ブッククラブニュース
平成25年3月号新聞一部閲覧 追加分

浜田広介を考える

 2013年3月10日、「星ねこさんのおはなし」(のら書店刊)で「ひろすけ童話賞」を受賞した仁科幸子さんが大月市立図書館で講演を行い、そのあと仁科さんがコーディネーターになってパネルディスカッションが行われました。この講演とパネルディスカッションの企画は、大月市立図書館の石井淑造館長の肝いりで企画されましたが、何と館長自ら甲府の我が家にまで足を運んで、ディスカッションのお誘いをいただいたのは恐縮なことでした。この時代に人と人とのつながりを重視することは、まことに浜田廣介をテーマにするうえで大切なことだと感じました。
 ディスカッションの内容は「ひろすけ童話に見る、子どもの心と今の子どもたち」です。パネリストは、私と天野ますか先生(大月の元小学校司書)、仁科美芳先生(猿橋幼稚園園長)。以下、シンポジウムで発言したことや、「ひろすけ童話」について考えてみたことをまとめてみました。
 3月10日・・・明日で震災から二年・・・この日、大月は朝から強風で、ものすごい量の花粉や黄砂、さらに、なんだかわからないアルファベットの物質が飛ぶ中を駅から市立図書館まで歩きました。ふつう花粉が飛ぶ時期は喉がやられるので外には出ないのですが、仁科さんが「ひろすけ童話賞」を受賞!です。「何はともあれお祝いをしなくては、」という次第でした。この賞は、浜田廣介の精神が大きく反映されている賞で、児童文学作家にとっては、その作風を評価される名誉ある賞なのではないか、と思っています。何はともあれ受賞おめでとうございます。

子ども時代の重要性

 これに先だって、仁科さんが「私の子ども時代」と題して、「自然からどのくらい感性をもらったか」を講演してくださいました。新潟の豪雪地帯で過ごした子ども時代、山梨、福島の自然体験や家庭生活が作品を生み出す元になっていた感性をつくりだしてくれたことを語られました。もちろん、さまざまな物語を読み、空想力を養ったことだと思いますが、物語を読んで、そこから何かを感じ取る力は「子ども時代にどれくらい感受性を高めたか」にかかっています。
 子ども時代の成育環境の重要性について、ブッククラブのニュースで、毎回のように触れているので、私がいまさら述べる必要はありませんが、仁科さんのお話を聞くと、物語から何かを得るのはひとえに「子ども時代に形造られた感性の力によるものだ」ということに気づかされます。多くの親は、文字が読めることや大量に速く読めることに読書の目安を置きますが、読書力はそういうものでは形造れないということも確信しました。この意味では早期教育はほとんど意味がなく、自然の中にいて、自然を見て、読みとる力を高めていく・・・これが大切なことなのだと思います。

本を読むということ

 学校で行われているような読書推進の試みや行政主導の読み聞かせ運動のようなものの前に、まず親が、家庭が、感受性を培う成育環境を与えることが不可欠だと思いました。
 これについてシンポジウムで、猿橋幼稚園園長の仁科美芳先生が、「子どもたちは絵本から読み取るのではなく感じ取っていること」をいくつかの例を挙げて教えてくださいました。そして、仁科幸子さんの本のほとんどが自然描写で、そこには色やにおいなどの表現が多様にあり、そこから子どもは何かを感じ取るというのです。たしかに浜田廣介の話も、小川未明の話も、そういう自然表現がたくさんあって、私たちはその表現を読みながら何かを頭に浮かべていきます。それを感じてから物語の展開に引き込まれていくというわけです。
 仁科さんの「星ねこさんのおはなし」も、そんな自然描写が満載です。読んだ子どもは、まずその世界に引き込まれ、やがて、テーマを感じ取ることになるのでしょう。これが「ひろすけ童話賞」を受ける十分な下地が作品の中に流れていることは、子どもの方がわかっているかもしれません。

