ブッククラブニュース
平成26年5月号新聞一部閲覧 追加分

読み聞かせと子どもの環境

生後十ヶ月から1歳前後の本

 ブッククラブ配本でスタート時に入る本は、いわゆる「認識絵本」というもので、ほとんど文がない。だからといって、ただ広げて見せているだけの親はいないわけで、やはり、すべての親が読んでやることをする。この時期の子どもは集中力は散漫で、気が移ることは多いが、絵本を間に置いて親が子に言葉をかけるというのが、この時期の読み聞かせのスタイルだと思う。
 生後6〜9ヶ月くらいの間は、いろいろなものに触らせたり、しゃぶらせたり(この時期は触感で物を認識する時期)することが大事だが、これが不足していると、本を物として取り扱うことが出てくる。読み聞かせをしているうちに収まるはずである。だいたいは1歳前後で止まるが、ときには1歳半ころまでペラペラまくったり、積み重ねたり、崩したりするのを喜ぶこともある。

楽しめればOKだが・・・

 読み聞かせの方法だが、これは開いたページに描かれたものについて、何でもいいからいろいろ話せばいい。まさか、イチゴがあるページで、「イチゴ! これはイチゴ!」と繰り返す親はいないだろう。そこにそのものがあるように、普通に話してやればいいわけだ。それもやさしく、ゆっくり・・・言葉をかける。読み聞かせが自分にきちんと向き合ってくれる時間だと言うことが子どもにわかれば、まずは成功だ。これは「いないいないばあ」などのような動作絵本でも同じである。要は、絵本を真ん中にして母と子が内容を挟んで楽しめればいいのである。子どもが感じるものは、親の膝の中の快さであり、母親の気持ちが自分に向いている安堵感であり、
 この意味でも、読み聞かせは、テレビや音楽なしの静かな場所でしたいものである。もちろん、この時期の読み聞かせ時間は寝る前とか朝とか限定することはない。いつでも本を取って相手になってやる時間を多くすれば、子どもの気持ちは自然に絵本にシフトしてくる。
 間違えても内容を理解しているか試したり、教え込もうとしたりしないこと。この時期の子どもは負担に思うことは嫌うから、本は楽しいものということがわかればいいのである。そうすれば、どんな子でも1歳半には絵本が大好きになる。

一年生の読書、一年生の配本

 今年は、四月から低学年、とくに一年生のお母さん方から「月に1冊の配本になって、子どもがものたりない感じがする」という内容のお便りや問い合わせが多かった。こちらとしては、学校に入ると親は一人読みを強いたり、手を抜くようにもなる。いくら小学生になったからといって、分厚い本や、5歳、6歳で配本した長い本を読むのは子どもには大変である。そこで少し文章量を落とし、配本は基本で1冊としている。
 しかし、内容を下げているわけではない。「すぐ読んでしまう」という感覚を持つ方々も多いかもしれないので、字がしっかりと読め、ある程度の読書力のある子は、それを確認して「副読本」をお薦めしている。
 副読本は毎月1冊プラスもあるが、3ケ月で2冊プラス、1ケ月で1冊プラスのパターンでプログラムに加えることができる。今年は、この作業が多かったので、今年の四月から五月は大忙しだった。

ゆっくりと・・・一人読みへ

 ただ、なんと言っても一年生は毎日が緊張の連続(もっとも保育園で慣れきっている子は緊張もしないだろうが)「学校に入ったんだから本は自分で読む」というプレッシャーも受けている。読み聞かせなら耳が開いているから「何でもござれ!」にはなっているが、自分で読むのはシンドイ子も多いのだ。そのために基本配本では月1冊が基本だ。ゆめやは無理強いはしない。本が嫌いになってしまうのが一番困るからだ。やはりその時期に合わせての個々のステップアップで、きちんと読める子を育てたい。
 「いちねんせい-わるくち」で、「そう!こういうかんじ!」と思い、「よい子への道」で「こういうことをやってみたいな!」と思うことは大切。自分で読んで行く自信をつける糸口なんだから「楽しさは必須条件」なのです。不足な方は前述のように副読本を加えていくことにも喜んで応じます。時期はいつからでもOKです。二学期の本は、かなり内容が増えてきます。でもまだこの長さを一人読みできる子はわずかです。最初は何度か親が読み聞かせをしてください。そうして、それから読むとスンナリ読むことができます。さらに、ブッククラブ配本の4〜6歳の本は、一人読みでは小学校低学年以上のものばかりです。だいたいブッククラブで2歳で入る「おおきなかぶ」は小1の教科書です。4歳からの本を何度も読む練習をしましょう。また、それについては書きます。

