ブッククラブニュース
平成26年6月号新聞一部閲覧 追加分

読み聞かせと子どもの環境
1歳半までの本

 1歳になるとさまざまなものに好奇心が向き始めて、それこそ日毎に「能力の発達」を見せてくれます。昨日できなったことが今日はできる・・・何も言わなかったのに、何かしゃべっている・・・ものすごい変化が1歳児には起きます。この目に見えるような発達は1歳だけでなく2歳でもまだまだ続きます。
 こういう姿を子どもが見せるのはなぜか。私は、理由があるかもしれないと思っています。おそらく親の中の「子どもへの関心」を引き出し、育児力を上げるために成長を見せてくれるのでしょう。その様子は、かわいらしさをともないますから、親の気持ちを刺激しつづけ、なおさら子どもの日毎の変化に目が行きます。
 幼い子が毎日見せる変化、かわいらしさ・・・動物学者に言わせると、「親がいなくなった場合や捨てられた場合でも、人を引きつける力で誰かに育ててもらう魅力を発揮している」ということらしいです。たしかに哺乳類の子は、小ささや姿形、しぐさの「かわいらしさ」によって守られ、他の攻撃を防いでいるかに見えます。

1歳前半の成長はものすごい

 そして、この成長は目覚ましいものがあります。左の絵本は上から「1歳〜1歳半」までのブッククラブの選書の一部ですが、絵が写実的なものから、かなりディフォルメされた絵までたった半年で子どもは認識できるようになります。この時期の読み聞かせは、その後の物語絵本へ違和感なく入る力のもとになりますが、なにより成長に合ったものが次々に頭の中に入るので、言葉や絵を認識する最初の段階の大きなキーポイントです。
 ですから子どもが苦痛を感じないように、たとえ集中しなくても、楽しい時間として読み聞かせの時間があるようにしたいものです。半年も経てばほとんどの子は読み聞かせの時間が楽しいものであることがわかります。

早期教育はやめたほうがいい

 ただ、ここで多くの親が間違うことがひとつあります。それは、子どもの「能力の発達」のすごさを見て「早教育」をしようということです。物をおぼえさせて、その量の優劣を競うというものですが、この時期に早教育教材を毎月買い与えても、教え込んでも記憶が持たないのです。およそ毎月の教材はすぐにガラクタと化していきます。さらに、この時期の子は「負担と感じる」ものは嫌いますから、あまり詰め込むと「教え込まれる」と思って絵本さえ避けるようにもなるのです。まずは、楽しさを教えることから出発。かなり注意力が散漫な子も1歳半くらいまでには、読み聞かせの楽しさがわかってきて、絵本は大好きになります。お母さんが相手をしてくるものが絵本だということがわかるからです。親にとっても、この絵本のひとつひとつに、自分の子がどんな反応を示したかが大切な記憶体験になります。子どもの1歳から1歳半までの成長の凄さ・・・これを親として体験できないのはもったいない話です。(6月号ニュース一部閲覧)

下の子への読み聞かせ

 よく、「下の子への読み聞かせがうまく行っていない」というお便りをいただく。しかし、この答えには決定的なものがない。上のお子さんには発達に応じて配本が届くが、下の子は自分の月齢・年齢より上のものがすでにあるわけだ。それを目にしているからどんどん、それを持ってくる。あるいは上のお子さんに読み聞かせれば、それを聞いている。
 で、消極的な対策なのだが、次の3つをお勧めしている。
 (1) 時間差を取る。上のお子さんが園に行っているときに読み聞かせる。
 (2) お父さんとお母さんが、上の子、下の子を担当して分業で読み聞かせる。
 (3) 兄弟姉妹で年齢差があるときは、上の子が下の子に読む機会をつくる

しかし、この3つがうまくいかないことは、こちらもよく承知している。
 家庭にもよるが、共稼ぎなら両方を保育園に預けるケースもあるだろうし、父・母のいずれかが忙しくて分業ができないケースもあるだろう。兄・姉の年齢差があればお稽古事、スポーツなどで下の子に読み聞かせる暇がないケースも多い。下の子にうまくタイムリー適した本を読み聞かせる方法はむずかしい。けっきょくは、発達に適さないものを聞いてしまうことになりやすい。
 で、せめてもの対策だが、上のお子さんに配本したある程度の本をダンボール箱へ入れて隠してしまうこと。そして、下の子に合う本だけをプログラムの年齢・月齢に合わせて取り出していく方法。これなら、できるかもしれない。忙しい時代の子育てだが、より効果的に進める方法を取っている方がいたら逆に教えていただきたいと思っています。性差が上下である場合は、毎月1冊の配本ですが弟・妹配本もお薦めします。発達のガイドラインに沿った配本があれば、それに準じたお手持ちの本を与える大きな目安になるからです。(6月号ニュース一部閲覧)