いろいろな賞がありますが・・・

 賞といえば、芥川賞とか直木賞は有名ですが、私は、受賞作を見て(?)いて、「これはひどいもんだな」という読後感が、ここ十数年続いています。この初めは「赤ずきんちゃん気をつけて」だったでしょうか。逆に読者がテーマすらわからない難解な言葉を多用したものも多い。また、暗くハチャメチャで破滅的なものも多いのです。どこにも希望が見えません。シングルマザーが子どもを産んで、とか、リストカットをする、とか、ほとんど精神病の世界を描いていて「子どもには読ませたくないもの」が平気で受賞されます。時代を映した鏡といえばそれまでですが、なんとも作品的価値を見出せません。
 なにより作者が何をいいたいのか、あるいはどういう姿勢を世の中に示したいのかさえわからないのです。その相容れないものたちが起こす事件や社会現象を描いたのが最近の芥川賞や直木賞受賞作品ですが、読めば読むほど先が見えず、書いた作家が我々のいるくらいトンネルの出口を示してくれているわけでもない・・・・解決の糸口すら語られません。こんなものを子どもには読んでもらいたくないというのが正直な感想です。
 ところが、芥川、直木賞を取った作家の地元が、鬼の首でも取ったように「郷土の誇り」と騒ぎ立てる・・・それを読んだのか読まないのか知りませんが、テレビ・メディアもきちんと見定めずに垂れ流し報道をする・・・まったくおかしな風潮です。もう、世の中、ほとんど価値が転倒してしまっているのかもしれません。

戦後は否定された「ひろすけ」

 しかし、この「ひろすけ賞」は、もともとそういう性質のものではなく、世の中に光を与える作品を見出そうというものです。ですから、この賞を仁科幸子さんが受けたということは、ハチャメチャな時代に光を投げるものであることが認められたということで、私はとてもうれしく思います。
 浜田広介は、「泣いた赤鬼」「龍の目の涙」「椋鳥の夢」などで有名な作家です。しかし、彼は、後で話すように戦後児童文学の世界で小川未明とともに、戦後の進歩的児童文学者によって否定された人でもありました。否定した方々は、「ダンプえんちょうやっつけた」などの作者・古田足日さんと今年2月14日にお亡くなりになった鳥越信さんです。後半で、この二人が浜田・小川批判を展開したことは詳しく述べますが、これは、戦後の日本人、および児童文学が深く考えなければならない重要な事実だと思います。
 つまり、なぜ浜田広介や小川未明は否定されたのか・・・これは「戦後民主主義」と深い関係があるように思えます。しかも、私たちは、「戦後民主主義」の延長線上にいるのです。そして、これを考えないと、現代の現象、イジメや孤立などの社会問題、さらには、あの震災や原発事故もふくめて、これからの日本の行方が見えなくなるような気がしています。。決して大げさに言っているのではありません。怖いものは見ないようにして生きるというのはダメなんです。向き合わねば!・・・戦後民主主義は怖いものは隠し、人々はきれいなところばかり見てきました。3・11以降・・・多くの人々が、それでは本当の意味で日本の課題を乗り越えられないこともわかってきています。

