ブッククラブニュース
平成24年9月号(発達年齢ブッククラブ)

三丁目の夕日

 ゆめやは甲府市屋形三丁目にある。東にも北にも西にも山があって、日の出・日の入りは山から山へだ。真っ赤な太陽が南アルプスの山々の稜線をクッキリ描いて沈んでいく光景は息をのむほど美しい。
 夏の終わりの九月初め。六月に植えたブーゲンビリアの花の赤も心なしか黒ずんでいる。まだ暑いのだけれど何となく草花の勢いがなくなり、自然の疲れのようなものが浮かび上がるのもこの季節の特徴だ。風もまだまだ熱風だけれど、その風に乗ってアキアカネが飛んでいたりする。こんな風景は夕日の中で一番感じることができるわけで、この時期、ゆめやのある「三丁目の夕日」も美しい。夕方、店のドアを開けると西の空が茜色に染まる風景は壮大で、あまりにも美しく変化する赤や橙色に見とれてしまうことがある。

時代は変わる

 ただ、私が子どもだったころ、この時間は買い物に出かけるおばちゃんたち、帰宅するおじちゃんたち、その合間を縫って遊ぶ子どもたち・・・と・・・通りがにぎやかな時間だった。しかし、今では通りには人通りもない。帰宅する人々の車で混雑するのはもっと暗くなってからのことだ。子どもの声は一日中ほとんど聞こえない。時代が変わっていく様子がハッキリ浮かび上がるのもこの時間だ。
 山の中の絵本屋は夕方になるとお客が来なくなるので、まばゆい夕日の中を散歩に出ると曼珠沙華が真っ赤な花を付けていたりする。考えてみれば、この時期の色の記憶はほとんど「赤」だ。もちろん、その赤にもいろいろな赤がある。その赤が妙に季節感の中に際立っているのは、子どものころに見た色も匂いや味と同じで、感受性や記憶の原型になり、個人の人格を形作る大切な要素なのかもしれない。

赤にもいろいろある

 ところで、色と言えば・・・娘が小学校高学年のころコナン・ドイルの「緋色の研究」を読みながら「緋色ってどんな色?」と聞かれたときに、愕然としたことがある。すべて、娘たちの世代では「赤は赤じゃん!」で、ただの「赤」という言葉でまとめてしまう時代になっている。物事の形容表現など、すべて「かわいい」という形容詞でまとめてしまう時代だ。まったく感受性も表現も貧困だと思う。
 赤、朱、赤丹、緋、紅、茜・・・これらがさらに細分化された日本語の形容表現は国語の学習ではわからず、文学を読み、言葉を知り、そして実際に見なければどんな色なのかわからないのである。深紅、紅朱、深朱・・・から薄紅まで・・・日本語の表現は深い。小さい時に見ていた色、匂い、音・・・それが言葉に触れたとき感受性も人格も増殖するような気がする。もちろん体験だけでもいいが、表現の獲得も大切なことだ。「とにかく伝達できればいい」というグローバリズムは、ひょっとすると人間をどんどん劣化させてしまう可能性があるのではないか、と心配になる。
 日本語には、同じものでも多様に表現する言語が多い。芥川龍之介の作品には、このような表現の多様性がふんだんに盛り込まれていて、色も伝統表現でのそれこそ多くの表し方がされている。もはや日本語では死語となってしまったような表現・・・たとえば水色・空色・青鈍色・・・そのほか萌木色、山吹色、亜麻色、鶯色・・・これらの言葉から今の日本人がどのくらい、その色をイメージできるだろうか。
 これは色だけではなく、他の形容でも同じことがいえる。

言葉と感性

 夕日が照る時間は「夕方」だが「黄昏」という表現もある。「夕方」とは単純に日没が近づき暮れていく状態。しかし、「黄昏」は、そんな物理的な経過ではなくて、さまざまな意味を含む表現だ。さみしさもあれば「成ってしまった」状態も含む。これも夕方になって物寂しい体験がなくては感じ取ることができないものだ。原色のアニメビデオ、底の浅い語彙ばかり使うマンガ、こんなものばかり見て育つ子どもたちには感性の幅も表現の緻密さもが広がらない。
「緋色」を知らなかった娘は、学校を出てから書くことを仕事にしてようやく大量に読み始めたが、親としては幼いころにもっといろいろな場所を体験させて。感性の原点になることをたくさんさせておけばよかったという後悔もある。私が過ごしてきた時代と娘が過ごしてきた時代は、あまりにも急速な環境の差と変化があって、ゆるやかに子育てしたような気がするものの、実際には私の子ども時代よりはるかに何も体験できない時代を過ごさせてしまったように思うからである。知識や情報を与えるのではない子育て・・・これは子育てというより、環境から子ども自身が受け取っていくことなのだが、あまりにも人工化された周囲、自然が感じられなくなった生活・・・こういうなかでリアルな体験をしていくのは・・・むずかしい時代だ。
 学校教育は、このような日本の独特の表現や自然関連の語彙を軽視してきた。写真はゆめやの裏山から見た甲府盆地の夕暮れだが、「黒鉄色の山々を紅に染めた夕日が沈んでいくと、空は濃い群青色に変っていく」・・・わけだが、今の子どもたちは、この言葉から想像した風景にどのような色を付けるのだろうか。(ニュース九月号一部閲覧)