低学年の配本

 一年生の後半は、ちょっと自分では読むのが大変かもしれない長い物語の本が入ります。こういう本は何度か親が読み聞かせなくてはならないことになります。一晩で読めないような長いものは、続き読みとなります。あるところまで読んで「ごきげんよう。続きはまた明日」と言えば、子どもは「想像の翼を広げて」、眠りの「曲がり角」を曲がって夢を見ることでしょう。
 さて、低学年が読書していくうえの問題です。まずは、学校図書館の貸し出し。相変わらず競争心を煽るがごとく貸し出しコンテストが繰り広げられています。数のカウントで子どもの競争心を引き出すことがいいのか悪いのか・・・読める子どもも読めない子どもも次から次へと本を借りて、なかには読まずに返す子も・・・。読むのが面倒なので短い文の本や図鑑を借りる子・・・それにしても学校図書館にはなぜ「赤ちゃん」絵本まで置いてあるのでしょうね。

サブカルチャーの影響を避けたい

 次の問題は、子どもたちの遊びの情報交換の場が学校だということです。女の子でもプリキュアから始まって、AKB48の話題まで・・・。男の子では戦隊ものゲームから、そのクラス、学校で流行っている漫画、テレビのアニメ番組まで情報交換が日常的になります。ゲームやアニメなどサブカルチャーの多様化が進んでいるので以前ほど流行ゲームのクリア・テクニックの情報交換はなくなりましたが、ダウンロード型の新しいゲームを教えあうことも日常的になっています。
 さらに習い事、お稽古事が目白押しになります。十年前にはほとんどなかった習い事タイムが低学年の日課の中にスケジュールされているのが現在です。
 この中で本を読め!というのがムリかもしれませんが、低学年配本で、一か月1冊の本さえ読めなくなる子もいるのです。読み聞かせを長くして来たのに関心が向かなくなる、長い内容は敬遠する・・・こういう現象が起きています。

内容の長さにひるまない子を

 二年生の前半くらいまでは読み聞かせ後の一人読み読書のオーバーラップで対策が取れますが、三年生ともなれば読み聞かせは不可能なほど本は長くなります。読書には余裕が必要ですが、その余裕をどう作るか・・・ブッククラブ内部でも読む子と読むのが大変な子の二極分化が起きています。いつもいうように読書環境ができるかできないか・・・これが低学年の読書をクリアする決め手でしょうね。ところが、学校教育でも生活内部でも、目にする文章、自分がつくる文章が極端に短くなっています。このため長い文章、長い物語には拒否反応が出る、耐えられないという現象が出てきます。そりゃそうです、目にするのはブログ、ツイッター、メール、LINEの吹き出し言語で慣れてしまえば長文は読めません。このサブカルチャー的傾向を、この時期の子どもの環境に入れたくないのです。長い本を読みこなす達成感をつけたいものです。一度達成感が得られれば、あとは問題なくどんな本にでも入れます。サブカルチャーは異常な興味を高めるだけ。当然、語彙の増加や文の理解には不適切な要因になってきます。

なぜ、本を読んで行くのか?!(2)

 先に答えを言ってしまえば「自分の頭で考える」というのが答えである。しかも、その考えることは「答えのないもの」を考えることにも向かう。学校の教科書には「答え」がある。問題は短い文で出され、正解が用意されている。これを丸暗記すれば成績は間違いなく良くなる。これについては前述した。
 しかし、考えてもみよう。そういう「お勉強」をして世の中で上に立つ地位の人が、毎日机の前で謝り、さらには浅薄な思想でごり押しのリーダーシップを出すのである。これでは住みやすい世の中はできない。

対角線の長さがわからなことのほうが多い

 ひし形の面積は「対角線×対角線÷2」、保元の乱は「後白河天皇と崇徳上皇の戦い」、北半球の星座は「北極星」を中心に回る、古きを訪ね新しきを知る四文字熟語は「温故知新」と・・・どんどん丸暗記すればテストでの成績は良くなる。しかし、これではクイズの問題集を暗記して大会で競争するようなもので、「知っているだけにすぎない」という状態でもある。
 この新聞の表で五文字熟語のことを書いたが、暗記とは「なんとなく」知っているが内容はわからないということだろう。暗記は、「頭で考えないパターン」をつくる。
 ひし形の面積は出せるが、一般的には対角線の長さを測定することのほうが重要で、どういうふうに長さを計測するかをケース別に考えなければならない。
 保元の乱だって表で暗記すれば勢力図は記憶されるが、これが波乱万丈の歴史劇であることは想像できない。吉川英治の「新平家物語」でも読んで平治の乱で逆転する人間模様を考える必要も出てくるのだが、あれだけ長い物語を読破する力は、いまの若者にはあるまい。
 北極星も同じで、船舶航行の目安になっていたように、さまざまな物語を内蔵している。丸暗記では「北極星に関わる生身の人間のドラマ」が浮かび上がらないから、やはり物語などの長い文を読んで、「答えのないもの」に頭を向ける訓練は必要だ。答えがないことが答えであることに気が付いた人は、考えるグレードが一つ上がった人でもある。

