳴かず飛ばず」です。もちろん、素質によっては優れた才能を発揮する子もいるとは思いますが、その確率は低いのです。それより、幼児期に過度な詰め込みをされて壊れるほうが怖いわけで、燃え尽きてしまうケースも多いのです。天才子役が大俳優になる確率は低く、「5歳で微分」が有名数学者になる確率も低い。確率が低いものに子どもの将来を掛けるのは危険なことです。やはり標準的に積み重ねていくことが大切だと思います。
  子どもは、生きるために周囲からたくさんの情報を吸収します。英語圏へ連れて行けばまず英語を吸収するでしょうし、日本語圏へ連れて来ればすぐに日本語を覚えます。環境が必要とするものは吸収します。言語だけではなくライフスタイルや習慣まで情報を吸い取りますが、それは「その場で生き残る」ためのもので、これまた本能的なことです。不要なものは耳や目から入れてもすぐに捨ててしまいます。同じことが、それぞれの発達段階でも起こります。だから、その年齢に応じたものを与えていくことは、とても重要なことなわけです。分かっているようでも、じつは親が読み聞かせをしてくれている快よさとか絵本の中の絵にしか関心が向いていないことが多いわけですからね。

有名な絵本「ぐりとぐら」は

 「ぐりとぐら」は3歳児に対応する本ですが、これを1歳児に与えても絵や色に反応するだけで物語の展開や出てくる言葉を楽しめることはありません。逆に考えてみましょう。1歳前に「いないいないばあ」が入りますが、これを3歳児が喜んだとしたら、ちょっと問題です。最近は早期教育の流行があって、早くから字を覚え数を覚えます。ところがですね。小学校で、おどろくほど幼稚な本しか読めない子が増えているのです。当然のことながら中学へいくと基本的な本を読むことなどまったくできなくなってしまいます。本が読めないということは深く考える訓練ができないということ・・・それも、やはり成長に合ったことを積み重ねるしか方法はないようです。(ニュース一部閲覧)

できれば避けたいサブカル環境
A状況はかなりきびしい!

 先月、このシリーズを開始したら、けっこうの多くの方から反応がありました。いずれも「何とかしたいが、避けきるのはむずかしい!」というもので、昔(二十年くらい前)に比べてサブカルが家庭にかなり浸透してきているのが感じられたのです。はっきり申し上げて、現状のサブカルチャーの影響は、人間の人格を崩壊させかねないレベルまで達しています。いやいや、もう人格崩壊にまで行っている人々も出てきています。こういう目に見えないものは、放射能と同じで、すぐに影響が出る人もいれば、影響があまりない人もいて千差万別の状態です。しかし、放射能がある限り、ジワジワと社会全般に汚染が広がっていくのと同じで、事件として現象が現れてきます。
 いまや家庭の内部まで深く入り込んだサブカルチャーは、親から子どもへ影響をしはじめます。それを端的に表す、ある父親の相談文がネット上にあったので、ちょっと長いですが。それを引用しましょう。以下が父親の相談内容(青字)です。

子どものケータイを管理できない

 「今月のわが家の携帯の料金、上がっていなかったかい?」。クレジットカードの請求書に目を通す妻に、恐る恐る尋ねました。「大丈夫よ。ほとんどが家族間での通話とメールだから、1万2、3千円くらいかしら」と妻が答えます。
 安心しました。「息子がハマっている携帯のゲームで、もしかしたら“買い物”が、かさんだんじゃないかと思ってさ」と私。小6の長男は、最近、時間があればソーシャルゲームに熱中しています。ソーシャルゲームとは、ケータイやPCで他人と通信しながら遊ぶゲームのことです。息子は友達と魔境を冒険したりするのが楽しくてしようがないらしいのです。

ゲーム世代の親はゲームに寛容

 学生のころはテレビゲームやPCゲームにはまっていました。戦国武将になりきって、日本統一のために徹夜をしていました。ゲームにのめり込む息子の気持ちもよくわかりますので、「1日30分以内ならゲームをしてもいい」という家庭内のルールを作りました。ゲームの話についていけないと、学校で仲間はずれになるような時代ですから、どこの家庭もゲームで遊ぶのは禁止せずに、一定のルールのもとで自由に遊ばせているようです。ただ、最近になって、息子が夢中になっているソーシャルゲームの未成年者への課金である「コンプガチャ」とか「リアルマネートレード」という言葉を知りました。「コンプガチャ」は、ゲーム内で課金が発生する特別の仕組み、「リアルマネートレード」はアイテムを実際に売り買いすることですが、詳しいことはよく分かりません。コンプガチャは射幸性の高さで、リアルマネートレードはゲームのギャンブル化の問題があるといわれています。