私の原発ゼロ論

 昨年、この新聞の四月号で原発について「実際にはまったく、こうした危険が配慮されずに、このまま行くことでしょう。」と書きましたが、意外にも国民の多くが原発事故に関心を持ち、意思表示を始めています。毎週金曜日に首相官邸周辺で大規模な原発反対デモが行われるということは予想できなかったことでした。政府発表を信じるかぎり、放射能で死んだ人もいなければ、放射能汚染された食物もほとんど出て来なくなったのに、反対運動が盛り上がっていることは予想外です。「日本人もバカにしたものではないな」と思ったのです。
 昨年、6月11日に甲府でも反原発デモが企画され、甲府駅から東電甲府支店まで集まった150人がデモをしました。主催者側にいた私は「エッ!たったこれだけの人数?」と思ったものでした。ちょっとおもしろいチラシを作って、すれ違う通行人に渡したのですが、受け取る人も少なく、ガッカリでした。まだ余震がちょくちょくある頃だったのに、です。三か月後の9・11にもデモが行われましたが、100人くらいに減っていました。それからは、「こりゃダメだ。やはり日本人はおとなしい!」と思っていました。強引な政治が行われたときに民主主義を発揮するにはデモしかないのです。これはヨーロッパでは当然の権利として行われますが、どういうわけか日本では民意の表現をデモで行うという人がほとんどいず、行うと冷たい目で見られているようです。

3・11は国の嘘を露わにした

 フクシマの原発事故は、国が隠蔽してきたものを明るみに引きづり出したように思います。それは、国民全体が自分の力で感じ取ったともいえる事件であったと言えるのではないでしょうか。多くの人が日本に54基も原発があることを知りませんでしたし、原発自体がお湯を沸かしてタービンを動かす原始的な蒸気機関であることも知りませんでした。
 それが、立て続けに4つも放射能漏れを起こす、メルトダウンする・・・巻き散った放射能は広範囲にわたり、海には深刻な汚染が広がる・・・それでも国は必死にごまかそうとします。そりゃそうですね。この発電は儲かるのです。
 しかし、多くの国民は、去年の春、国の嘘と隠蔽を知ってしまった。そして、いまもメディアは国の片棒を担いで何事もなかったように「豊かで平和な国」を演出しています。
 ところが毎週、十万人規模の反原発デモが行われている事実。なぜ、これをテレビも新聞も取り上げないのでしょう。報道せずにスポーツや芸能でごまかすテイタラク・・・民意をメディアが抑え込もうとしているかのようです・・・・でも、そうしたこともおそらく「嘘」として見抜いている国民が多くなっているのでしょうね。安全神話が崩れた結果、意識の高い人が次世代、子どもの未来という視点から事故を考え始めたのだと思います。

ゼロどころかマイナスでも

 さて、私個人の原発に対する意見はゼロにするどころかマイナスにしても釣り合わないと考えています。と、いうのは、ゼロにしたところで、これまでの使用済み燃料が消えてなくなるものではありません。今年出た使用済み燃料が十万年後に危険がなくなっても、来年また出れば、危険がなくなるのは十万一年後、今年で止めて来年出さなくても九万9999年後まで危険なのです。この使用済み核燃料をどうするかを考えたら原発ゼロだなんて悠長なことを言っているわけにはいかないのです。
 ところが議論は、0%、15%、30%の稼働だなどといかにも役所が考えたような安直な意見集約のガイドラインで進められています。これは原発をなくしたくない側の人たちが何とか原発の延命策を工作したものとしか思えません。もう日本国民のかなり多くの人たちが原発はいらないと考えているので、そこをなんとか%で考えて残存しようと思う「さもしさ」が見えてきます。