百科事典を暗記しても

 ある有名なフランスの哲学者の小説に「百科事典をAからZまで丸暗記する男」が出てくる。その男にとっては暗記することがすべてで、世の中も人間関係も自分にとっては何のかかわりもないものである。人間の活動にも社会の変化にも何も関心が向かない。やがて悲劇的なこととなるが、古きを訪ねて新しきを知ったあとで何をしていくか。それを考える頭を「長い文」を読んで鍛えなければならないのである。人生にも世の中にも自分の行動にも正解などないわけで、自分で考えて行動して答えを出すよりないのである。インターネットもスマホも人生や行動の答えなど教えてはくれないのだから・・・。当然、ブログやツイッターで書かれた言葉など・・・ほとんど感情に訴えるだけの浅薄な文にすぎない。
 だから、本を読まねばならないわけだが、これはいきなり急に読めるようになるものではない。多くはステップを踏んで、より長く、より高度で、より優れた作家の作品を読むようになるわけだ。
 私は首相や政府の人間、議員が、単純な経験主義で物を語り、クイズ的な知識で作文する官僚の文章を読むだけなら、とても人々が安心して住める世の中などできるとは思えない。戦争についてきちんと本を読めば、とても戦争に踏み出すような政策は取れないだろう。
 もう一度、よく見てもらいたい。たくさん本を読んだ知性人はみな集団自衛権に反対だ。欲に駆られた無教養人は儲かるなら戦争でも何でもいいと思っている。世の中が変な方向に進むのは、けっきょく、きちんと本を読む人口が少ないからである。でも、まあ、民主主義は多数決。多くが望む方向なら戦争加担も「最大多数の最大幸福」なのだろう。(6月号新聞・一部閲覧)

私の絵本棚

 「私の好きな絵本」について連載の二回目です。ここで書いていくのは、私自身が読み聞かせをしたり、自分で読んだりして好きになった絵本についてで、ブッククラブの選書とはかなり異なるものです。読んだ感想と出会った時の様子にも触れますが、まったく独断と偏見に満ちた「思い入れ」と考えてくださればけっこうです。
 ブッククラブ配本の選書は、それなりに発達に応じたものをセレクトしていますが、「私の絵本棚」にある本は、個別に思い出の深いもの、個人的な記憶のつまったものです。

さえとちいさいいもうと

 ある高名な絵本の評論家が、筒井頼子・文 林明子・絵の、この本を「最悪」と決めつけた。また、ある有名な絵本作家は「気持ちが悪い」と評した。おそらく、この酷評の背後には、この絵本のテーマが「チマチマした小さな姉妹愛」と考え、「家」「血縁」「家族」「兄弟愛」などを疎(うと)ましく思う気持ちがあるのだと思う。しかし、こうした「個を最優先する批評」に抗して、あえて私が、この本を挙げる理由は「上の子が下の子を思うのが、なぜ悪い!」である。この本はブッククラブでは姉妹配本での副読本に選書しているが、いまだに人気が高い。個人的には、主人公のお姉ちゃんの「健気さがいい! 必死さがいい! 子どもらしさがいい!」と思っている。子どもが、こうあってほしいと思うのは親心だ。
 「個の自由、個性!」という近代の教育理想で育てたところで、身勝手に生きる人間になったり、親殺し、子殺しが横行したりする世の中になったんじゃ個の尊重も絵に描いた餅か空念仏だ。だから、我が家では、少し古典的な育て方をした。ダメなものはダメで強く叱り、するべきことはするように教えた。泥臭くても姉が妹を思い、妹が姉を慕う。親が子を思い、夫が妻を思い、そして、できるかぎり他人も思う。それで世の中が丸くおさまることもある。いや、かつては、それで丸くおさまることが多かった時代もあった。丸くおさまる結末だから「大団円」という字が使われるわけで、それで親も子も一安心。ふつうの人生が送れるわけである。