「星ねこさんのおはなし」

 さて、仁科さんの受賞作「ちいさなともだち〜星ねこさんのおはなし」を、ひろすけ童話と考えると、さまざまに共通点がありますが、まず「相手を思う」という一致点があります。
 「星ねこさんのおはなし」では、猫と魚という「相容れない存在」が「交流を通して、相手を思いやる」という気持ちで描かれています。それも一方的な思いではなく、お互いを思う気持ち。この展開が、浜田廣介が描く世界との大きな共通性のように思います。赤鬼と青鬼とそれを読む読者、龍と男の子、きつねとおばあさん、さまざまな相容れないものが心を通じ合うようになるのが「ひろすけ」童話の基本的な流れですが、仁科さんの作品の多くが、やはり「心を通わせる」「相手を思う」ということで描かれていることを考えると、まことに時代を越えた一致点が浮かんできます。
 仁科さんは、こういう物語をなぜ紡ぎ出せたのでしょうか。あるいは、なぜ猫と魚が一年もかけてわかりあっていく展開にしたのでしょうか。「星ねこさんのおはなし」では、猫と魚が一緒に過ごす時間で心を通わせていくことが描かれます。「一緒に過ごす時間」が、「相手を思いやる」という結果を生んでいくことも、重要なポイントです。忙しい現代、親も子も生活に追われ、一緒に過ごす時間を失っています。それは「絆」が切れていくことであり、孤独な人間が増えることでもあります。人は豊かさの中で「何かしてもらうこと」ばかりを考え、便利さの中で、自分から相手に、あるいは世の中に何も働きかけない状態になっています。お互いが認め合って、心を通わせるのには時間もかかりますが、現代社会は、その時間さえ与えてくれず、人間関係は切れるばかりです。そして、その結果、おそろしい事件も多く起こっています。
 仁科さんの作品には表面から受け取れないかもしれないのですが、そんな「時代性」を考えたものがこれまでのものでも多いのです。この作品が、どこで「ひろすけ童話」とシンクロしているのか、それは、やはり時代を見つめていかないとわからないことなのかもしれません。

グローバリズム

 ここ十数年の日本はグローバリズムにさらされて、さまざまな形で「相容れないもの」がまじりあうようになってきました。善と悪、外と内、意識と無意識・・・バカとリコウもそうでしょうし、欲と無欲や豊かさと貧困など・・・価値観が多様になったばかりではなく、基準がなくなってダブル、トリプルの基準が生まれていますから、混乱が起きるのは当たり前のことでしょう。とにかく、かつてはあまり差異のなかった日本に多くの「相容れないもの」が併存し始め、ズレや暴走を形作っているのが現代です。さらに、おもしろい現象は、何もかも認める、肯定するという傾向です。悪事を働いた人も肯定されたり、どうしようもないものも認められたり、いわば価値の世界でも「なんでもあり」が横行しています。そういうふうに感性を鈍くしないと生きられない世の中になってきたように思います。でも、これは、昔もあったことなのかもしれません。つまり、現象としての共通性が廣介の作品と仁科さんの作品にあるわけです。
 廣介の作品に登場する「相容れぬもの」を見ていると、戦争に向かっていく時代に歪んだグローバリズムがもたらしたさまざまな「違和感」が見て取れます。おそらく廣介が生きた時代も、相容れぬものが、かなり多く混在していたことが想像されます。現代と似たような社会状況にあったのではないでしょうか。そして、それを乗り越えようとする思想が廣介の頭の中にはあったのではないでしょうか。

「龍の目の涙」の重要性

 たとえば「龍の目の涙」ですが、これは1941年に書かれたものです。1941年といえば、昭和16年・・・太平洋戦争開戦の年です。作品では、この舞台が『南の国』とされていますが、あきらかに中国です。偕成社版・いわさきちひろ絵の「りゅうのめのなみだ」では、明確に中国であることが描かれています。龍は中国の象徴であることは誰が見ても一目瞭然です。人々は龍を怖がっているのですが、怖がる周囲の人々(中国人ということになっていますが)は、じつは日華事変を経てきた日本人なのかもしれません。つまり、この「周囲の人々」は、国家の宣伝で「龍は怖い!と刷り込まれた人々」です。「龍の目の涙」の背後には、そういう時代状況があるわけです。ところが男の子は龍を怖がりません。
 もうお分かりだと思いますが、ここにはグローバリズムによる混乱(国家間がしのぎあうことから生まれる疑心暗鬼)を乗り越えるエレメントが語られています。テレビやメディアが、「あの国は悪い国!」と言って煽ると私たちは悪い国と思ってしまいます。そして、「恐ろしい国」「なんとかしなければならない国」という刷り込みが始まります。考えても見てください。国には人がいます。すべての人が悪い国などあるわけもないのです。しかし、刷り込みが始まると、誰もが「あの国は悪い国」「あの国の人は悪人!」と思ってしまいます。自分の国のことは棚にあげて・・・・。
 ここで最初に述べた「花粉とか黄砂とか、なんだかわからないアルファベットの物質」のことを考えてください。アルファベットの物質は中国から飛来してくるPM2.5ですが、日本のメディアは「中国の高度経済成長がもたらした公害」と言い、かなり危険な物質であると喧伝しています。しかし、40年前・・・日本も同じようにオキシダント濃度の高い窒素酸化物を出していたことになど触れません。いやいや、二年前にヒロシマ型原爆の168・5倍の放射能がまき散らされたことなどどこ吹く風です。他国のことは悪く言い、自国のことは頬かむり・・・というのは、国民に仮想敵を怖がらせることで国をまとめようという操作です。対立軸をはっきりさせるやりかたは、じつに子どもっぽいのですが、この国は近代〜現代にかけて平気でやるようになってきました。戦前も戦後もです。ここでは、相容れぬものをつないでいく思想は否定されているようです。