未来を考えない行き方

 「電気料が上がるぞ!」「経済成長が止まるぞ!」「不便になるぞ!」という脅しもまた頻繁です。ここでは何もかも先送りにして儲けを維持したいという気持ちしか見えません。廃炉とか何%を動かすかということではなく、使用済み核燃料についてのおおもとの重要な議論がほとんどされないということは、問題の根本を考えないで先送りするだけのことと言われても仕方ないでしょう。使用済み核燃料を後世までどういうふうに保管・維持するのか・・・これが決まっていない。おかしくありませんか、何万年も放射能を出し続ける廃棄物が溜めこまれるということを誰も議論しない。あまりにも先のことなので考えてもしかたがないというのなら、これは次世代、そして未来に対して無責任極まることです。
 政府は2030年に「原発0」を掲げましたが、これだって選挙向けのパフォーマンス、勝てば平気で反故にするでしょうし、負ければ他の政権が現状維持、それ以上を推進するかもしれません。国民の目はふさがれたままになります。

何のためにプルトニウムを貯めるのか

 もし、この核廃棄物を再利用することが可能なら保管の問題はないかもしれません。でも、高速増殖炉はまったく成功していません。これは世界中でうまくいっていない事実です。そうなれば、地中深く埋めるか、ロケットに乗せて宇宙へバラまくか・・・それも決まっていません。音楽家の坂本龍一さんは「核燃料処理工場からは、通常の原発が三百六十五日で排出する放射性廃棄物が、わずか一日で排出される」ということを知って「ストップ・六ヶ所」というプロジェクトを立ち上げたそうです。貯蔵の背後には核軍備の意図があるという疑いだって持たれています(これについては昨年3月14日にHPに書いた特設記事参照)。宇宙開発もけっこうですが、あの打ち上げロケットの先端を核爆弾にすれば大陸間弾道弾ですから、一方で平和利用の電力開発、裏では核軍備、つまり原発は二重目的を持つものとなります。
 たしかに3・11以降、かなりの嘘が透けて見えてきました。政府や多くの電力会社のごまかし、隠蔽作の多くも国民の目には見えています。さらに、その奥に「軍備」のようなものがあるとすれば大変なことでしょう。
 原発の存在が、廃止したら食えなくなる人を作ってしまうように核産業や武器輸出産業ができれば、そこで働く人もたくさん出てきます。同じようにならないためにも、原発は0だと思います。原発を0にしないと核兵器産業が頭をもたげてきます。大きくなれば原子力発電事業と同じように食えなくなる人が出て来るので、推進する人たちは既得権を守ることでしょう。
 実際、福井県の西川知事は政府の原発0を「電気料金が上がるぞ」と脅して撤回を要求し、政府の方針となった「高速増殖炉もんじゅの廃炉」も「到底受け入れられない」と抗議しています。莫大な核燃料税や付加金が入ってこないと困るからです。その裏には電気を膨大に使う企業や財界がいるのでしょうね。県民の安全よりお金・・・すごい話です。国も国民の安全より経済成長でしたが・・・その限界も見えてきています。
 なぜ、電気をあまり使わない社会への移行を考えないのでしょう。40年前までは、私たちはそういう生活をしていたのです。

危ないものが水面下で

 事故さえなければ、これほど儲かるものはない原子力発電・・・そりゃあ、やめたくない欲の深い人たちも多いでしょうが、子どもたちの未来の安全を考えればどう考えても0でしょう。津波や地震だけが原発の脅威ではありません。世の中には原発に向かってミサイルを撃ち込んだり、爆弾を仕掛けたりする人たちだっているのです。ふつうのミサイル、ふつうの爆弾でも原子爆弾になる・・・これが原子炉です。起こったら想定外ではすまされません。原発が存在しなければ過酷事故は起きないのですから。原発0は国を危険にしない正しい方向だと思うのです。
 フクシマの被害はいずれ目に見えてきますが、原発から半径20〜30km(それ以外の場所でも)はおそらく五十年から七十年は住めない場所になることでしょう。「除染して・・・」というと聞こえがいいですが、放射能を水に流すだけ・・・なくすわけではありません。海の汚染も計測していないだけで、かなり深刻なことでしょう。福島沖だけの汚染なんてことがあるわけもありません。太平洋は還流する大洋なのですから。
さらにチェルノブイリのことから考えれば、甲状腺がんなどが発生するのは、これからのことです。
 原発・・・兵器産業・・・こういうものを作ったこれまでのリーダーたちのテイタラクも見えてきています。いま私たちに必要なのは、「一人の力では何もできない」という諦めではなく、みんなが疑問と批判を発言していくことだと思います。とにかく、原発0はやればできるのです。あまり電気を使わないゆるやかな経済の国はつくれます。日本人は節電だって真面目にできる国民なのですからね。儲けたい人たちの「向こう見ず」に次世代を考える人たちがどう立ち向かうか、それで、この国の未来も子どもたちの将来も決まるような気がします。(新聞九月号一部閲覧)



(2012年9月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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