ブッククラブニュース
平成26年7月号新聞一部閲覧 追加分

読み聞かせと子どもの環境
2歳までの本

 個人差もありますが、1歳半くらいになると子どもはかなり大人の話す言葉がわかってきます。不特定多数から得る言葉ではなく、特定少数が自分に語りかけたり、繰り返して話してくれる言葉をどんどん覚えていきます。
 よく観察していると、単語で覚えていくというのではないようです。語りや話を全体的に吸収している感じがします。と、いうのは、このあたりから喃語(なんご=乳児期に発する言葉で、ほとんどすべての音声言語に含まれる音素を持つらしい)が発展したような、不明瞭だけれど何となく話しているような言葉が次々と出てくるからです。まるで、インコやオウムが人の話を真似て話すような発語です。グニュグニュベチャベチャ・・・思いつくと何かに向かって話しています。

あまり単語漬けにしないほうが

 では、言葉を覚え始めているのだから、どんどん単語帳のような絵本を与えて言葉を教えたらいいと思いますが、前述のように子どもは単語で覚えるのではなく、話全体で覚えていきますから単語の教え込みはほとんど意味がないのです。フラッシュカードで育てた子が語彙量が多いということも聞きません。これは、SONYの井深さんが早期教育の失敗を認めた事実を繰り返しているようなもので、そんなバカなやり方ではない、はるかに優れた言語の獲得法を子ども自身が持っているのですから、子どもに向けた特定少数の語り掛け、話しかけのほうが有効なわけです。絵本の読み聞かせなどは、そのもっとも有効な方法で、もっとも安心感が持てるお母さんの声で繰り返し語られるのですから、これはもう文句ない「早期教育(まったく不快な言葉ですが)」です。

自分でやりたがる

 1歳後半は、自分でいろいろなことをする時期にもなってきます。「自分で!」「自分で!」という感じですね。ここでは自由な発想で、いろいろな好奇心を発揮しますが、これが親には「暴走」に見えたり、「よけいなことをする」という動作に見えます。で、教えごとをしたくなりますが、ここで大人の世界の「きまり」を押し付けるのは正常な発達に対して、そぐわないやり方です。
 ここで登場するのが、親にとって都合のよい絵本です。「こういうことをしてはいけません。」「こういうことをするとみんなに嫌われますよ。」「こういうことをしましょう。」・・・大人の決まりを押し付ける・・・これは与えたくないですね。2歳前後の子どもは自由に発想し、決まったやり方など無視して、いろいろなことをします。この幅の広さを一つの答えが抑え込んでしまうのは、その後の想像力や好奇心の発達に支障が出ます。

この時期の配本は大人は???

 配本では、この時期は荒唐無稽な大人が理解しがたい本を組み込んでいます。これで想像力を芽生えさせて2歳代のスジのある絵本のおもしろさを感じてもらいたいからです。この想像の翼がはばたけば、3歳代の物語絵本は頭の中で縦横無尽に関心が広がっておもしろく聞き取ることができるはずです。ですから、きまりを教え込んだり、「こういうことをするのはいけないよ!」というしつけの本は避けたいところです。自由にはばたく想像力を抑え込んでしまうからです。そういうことは社会性が出てくる4歳以降でも大丈夫。限度を越えて無鉄砲なことをすることもあるので、目を離さないことですね。それでじゅうぶん。物語絵本を楽しめるか楽しめないか、そのための準備として1歳後半の絵本はとても重要なのです。

下の子の本・・・

 下のお子さんが生まれると、「持っている本をどのように読んでやればいいか」という質問をいただきます。これの答えはかんたんです。下のお子さんが同性(兄-弟、姉-妹)のばあいなら、上のお子さんの配本プログラムと同じに月齢に合わせて、毎月読み聞かせればいいからです。
 ただお誕生の月が違うと季節配本されているものが微妙に違ったりする。半年違えば季節逆転が起こります。2歳までは季節差も性差もほとんどないので、上のお子さんの本を読み聞かせればいいのですが、2歳を過ぎたら調整が必要となるといいうわけですね。微調整、逆転調整は問い合わせていただけば対応します。

弟妹配本

 問題は、上のお子さんと性差があるばあいです。兄-妹、姉-弟というばあいですが、この場合は、2歳あたりで「性差配本」をお薦めします。ご要望がないかぎり原則・毎月1冊で性差のある本を配本します。もちろん、そのばあいでも、上のお子さんには性差関係なしの基本配本も多く入っていますから、下のお子さんにこれも同時に月齢対応させながら読み聞かせてください。
 性差配本の申し込みはお子さんのお名前と生年月日をお知らせください。配本表とご希望があれば、下のお子さんへのお手持ちの本の対応表も作成して配本します。2歳ぐらいから自分の本がほしいという所有意識も高まりますので、きっかけをうまくつかんでご連絡ください。

私の絵本棚(3)