安っぽい善悪観

 その下地が、子どもから大人までつくられています。バイキンは悪いと決めつけ、自分こそ正義というようなわかりやすいアニメもあります。そこでは正義の味方は、自分がイースト菌でできていることさえ知らずにバイキンを嫌います。こんな浅薄な善悪観でできたアニメが平気で幼稚園、保育園で使われているのです。地球を救うドラマでも怪獣は悪者で、〇〇マンは正義の味方・・・大乱闘の末、相手をやっつけてガレキの処理もしないで飛んでいく〇〇マン・・・子どもをそういうもので育てたくないですが、この国の大人は多くの人が認めるものは「善」として無批判に受け入れ、やがてゲームソフトの善悪ものになっていき、学校も教師も判りやすい対立図式でしかものを見ないで、容認しています。この背景には、大人の世界ですら、三つ葉葵の印籠を出した人が正義、出された側が悪となる刷り込みも長い間されています。
 ここでも「怖がらせることで相容れぬものを作っていく」意図が働いているのではないでしょうか。。いまや、こういう風潮は親の間でも一般化してきて、批判をする人を「変っている人」として囲い込み、異質を排除しようとします。バイキンを怖がる、代官さまを怖がる・・・仮想敵国を怖がる・・・・・。こういう意識と価値観でこの国の現在は覆われていると思うのです。
 でも、「龍の目の涙」に出て来る子どもは「龍」を怖がりません。相手を怖がることによって悲惨な戦争が開始されるというのは世の常ですが、浜田廣介描く「男の子」は龍を怖がらない。それが龍の目から流れる涙という結末を生み出すのですが・・・・そして、すべてを柔らかなつながりでまとめていくのですが、現実の歴史はどうだったでしょうか。「龍の目の涙」とは、まったく違います。これを太平洋戦争前夜に描いた力は、ものすごいものがあると思いませんか!。
 さらに私が言いたいのは、「少年の周囲の人々の描き方が重要だ」ということです。怖がる人々・・・これが我々日本人なのかもしれません。これも後で書きますから、覚えておいてください。

惻隠の情

 ディスカッションで仁科さんが「浜田廣介の作品を一貫して流れているものは何か?」ということをお尋ねになりましたが、私は「弱いものや理解されないものを思いやる心です」と答え、そのキーワードは「惻隠の情なのではないか」と言いました。
 「惻隠の情」とは、孟子が唱えたもので、江戸時代に、この国に定着した日本人の精神性のひとつでしょう。ただ、この精神は戦後、急速に失われ、昭和四十年代には消えてしまったものでもあります。
 もちろん、まだ少しは日本人の中にはその気持ちが残っていて、それを懐かしむようなところがあります。たとえば映画では「男はつらいよ」の寅さんや「ALWAYS三丁目の夕日」の鈴木オートの社長など下町の人々で描かれる心情に、私たちは共感を持ち、拍手を送ることがあります。
 お節介にも相手に同情し、心を痛め、それが笑いになる展開。・・・・この古い精神性がどこか懐かしいものを感じさせていますが、これは、かつての日本人が、あたりまえのこととして世の中で発揮していた対人関係の気持ちだったと思うのです。