家庭内ルールで制限しきれるか

 ソーシャルゲームに対するバッシングですが、個人的には、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」というように、ゲームをやるのはあくまでも程度の問題だと思うのです。今の父親世代は、皆、テレビゲームやPCゲームが盛んになり始めた頃に学生時代を過ごし、ゲームに多少なりともはまった体験があるでしょう。あの時も、ゲームバッシングがあった記憶があります。確かに、ゲームに夢中になりすぎるのは問題ですが、ゲームをやっている最中のあのワクワクする気持ちを子供が体験するのも悪くはないな、と思ったりもしています。最近、新聞などをにぎわしているソーシャルゲームの何が問題となっているのかを、今後の参考のために教えてください。

親がゲーム世代だと、もはや!

 上の相談文を母親が読んだ時と父親が読んだ時で感想はかなり違うことでしょう。また、二十代の親、三十代、四十代の親で許容の程度はかなり違ってくると思います。ただ、おそらく、その方々に共通していることは、「世の中が認めているのだからしかたがない。うまく付き合おう」という考えもあるのではないでしょうか。学校だってIT化を進めているのですから子どもが電子ゲームをしていても否定しません。政府は「アニメも文化で花形輸出産業だ」と言うくらいですからサブカルは推進する側でしょう。そういう中で、みんな、「ゲームは夢中になるといろいろ危険だが、回りとの関係も大切にしながら、楽しく遊ぶ」という「しなやか」な考えになっていると思います。
 しかし、そこでは、この主のサブカルチャーがもたらす負の側面については目をつぶっているか意識がなされていないわけで、これはもうお話にならないほど深刻なことになっているわけです。

数字が示す急速な浸透

 私は、家庭や父親たちの背後には「とても防ぎ切れない絶望感がある」ように思います。私だって十年前は「サブカルを避けないと人格まで影響を受けて大変」という主張をしていましたが、いまや「できれば・・・避けたいサブカル環境。できればでいいのですが・・・」と、ほとんど投げています。しかし、「ゲームをやっている最中のあのワクワクする気持ち」など分からない私は、今でも「悪影響が出てくる、いやもう既に出ている」と思っています。かつてのゲーム専用機で遊んでいたって、性格異常が現れるのですからね。おそろしいほどサブカルチャーの登場と台頭、普及と浸透にリンクして特徴的な事件が起こっているのです。これにつては次回以降で解説しますが・・・・。
 いまや、子どもが手にしている情報機器は親が手がつけられない闇の部分を抱えてしまっています。もはや親が、PCやスマホでダウンロードしたゲームの管理を時間的にも金銭的にもできるわけがありません。操作は親より子どものほうが優れていますから、すべてがすべてではないですが、際限なくハマっていく可能性も大きいのです。私自身、そういう子どもを何人も見てきましたし、知っていますが、大人になって大変なことになる(二十歳過ぎた子に親が頭を痛めている)ことも多いのです。子どものうちはゲーム狂いもかわいいものなのですが・・・。ゲーム産業側は儲かれば何だってやりますから、あの手この手で迫ってきます。2011年には、ゲームソフトの売り上げが機種別ではPSPがトップ、企業別ではニンテンドーでしたが、何と全体で5000万本以上売れているのです。5000万本ですよ。平均価格が、五千円〜一万円ですから2500億円から5000億円・・・国の大型公共事業より大きいのですから、こりゃあもうウハウハものです。野球チームくらい持てる利益。もう持ってるか。さらに中古品市場やダウンロードものも増えてきているので、すぐに1兆円規模になるでしょうね。ゲーム機の売り上げ、ケータイの使用料を加えれば政府が言うとおり、輸出によっても儲かる巨大な産業です。書籍は2011年は復興関係の増加で1兆円を超えましたが、サブカル本や写真集なども多く、基本的な本らしき本は総売り上げの40%未満にとどまっています。すごい話の出版状況なんですよ。
 さらにPC、スマホを子どもが使い始めれば、精神面への影響ばかりではなく浪費も起こるし、これは小さなコンピューターですからアダルトサイトにも出会い系にも容易にアクセスできます。そっちの方面でも問題が起きるでしょうが・・・さらに深みにハマれば麻薬関係の情報掲示板へも行けます。それでも「うまく付き合うことができるか」・・・後の祭りでは遅いのですがね。(新聞一部閲覧)



(2012年6月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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