 「私の好きな絵本」連載三回目。じつは、本文で書いたように絵本雑誌MOEの取材で「一番好きな本は何か」と聞かれました。三十数年、絵本屋をやってきて好きな本は山ほどありますが、三本の指に数えられる本のひとつは「からすのパンやさん」です。この本を挙げました。どの会員のお子さんにも、お手持ちでないかぎり、4歳の秋か春に入ります。ほんとうは秋がいいと思うのですが、長い本なので4歳なりたてではちょっとむずかしい。しかし、お話の背景は秋か春という感じなので、季節感を大事にするゆめやは4歳の秋か春に入れています。
 この本を初めて見たのは、東京・日本橋の丸善で絵本を探していた時に店員さんが出してくれた1冊だった。1974年の秋。もちろん、絵本屋を始めるなんて毛頭思ってもいなかった時代のことである。その場でラッピングしてもらって友人の子の贈物にした本をなぜ記憶してるかというと、店員さんが「これは、新刊なのですが、わたしがとても好きな本で、4・5歳くらいのお子さんにはとても良い本だと思います。」と薦めてくれたからで、プロの言葉は聞く私としては、すんなり買った。ここは、大学時代から原本も含めて歴史書などを買い求めていたところで、各部署の店員さんがひじょうによく本について勉強していたので信頼できた。

パン屋と本屋

 絵本屋を始めたのは1980年・・・そのときゆめやの店頭にも並べたが、数年はとくに売れなかった。そのうちに長女が4歳になったので、読み聞かすと、まあまあ、のめり込むこと、のめり込むこと。私が本を開くと、「いずみがもりは、からすのまちでした。いずみがもりにはおおきなきがにひゃっぽん・・・」と言い始める。字は読めないのに何ページも暗記している。しかも、たまらないのは真ん中のたくさんのパンが描かれたページのパンの名を全部、私に読ませることだ。風呂上りで寝かしつけようとしていると、こちらに睡魔が襲ってきて、頭がガクっとなるのに、娘たちは私のホッペタを叩き、叩き、そのページを「も、いっかい!」と要求する。「なんで、これほど好きなんだぁ! また、あした・・・ね」と叫びたくなったこと一度や二度ではない。
 しかし、これで、丸善の店員さんの説明の意味はよくわかった。さすがプロ。一読・直感で本を見抜けるのだろう。
 その後、偕成社(「からすのパンやさん」の出版社)の書店営業で早坂寛さんという人が回ってきて、気が合ったので、来るたびにいろいろ話した。「うちの本で何が好き?」というので、ストレートに物を言う私は、「オタクで一番売れているノンタンのシリーズはゆめやには置きたくない本だなぁ。」などとズバリ。「でも、加古さんのシリーズはロングで売るから支援してね!」なんて内輪の話が弾む。すると彼は、「加古さんのどういうところが好きですか?」というので、「どの本も弱い者に暖かいまなざしを感じるんだよね。強い者には厳しい目を向けてるような・・・・。それに逆説的な表現が、ひじょうにエスプリが効いている感じがする」と答えた。
 「何もかもが大きいことは良いことだ」と企業規模を大きくしたり、ホールディングス化で売り上げを巨大化する現在、店舗型自営業は衰退していくが、これはパン屋さんも本屋さんも同じ。いまや店舗型自営業は斜陽産業でもある。しかし、何の仕事でも人間に対して、お客に対して真摯に向き合う姿勢は持ちたいものだ。ゆめやも「からすのパンやさん」と同じで後継者はいないが、もうしばらくは、自営業のあったかさや良さを伝えていきたいと思う。

中学年の配本

 御承知のように、就学児の基本配本表はA〜Eまでコースが平行して並んでいます。AはAddtion(添加)、BはBasic(基本)、CはChange(可変入換)、DはDifficult(高度)、EはEasy(低度)です。
 通常、ご要望のないばあいはBが配本されて行きますが、中学年は読書力の個人差が大きくなる時期でもあります。一般では、読める子と読めない子、読まない子の二極分化が進んでいます。この分化は、成績とはあまり関係がありません。読むか読まないか・・・なのです。成績が良くても本を読まない子はいますし、読む本のレベルは低いが読むという子もいます。笑い話ですが「本を読まない方が成績は上がる」ということもあります。
 さて、読書が大変になる原因はいろいろ考えられますが、やはり「お子さんの周辺環境がどうか」というのが読書するかしないかの大きな要因になっているようです。
 しかし、ブッククラブのお子さんは、とにかく赤ちゃんのときから読み聞かせをしてもらい、一人読みでもかなりハイレベルなものから入っています。当然、個人差で、読み進むときの壁が生じることはあるでしょう。これが2年生だったり、3・4年生だったりします。壁に当たると、「もう読めないのではないか」と親も本人も思います。実際、「もう読めない」こともありますが、なんとか、そこをこらえて行くと逆にどんどんハイレベルのものが読めるようになる子も出てきます。そういうお便りも実際にかなり多く来ています。「3年でつまづいた感じがあったけれど、4年になったらD配本でも良いくらい読むようになった」などというものです。
 で、配本表の高度、低度なのですが、Eは、それほど「簡単」なものではないです。ですから、「Eなんてみっともない」と思わないでください。一般では、しようもない「かいけつゾロリ」のようなものが主流なのです。いくら読めなくなったからといって、ゆめやではマンガや軽読書本まで配本の質を下げません。そんなことをしたら、高学年以上の配本などまったく読めない人間になってしまいますのでね。そこは、それ、「状況に応じて微調整もできますよ」という編成なのです。