人の気持ちに寄り添う

 辞書を引くと「惻」は、同情して心を痛める意。「隠」も、深く心を痛める意。したがって、人が困っているのを見て、自分のことのように心を痛めるような、「自他一如(いちにょ)」の精神を表す言葉です。相容れぬものでさえ心をつなげていく気持ちが、この「惻隠の情」というものなのではないでしょうか。「思いやりの心」と言えば分りやすいのかも知れませんが、それだけでは十分に表せないもっと深い情愛を満たす言葉が「惻隠の情」だと思うのです。孟子も高い理想主義を掲げて人間の結びつきを考えた思想家でした。どうすれば「善」が達成できるか・・・人がお互いに思いやりを持つ世の中になるか・・・さまざまに相容れぬものが戦い合っていた中国の戦国期に人々を何とか「善」に向けるために奮闘したのが孟子や孔子だったのです。「人間には相手の心の痛みを共有する気持ちがある」ことに着目して「惻隠の情」というものを儒教のひとつ要素として組み入れました。
 しかし、中国古代の戦国の国家は、互いに「国益」のために無意味な殺戮を繰り返し、人は人を疑い、いつ出し抜かれるか、いつ覇権を奪われるか・・・戦々恐々の中で競争を激化させていました。
 孔子や孟子の言うことなど聞き入れる余地もなく、「惻隠の情」など影をひそめていたのです。現代の社会も、お金が万能になり、利益のためなら何でもやる風潮が出てきました。人の心などどうでもよく、とにかく一儲け、一儲け・・・人の心の痛みなど考えもしない社会・・・表面的には「絆」だことの「連帯・団結」などが叫ばれますが、ほんとうに人の気持ちに寄り添う世の中ではないようです。「惻隠の情」など、その言葉さえ誰も知らない時代になってしまったように思います。

大月には・・・

 浜田廣介は、「惻隠の情」がまだまだ色濃く残っていた明治に生まれ育ち、その気持ちが消えてしまった昭和48年に生涯を閉じています。しかし、その生涯とダブる時代は、福沢諭吉の近代思想で日本が列強と覇権を争う国家をつくる時代でもありました。当然、相容れぬものが充満して、世の中は騒然とし、やがて太平洋戦争という破滅を迎えます。こういう時代状況の中で「人間の結びつき」「思いやる心」を作品に残していた人がいるということは、ほんとうに救われる思いです。
 ところが、この浜田廣介と時を同じくして「惻隠の情」を多くの文学作品にした大作家が生まれているのです。しかも、ここ、大月で、です。三遊亭小遊三さんではありませんよ。大月市初狩町出身の山本周五郎です。「さぶ」「かあちゃん」「赤ひげ診療譚」・・・読んだ方も多いと思います。いずれも「惻隠の情」が細やかに描かれた作品です。思いやる心、相手の痛みを共有する心・・・これらの作品を読まない方でも映画やドラマで見た方もいるでしょう。大作「樅の木は残った」の原田甲斐など、まさしく周囲から悪者呼ばわりされても「思い」を貫く人でした。「泣いた赤鬼」に出てくる青鬼とダブルイメージになります。こういう作風は「ひろすけ童話」ともシンクロしているようです。同時代を生きた作家だからでしょうか。