なぜ、本を読んで行くのか?!(1)

 2・3年前から「お稽古事が忙しくてなかなか読書の時間がない」「スポーツ練習で疲れてしまって宿題もそこそこに寝てしまう」(中学年)「塾の時間が多くなったのでなかなか本が読めない!」(高学年)というお便りやメールが舞い込む。
 たしかに余裕がなければ読書はできない。お勉強やお稽古事、スポーツが過激だと、息抜きに読書はできない。より楽なものに流れていくのは自然なことである。
 日本の子は、学校教育のおかげで識字率だけは高いから、「楽なもの」は、当然、マンガやアニメ、キャラクター本となる。
 ゲームやスマホを見るのも、ある意味、識字率だが、じつは、会話語(しゃべり言葉)や短文(ツイッター・ブログ・メール)では、思考力や想像力が育たないのはあきらかなことなのだ。会話語や短文は、個人の感情を刺激する、いわば条件反射のもので、論理的な理解ができないうえに、想像力が発揮できない。
 このため思い違いが生まれ、主観的すぎる理解で相手を見てしまうこととなる。つまり、長い文、長い物語を読むことで、論理的に考える力や浮わつかない想像力を養いたいと思うのである。先を読む力も必ずついてくるはずである。
 ただ、長い文、長い物語を読むには、それなりの力をつけなければならない。それにはステップを踏んで読んで行くのが一番の力となるはずだ。
 調査によると、いま若者で新聞さえ読まない人が増えているという。これは新聞を読めないのではなく、新聞が読めないのではないか・・・私に言わせれば新聞など短文に入るものだが、一個の記事でさえ読むのが億劫(おっくう)という青年が増えているという。そりゃあそうですね。ロールプレイングゲームからマンガ、一番長い文が塾のテストで出る現代文の抜粋では、長い文を読む力はつかない。(つづく)

私の絵本棚 (1)

 今回から数回、「私の好きな絵本」について連載したいと思います。これは私自身が読み聞かせをしてきたり、自分で読んだりして好きになった絵本についてのものです。当然、主観が入ります。主観を差っ引くと1%も客観的な分析は出てこないかもしれませんが、ま、まったく独断と偏見に満ちた「思い入れ」と考えてくださればけっこうです。
 もちろん、すべてが配本に入っているわけではありません。女子用、男子用それぞれありますし、基本配本ではなく副読本として入れてあるものもあります。まあ、個人的な絵本体験の本の感想だとお考えください

「どうぶつのおかあさん」薮内正幸・絵

 この本を子どもに読んでやったのは、上の子が1歳前後のことだった。生後十か月で多くの子に入れている「どうぶつのおやこ」は、もう読んでいたが、娘は、縦に長いキリンのページのところが特に気に入っていた。そこだけ本を縦にして読むからだろう。私は私で、「このキリンは、キリンじゃないよ。ジラフっていう首が長いの。お母さんと子ども・・・」と、バカな説明を加えていた。だから長女は3歳のときは、キリンのことをジラフと言っていた。いまでは、そんなことは忘れて、動物園に子どもを連れて行っても「キリンよ。」というのだろうが・・・・キリンはキリンビールの登録商標である。顔は龍に似て、牛の尾と馬の蹄をもち、雄は頭に角をもつ。オス、メスがいるのだろうが私はメスは見たことがない。
 さて、思い入れの1冊・・・「どうぶつのおかあさん」では二通りの動物が出てくる。肉食獣と草食獣・・・2歳半になった娘が、ある時、この本を引っ張り出してきて、「赤ちゃんを食べてるの?」と言ったことがある。なるほど表紙の犬も次の猫もライオンも子どもを口にくわている。そういうことを大人はなかなか気が付かない。たしかにサルやゾウやシマウマは子どもを抱いたり、その横を歩いたりしているのだ。まったく子どもの観察力は鋭い。
 後日、薮内さんの息子さん・竜太さんと話して、薮内正幸さんの絵の描き方についてうかがった。「薮内正幸さんは、動物の骨格から生態にいたるまで細かく調べ、何度もスケッチして、それを描いていく」ということだった。なるほど、細かく描かれているが、それだけではなく、きちんと動物の生態まで描いていたわけだ。
 私が、そういう内容の本に思い入れるのは、作者の姿勢が伝わってくるからだ。本物はきちんとすみずみまで配慮した力で描かれる。子どもは、知識や体験がなくても、直感的にそれを見抜いているわけである。現実にダマくらかされ続行けている大人とは大違いである。
 ピカソは、あんな変な絵ばかりで有名だが、そのデッサンの確かさはこれまたすごいものがある。並みのデッサンではない。
 事実をしっかりと押さえた表現があるのとないのでは大変な違いがでると思う。もちろん、ディフォルメされたアニメでもしっかり真実をつかみ取っているものなら光ることだろう。これが描画ばかりではなく、物語でも、正確な事実は反映されるはずなのだ。バイキンマンと戦うアンパンマンが自分もイースト菌でできていることを知っているのか知らないのか。バイキンが物を腐らせる能力はアンパンマンの自己犠牲などよりはるかにすごい能力だということは描かれない。しかし、自分が菌からできていることに悩むアンパンマンを「アンパンマン」シリーズでは見かけることはなかった。
 その意味で、この「どうぶつのおかあさん」や「どうぶつのおやこ」は、まず最初に私の目を開いてくれた1冊だった。