なぜ本を読んでいくのか?!(3)

 前回、教科書を「丸暗記すれば成績は上がる」と言ったが、少しは考える力を働かせないと成績も上がらない。しかし、読書の効力は、そういうテストに的を絞った効果を狙うものではないので、やはり、多角的に考える力を蓄えるために本を読むことが重要だと思うのである。本を読めば教科書の答え以上のものが書いてある。
 例・一日は24時間。しかし、本を読めば、これが「24時間とちょっと」だということがわかる。なぜなら1年は365.2422日・・・つまり、少し多いのだから、一日の時間も平均すれば「ちょっと」多くなる。
 1を3で割れば3分の1になるが、1を3で割れば、0.3333・・・ともなる。分数ではスッパリ答えがでるが、少数では無限に答えが連なる・・・。どうしてなのか・・・これを考えて説明ができれば問題ないが、多くは教科書通りの答えを出せば○がもらえるから考えなくなる。マイナスにマイナスをかけるとなぜプラスになるか不思議に思う人はいても、なぜかと理由を説明できる人はそうそういない。「そう覚えておけばいいのだ!」で、思考を中止してしまう。
 これは、社会科でも同じ。「文字を知らない日本人なのに、なぜヤマタイ国の女王は中国に手紙を書けたのか?」「日本国憲法には交戦権が持てないとあるのに、なぜ武器を持てるのか?」・・・なかなかむずかしい問題で、考えても答えがでない。何もかも教科書にある答えを覚えておけばそれでいいのだが、それだけだと、そこから先を考えることができなくなるのである。また、教科書には事実と違うことも書いてある。原子力発電などは、その良い例で、事故が起きるまでは、「安全で環境に優しい発電」だった。教科書や副読本にもそう書いてあった。つまり、それが答えである。「原子力発電はどういうものか?」とテストで出たら、そう答えればよかったわけだ。だが、しかし、それは、いまでは、もう正解ではない。(増ページ一部閲覧)

しかたがねぇ!また書くか(3)
サブカルチャーの登場と進化

 ある状態の中にいると、人間というものは異常でも異常と思わなくなる性質を持っているらしいです。昔、「世界残酷物語」という映画をつくったヤコペッティという監督が、「人間は残酷のなかにいると、それを残酷とは思わなくなる」と言っていましたが、まさにその通りで、戦闘地域では戦争はふつうのことです。だから、サブカルチャーの中にいると、「それがサブカルチャーではなくふつうの生活なのだ」と思えて来るのと同じです。
 冷静な目で見てみましょう。ゆるキャラ相手に大の大人がバカな発言をしている。テーマも何も読み取れないのに「良いアニメ映画だ」と喧伝する。不惑の年齢をはるかに越えた女性がディズニーランドのパスポートを買う。青年とは言い難い中年の男が初音ミクのグッズを買いあさる・・・こういう事例を挙げていくと枚挙のいとまがないが、とにかく「頭が大人になっていない」現象が異常をさらに異常にしているというわけです。
 こういう現象が大人に起きているわけですから当然子どもにもさらに進化したサブカルチャーが入り込んでいるわけで、これを誰も異常とは思っていません。いいですか。いまや0歳児、1、2歳児をあやす道具としてスマホが使われ、そのアプリさえ多様にあるのです。少年たちが使うLINEやゲームも同じです。
 しかし、前回(2)で述べたような事件を起こす犯人の精神性の背後には、サブカルチャーをサブカルチャーと思っていない一般の人々がいるわけで、そこからも、さまざまな加害、被害が生まれて来ます。このような風潮は、じつは下の表に書いたように1960年ごろから始まっていて、サブカルの歴史は長く、根深いものもあるのです。この表は、ある大学の講座で使うためにつくったものですが、詳細を記述するとやはり表4枚くらいになりますので圧縮しました。でも、みなさんが過ごしてきた時代のものもありますから懐かしさも感じるかもしれません。
 でも、この歴史がサブカルチャー的な社会をつくってきたわけです。「頭を成長させない」「依存やコレクター的行為に走る」「現実を直視しない」などの傾向は、このサブカルチャーの進化に沿って起きてきているというわけです。
 「これのどこがいけないのだ!」という声も聞こえてきますが、1960年前後から始まっている現象です。まったく前回のサブカル犯罪にリンクしていますよね。気持ちが悪いほど。しかも、この表は進化状態のもので1990年代から現在までの全盛期は、さらに異常なものが出現してきているのです。(サブカルチャーの進化の表は、印刷したニュースにはありますが、HP上では、量的に多いので前回の犯罪事件の表と同じく割愛します。6月号新聞増ページ一部閲覧)



(2014年7月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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