戦後民主主義が嫌うもの

 「泣いた赤鬼」でも同じです。自分が悪者になっても友人の気持ちを大切にするという「相手を思んばかる心」・・・ただ、ここでもう一つ描かれている重要な表現は、「村人の意識の低さ」です。してもらうばかりで、自分からは何一つしない意識の低さ。日本人の「ぶるさがり根性」をよく表していると思います。自分からはなにひとつしないで、「何かしてくれ!何かしてくれ!」とばかり言う根性が「ぶるさがり」。そのくせ、異質なものを排除していく残酷さ。小川未明の「赤い蝋燭と人魚」を読んでみてください。そんな村人たちの残酷さがおどろくほど克明に描かれています。そして、その結果の「おどろおどろしい恨みの末」の結末も・・・・。
 廣介や未明が描く村人=日本の大衆・・・これが、戦後の民主主義にとってはおもしろくないものだったのではないでしょうか。おそらく、60年安保に続く進歩主義的な動きだったと思うのですが、未明や廣介の作品の底流に流れる一般大衆の描き方に違和感を持ったのが、「民主主義」を標榜していた進歩的あるいは左翼的な人たちだったのではないかと思われます。
 鳥越信さんや古田足日さんが「(未明や廣介の作品は)未来への展望がない!」と一蹴した「少年文学宣言」は有名ですが、「浜田や小川の一般大衆を無視したり貶める表現など許せぬ!」というのが戦後の児童文学運動の中で支配的だったことは事実でしょう。戦後は「大衆」の時代だからです。しかし、その戦後民主主義が個人の自由を無制限に拡大し、結果、人間関係の分断やモラル・ハザードを引き起こしていることは現代を見ればあきらかです。
なるほど、廣介や未明が描いていたのは、江戸時代から続く儒教的な感情や気持ちの表現にあったわけで、二人は、それが現代(明治から昭和)に必要だと思ったからこそ書いたのだと思います。しかし、進歩主義的な作家たちには、この表現は古臭い倫理観の表現と映り、時代錯誤に見えてしまいました。「これからは民主主義の時代で一般大衆が主役なのに、廣介や未明が描く村人や大衆は相変わらずムラ意識の、拙劣な人々でしかない・・」と思ったことでしょう。
 それは、まさにあの学生運動が伝統や歴史をすべて打ち壊そうとした勢いに似ていました。

仁科さんの問い

 私は、以上のような視点で廣介や未明を見ていたのですが、ここで仁科さんが・・・「ひろすけ童話は、古いようで古くないと言われるのは、どうしてだと思いますか? あるいは、ひろすけ童話が現代にまた復活すると思いますか?」という問いを投げかけてくださいました。
 これは、難しい問題です。「ひろすけ童話」を古いと思っているのは、先述の進歩的な「戦後民主主義者」だと思いますが、「人を思う心」を必要とする人々は「ひろすけ童話」が持つテーマを決して古いものではなく、普遍的なものと考えます。古くないというより現代には必要なのです。
 問題は、「現代社会が必要とするかしないか」ということでしょう。
 開店以来、「ないたあかおに(偕成社版)」「りゅうのめのなみだ(〃)」をブッククラブ配本に入れてきましたが、ここ十年、親からも子からも際立った反応が返ってきません。ときおり、お母さんに聞くと「なぜ、ここまでして、赤鬼を助けるのかわからない!」とか「龍がかんたんに涙をこぼすのがわからない。」という意見が多いです。こうした意見を聞くと、私は、若いお母さん方(お父さんも)、は「痛みを共有する」ということが理解できなくなっているのではないかと思うのです。競争主義の学校で育ち、友達と深く遊ぶこともなく、得にならないことはしない・・・つまり、「自分が生き抜くためには世の中のには貢献したら損だ」生き方を身に着けてしまったのではないでしょうか。もっと踏み込んでいえば、「そんなことをしたら自滅」とか「他人に対するお節介」と思っているのかもしれません。
 仁科さんは、「星ねこさんのおはなし」で到底、相容れない存在の猫と魚の交流を描くことで、相手を思う気持ちを描いていますが、この設定は戦後民主主義が蔓延させたエゴイズムを打破して、現代に「惻隠の情」を甦らすことを試みるものだと思います。作家は、作品を描くときに、意識する、しないにかかわらず、その時代に楔(くさび)を打ちこむことをするもので、これは廣介や未明も同じでした。時代に迎合するのは簡単ですが、それは作家の在り方ではないと思います。