ふつうの人間でいいじゃん

 ヒーローやヒロイン、スターにならなくてもいいから、ふつうに育ち、ふつうに結婚し、ふつうの家庭を持って、ふつうの人生が送れればじゅうぶんだと思うが、競争社会ではそれでは物足らないことになっているらしい。
 個人や個性が強調された教育の影響なのだろうが、それが現代の「身勝手」を生み出したようにも思える。評論家が何を言おうが、「人間の気持ちを大切にしない生き方は人を不幸に追いやる」と思う。「庶民の人情など低い次元のもの」と考えるのは勝手だが、この本で語られる、ごくふつうの「人間性」は必要だ、と思う。
 ところで、この「あさえとちいさいいもうと」・・・・絵本屋を始めて一年後に出た本だった。そうしたら同じように我が家でも年子で姉妹が生まれた。それ以前に出ていた名作「はじめてのおつかい」に感動して、最初の子どもにつけたの名は、作者・筒井頼子さんのお名前を勝手にいただいた。もちろん、身勝手ではないようにちゃんと筒井さんの了解を得た。私の小学校のときの同級生が甲府からお嫁に行った先が筒井さんの縁者だったからお便りをできたわけだが、命名の経緯を筒井さんに伝えると、何とご丁寧にも娘宛てで、長い返事をいただいた。それはいまだに長女の手元で宝物になっている。
 その翌年がゆめやの開店の年。次女も生まれ、我が家も「あさえとちいさないもうと」の家族体制が完了。この本は思い出深い絵本となった。
 その後、筒井さんの「いく子の町」、「ひさしの村」という自伝的な物語が出版され、読むと想像にたがわず、筒井さんの温かな人柄が伝わってきた。それから三十数年、筒井さんの本をどのくらい会員の手元に届けただろうか・・・・作品の性質上、配本先は女の子ばかりだが・・・「ふつうの人間性」や「肉親への思い」はちゃんと伝わっているだろうか。(6月号ニュース一部閲覧)

しかたがねぇ!また書くか・・・(2)

 サブカルチャーについていろいろ書く前に、いま起きている社会的な事件を見てもらいたいと思います。まず、近々の主な事件を挙げます。熊本・人吉での女子高生殺人・死体遺棄事件(犯人47歳)、今市市小1猥褻殺人(犯人32歳)、パソコン遠隔操作事件(犯人32歳)、AKB握手会傷害事件(犯人24歳)、三重中3女子強姦殺人事件(犯人19歳)、三鷹女高生刺殺事件(犯人21歳)・・・犯人の年齢層は幅広く、地域も広範囲です。これらは一見、何の関係もない事件のように見えます。
 ただ、これは最近の代表的な事件で、他にも毎日のように交際相手の子どもを虐待死させる、ストーカーで殺すなどの事件が起きているのです。相変わらず子殺し、親殺しは減らないし、轢き逃げ、暴行死、いじめ自殺なども続いています。

サブカルが及ぼした結果は?

 下の表は、20年前からまとめ始めた事件の表ですが、じつはこれも「代表的な事件」でまとめないと表が数枚に及ぶのです(印刷部分ではすべて掲載していますがWEB(HP)上では割愛します)。代表的なものをまとめても右のように字のポイントを小さくしないと載せられないほどになりました。
 ところが、メディアは事件そのものを伝えるだけで、犯人像などほとんど知らせません。小さいころ何をしていたか、どのような本を読んでいたか、どんなゲームをし、どのようなビデオを見ていたか・・・・どういう交友関係だったか・・・このプロファイリングをすれば、これらの事件の犯人のほとんどが幼少期からサブカルチャーの影響をかなり受けて成人していったことがわかるはずなのです。
 報道の一部からでも類推はできます。熊本の女子高生殺人はネットの出会い系サイト、今市市小1猥褻殺人はPCから幼女の写真が出ていますから、あきらかに裏サイトと関係があります。大嘘つきのパソコン遠隔操作は、類推する必要もないくらいのパソコン・オタクです。AKB握手会の犯人は、どう見てもアイドルオタクが精神を病んで自暴自棄になったとしか思えません。三重の中3女子強姦殺人もアダルト関連のサブカルチャーの影響を大きく受けた少年の犯行でしょう。三鷹女高生刺殺事件は、殺人の前にリベンジポルノをネット上に流し、殺人後はツイッターをしているのですからサブカルチャーの影響がないわけがありません。
 このように犯罪の世界でもサブカルチャーが猛威を振るっていますが、事件は影響を受けた人たちの氷山の一角にすぎず、アニメやアイドルオタク、ゲーム依存症の主婦、出会い系を使う普通の中・高校生などが山ほどいます。ある意味、加害者・被害者の予備軍ともいえるでしょう。
 ところが現実にはサブカルチャーがどのくらい世の中を悪くしているかを多くの人がわかっていないのです。(つづく・6月号増ページ一部閲覧)



(2014年6月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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