しかたがねぇ!また書くか・・・・。

 ここのところ、サブカルチャーの影響や批判について書かなかったので、それに関してのお便りがよく届く。「最近、どうして書かないのですか?」・・・「ずっと書いて来たのに」などとけっこう来る。
 『それは、一昨年の3月号で、もうサブカルチャーには白旗を挙げましたと書いたので・・・・』とは思うが、長らくサブカルチャー問題と読書について述べてきたから、中断するとシッポを巻いた(負けたと言う意味)のだと思われるらしい。さらにゲームなどのサブカルチャーに直面した年齢の子を持つ会員からさまざまなお便りが来る。なるべく丁寧に答えるが、なんと言ったって、学校の先生さえゲーム世代である。サブカルチャー批判は、暖簾に腕押し(手ごたえがない)である。
 しかし、いまも影響はすざまじい。スマホによって大人にも依存が増えてきたから、もうサブカルチャー対策なんてとても無理な話である。学校もメール配信する、危険を子どもに察知させたいからケータイを持たせて警告する。SNS機器を廃止するということができないので、元が断てないのだ。でも、まだそれはいい。問題は、他の機能もたくさんあるのだから、大人は使えなくても子どもはその部分を使えるようになる。習熟も早い。ゲームに走れば読書どころではあるまい。読書しないくらいならまだいい。もっと大変なことになる可能性さえある。
 とても書けないが、SNSには裏の部分が多く、ホラー、アダルト、私は無駄口サイトと勝手に呼ぶ2チャンネル型のものもあり、そういうサイトの子どもへの影響は大きい。LINEだって、子どもが使えば、無駄口、告げ口、いじめ言葉の連鎖である。知らぬは親ばかりの「電子が飛び交う闇の世界」だ。

こんなお便りが届く

 絵本専門店ゆめや様
 早速のお返事ありがとうございます。やはり、ゲームの影響は怖いですね…。親はよく考えて家庭のルールを決めていかなくてはいけないなと思いました。
それから、中学生くらいまで本をよく読んだ会員の方でもひとたびパソコンにハマると大変なことになったというお話をお聞きして、中学生になったら安心、ということはないのだなと感じました。
 大人でもそうですが、自分で目的と使う時間を意識していかないと危ないことになってしまうのですね。
 そしてまだまだ中高生にはそれは難しい場合もあるということですね…。小2の息子は色々なことに興味を示す感じがしているので、きっとパソコンやゲームを使ってみれば、おもしろくてたまらなくなってしまうかもしれません。ゲーム、パソコンについては、周りに惑わされないようにしてできるだけ制限していけたらと思います。色々な本をこれからも親子で楽しんで読んでいけたらと思います。またご相談に乗っていただくと思います。どうぞよろしくお願いいたします。 (笛吹市 M・Tさん)