青鬼の気持ち

 戦後民主主義が推し進めた「個人の尊重」や「自由」が、こうしてエゴや身勝手に変わっている現在、起きている問題は、イジメや孤独死、自暴自棄、無責任による事件・・・などです。
 ただ、ここで考えたいのは、かつては「惻隠の情」があり、「善」を評価する人々がいたのに、そうでなくなったのはどうしてか?ということです。
 おそらくは、江戸時代につくられた日本人の精神性や倫理性が明治以降、しだいに薄れていき、昭和四十年前後には完全に姿を消したのではないかと思うのです。もちろん、まだまだ人情深い人も善をおこなっている人も少なくありませんが、世の中は合理的か合理的でないか、得か損か、楽かキツイかを判断基準にして動くようになってしまいました。若い世代が青鬼の気持ちやキツネの気持ち、「龍の目の涙」の男の子の心がわからなくなっているのもしかたないことでしょう。
 底の浅い夢や希望を描いたものだけが大手を振って世の中にはびこり、ダブルスタンダードが生み出す悲劇(殺人や津波被害、原発事故・・・)からの癒しがディズニーランドで遊ぶことでは人間の心はもはや堕ちるところまで堕ちてしまったと言わざるをえません。この背後で、さらなる競争を煽り、国益を掲げて進んでいく風潮があることも忘れてはならないのですが・・・・。

では、「ひろすけ童話」は・・・

 仁科さんは、また「最近、教科書に「泣いた赤おに」が掲載されるとのことですが、それは、どうしてか? ご意見があれば・・・」とお尋ねになりました。
 長年、学校図書館の司書をされてきた天野ますか先生が、「教科書への採用の意図がよくわからないのですが・・・自己犠牲などというとらえ方になると問題だと思います。」と話されました。まったく同感です。青鬼の行為が単なる「自己犠牲」で、それを美しく評価するなら、危ないものがあります。さすがに学校の先生は子どもたちのことを鋭い視点で考えていますね。多くの教師が「夢と希望」という抽象的な言葉で子どもたちに接している中で、物事を慎重に見極めようとする先生が減っていることは事実です。
 しかし、さすがに本にかかわる先生は鋭い感覚を持っているな、と安心もしました。
 文科省は戦前も戦後もほぼ変わりない姿勢で、国家の要請に応じた人材を学校に求めています。戦前は文字通り兵士や銃後の妻をつくること、戦後は企業戦士や情報戦士をつくること・・・ですから、ある意味、言うことを聞く人間が目的です。つまり、教科書に採用される物語は、教え方によって、かなりゆがめられることもあるのです。
 例えば、漱石の「こころ」は私小説的で教科書に載せても問題が少ないですが、「文明論」は批判が大きいので教科書には採用されません。太宰治の「走れメロス」は掲載されますが、「斜陽」は無理でしょう。そういう操作は教科書に採用される作品選定でも存在するわけです。ですから、「泣いた赤鬼」が、「犠牲的精神」を賞賛する教え方に誘導されて浅薄な読まれ方をしないように祈るばかりです。

復活できるか否か!