ゲーム世代の親

 ふつうの親はあまりサブカルチャーのことなど考えない。30歳代くらいが親とすれば、これはもうゲーム世代。多くの人間は自分が経験してきたものでしか現在を考えられない。その悪影響より、その楽しさだけを記憶しているから、これが子どもによくないものだとは考えない。たとえば、の話で考えてみよう。
 多くの日本人は戦前までは、高カロリー食をしなかった。ところが、戦後、小麦が入ってきてパンを食べ、牛乳を飲んで、バターを食べる。これも麦や牛乳を売ろうとする国の政策にみごとに引っかかったのだが、そのうちにファストフードやスイーツが日常生活に入り始めた。おいしい。和食なんかうまくない! 一年に一回くらいのうなぎのかば焼きを毎週食べたり、ファミレスの高カロリー食を食べるようになる。当然、影響が二十年くらいすると出てくる。痛風、糖尿病、心臓病、血管障害・・・・しかし、そうならないとわからないし、後の祭りでもある。
 サブカルチャーもまったく同じ。症状が出なければ自覚できない。こんなお便りも来た。

こんなお便りも

 夢新聞他お送り下さいましてありがとうございました。「サブカルチャー」待っていました!!やはりこの記事がないと何となく寂しいです。長谷川さんのおっしゃる通りに世の中がなっていると今なら私にもわかります。昨日茨城のつくば市の藤井いづみ先生の「大人のためのお話会」に行って来ました。行きに常磐線に乗ったところ私から見える範囲で一車両(10人ぐらい)全員がスマホ?を操作してました。通勤時間帯でなかったのでゆっくりと観察?出来ましたが異常な光景でした。又、サブカルチャーの記事を載せて下さい。わかっていても読みたい読者心理!(長野県佐久市 T・Kさん)
 ここまで言われるとサブカルチャの広がりに勝てなくても書かなくてはならない。来月は、まずサブカルチャーが引き起こした犯罪から書こうと思うが、それは氷山の一角・・・・その下には価値観や常識の崩壊、その下には生活の崩壊、親子関係の薄弱さ、子どもの孤独などが広がっている。最近の子どもの事件を見てもLINE(ケータイ・スマホ用SNSアプリ)が媒体になった犯罪が多いことはみなさんも知っているだろう。しかし、規制がかからない。なぜなのだろう。そのへんも考えて見る必要がある。

耳にタコだが・・・・

 さらに、ここ数年のアプリの多様化はものすごい。このアプリをDLするだけでお金も取られるが、無料アプリも多いから、目ざとい子どもはそういうものを探して使う。学校は、その情報交換の場にもなっている。もう親が、あるいは学校が把握できないほど、子どもが、どんどん入って行かれるサイトやアプリが口を開けて待っているのだ。売る側では、小学生だって獲物である。
 たとえばFacebookのアプリで、片思いの子が「相手が自分を思っているか」確認できるというアプリを開発した。
 片思いの相手を一人だけ登録して、相手が自分を登録してくれるかどうかを待つというものだ。一人の登録だから出会い系の心配はないと言うが、登録した片思いの対象である相手がどういう人間かは誰だってわからない。ストーカーに変身する奴かもしれないし、うまいこと言って二股、三股もありえる。ゲームから始まって人が依存していく機能が充満していればこれはもう家庭で防御するよりないのである。「小学生では、そんなアプリ使わないだろう」という見方もあるが、中学年あたりで、スマホを持っている子も目立つから、高学年になれば成熟の早い子では使いそうだ。
 とにかく、そういう世界は日進月歩(日ごと月ごとに絶えず進歩すること)である。子どもはすぐに慣れ、習熟する。習熟していいものとそうでないものがあるのは当たり前だが、サブカルチャーの世界は何でもありなのだ。
 で、まあ、しかたがない。また今年度は耳にタコができるかもしれないが、言うだけのことは言っておかねばならないので、数回、の連載をしようと思う。
 日本全体として、世の中の流れに逆らわない雰囲気ができている。これはサブカルチャー問題だけではなく、ひじょうに危ない傾向である。何が起きても誰も責任を取らない。何十年先のおいしい夢を語られても、着々と今の状態が悪化していくことは目に見えている。もし見えないとすれば、想像力が足りないのだ。
うまいこと言って売ろうとする裏には何があるか・・・・うまい言葉を並べて「SNS依存国民」を騙す手もある。
(新聞増ページ一部閲覧)



(2014年5月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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