 さて、仁科さんは「ひろすけ童話」が現代で復活できるかどうか?という投げかけもしてくれました。パネリストの方々は私を含めて、当然、復活してもらいたいという思いが強いと思います。また、「会場の大多数の人も同じだ」という印象を持ちました。仁科さんも同じ思いだからこそ、そういう投げかけをしたと思うのですが、私は個人的に「むずかしい」と感じています。
 よくも悪くも、われわれは戦後民主主義の延長線上を生きています。当然、「大衆の意識」で生きていて、その結果、「惻隠の情より便利さ、豊かさを取る」という現象を作り上げてしまいました。「世の中が悪くなったから、ではまた惻隠の情で・・・」というわけには、なかなか行かないのです。
 けっきょく、家庭、家族、学校、社会組織などが大混乱を引き起こして、ニッチもサッチも行かなくなった時に初めて「ああ、惻隠の情を持たなければ!」という思いが生まれ、やがて新しい倫理が生まれることになると思うのです。大衆とは、そうならないとわからない存在でもあります。この日本社会が変わらない限り、つまり、われわれが鳥越さんや古田さんのような考えを捨てない限り、「ひろすけ童話」は真の意味で、つまりテーマに共感する形で読まれることはないと思われます。われわれが見た目の明るさや体裁で生きている限り、廣介や未明が描く情や人間の現実を共感できないからです。

村人=一般大衆=われわれ

 鳥越さんや古田さんが廣介や未明から敏感に感じ取った「非・戦後民主的なもの」・・・それは、村人の描き方から感じた違和感がまず最初だったと思います。しかし、廣介、未明はあの村人たちの描き方で日本近代の「現実」をひじょうに鋭く表現していたのではないでしょうか。しかし、それが鳥越、古田両氏にはおもしろく映らなかったように思います。
 何度も述べているように「自らは何もしないでしてくれるのを待っている民衆」「見かけで善悪をかんたんに判断する大衆」「異質なものは残酷な形で排除する一般庶民」・・・これが村人です。まさに現代でも同じことをわれわれは行っています。しかし、民主主義を標榜する人々には、その閉鎖性や単純さがおもしろくないのです。イジメ、何もかもを行政に頼る根性、多数が正義とするものは疑わない国民性・・・まさしく廣介や未明が描いたものは、そんな村人でした。
 これを嫌った鳥越さんや古田さんの延長線上にいる私たちは相も変らぬ「村人」なのです。人間の現実を見ないで、何かしてもらいばかりで何もしない大衆。こういう大衆が、現実を無視して見かけの華やかさだけを追う社会をつくってしまっているとさえ思えます。震災で露呈した現実を慌てて綺麗ごとで塗り固めて忘れるようにする姑息さ、豊かと便利が欲しいために、理屈をこねまわして原発を再稼働させる欲の深さ・・・ここには「惻隠の情」など生まれようもない現実があるわけです。しかし、これが、「夢と希望」を掲げた戦後民主主義の至った結果だとすれば、何とも哀しい現実としかいいようがありません。

現実を乗り越えていくためには・・・

 親の子殺し、子の親殺し、無差別な殺人・・・毎日のように報道される現象もけっきょくのところ惻隠の情を失ってしまった世の中になったからだというよりないのではないか・・・そう思うよりない時代です。自由だことの希望だことの、夢だことの・・・つまりは見かけの良い掛け声を出した「戦後民主主義」がもたらした結果だということです。この現象は行き着くところまでいくでしょうが、行き着いたところで再び脚光を浴びるのは廣介や未明が描いた「人間の現実」だと思います。相手に対する思いがなければ人間は、仲良くなれるものではありません。
 もちろん、われわれは、できるかぎり現象を起こす側に回ることなく、人の心を信じるしかありませんが、弱肉強食の悲惨な現実がまだまだ起こるでしょう。仁科さんは、猫と魚という相容れぬものでも時間をかけて相手を考えればやがて、どこかで分かり合えるときがくることを示唆してくれました。これは、大きなヒントだと思います。どうしたら、廣介が描いた「惻隠の情」を世の中に広げていくことができるのか・・・・。
 孟子によれば、惻隠の情を生むには@わがままを抑えること、A行儀をよくすること、など具体的な方法が述べられています。たしかに、戦後民主主義は、わがままを拡大し、行儀を無視してきました。さて、次の時代・・・はたして我々は「惻隠の情」を復活させることができるでしょうか。(2013年3月30日)



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