ブッククラブニュース
平成26年8月号(発達年齢ブッククラブ)

残暑お見舞い申し上げます

 今年の甲府の夏は、例年に比べて夜間の気温が低く過ごしやすいです。熱帯夜だと睡眠もじゅうぶんに取れなくて疲れがたまりますが、睡眠がとれるのはうれしいです。我が家はクーラーは入っていませんのでね。
 まだ八月、九月前半がありますから何とも言えませんが、この過ごしやすさは、エルニーニョのおかげといえるかもしれません。
 ・・・なんて、言っていたら、また40度オーバーの日が来るかもしれませんが・・・ま、そういう日が来ないように祈りながらしっかりと寝るようにしています。。
 で、ゆめや夏の恒例の駐車場での車の屋根での卵焼きの写真は今年は撮影できませんでした。あまり熱くないからです。そのかわり空には、夏の風物詩・入道雲が湧き出ています。何十年か前の8月15日の空と同じ雲です。

視聴率22%越え!!

 さて、NHKの朝の連続ドラマ・「花子とアン」の平均視聴率がずっと20%越えとかで甲州弁が話題になっています。「こぴっと(きちんと)」「てっ!」「〜ずら」・・・これは山梨県人にとっては懐かしい響きの言葉ですが、何とも背筋がくすぐったくなるような方言でもあります。
 私の世代では、高校が全県一区で、県内いたるところの中学から生徒が集まって来て卒業までは、こういう方言が飛び交っていました。でも、東京に行くと恥ずかしくて使えないのです。
 さすがに「ごきげんよう」の世界はいまだに知りませんが、甲州弁は東京では使ってはいけない言葉でした。甲府の若者たちは「田舎者だ!」と思われることを怖れて都会では誰もが甲州弁は使わなかったのです。
 それでも育ったところの言葉はついつい出てしまうものです。
 「ほんでもって、いっさらできなくて・・・」と言ったとたんに「本を持って、皿がどうだって?」と聞き直されます。山梨県人でなくてはわからない言葉です。
 大正時代などは、「はんで、めためたごっちょでごいす」(いつも毎度面倒なことでございます)などという不可解な言葉がまかり通っていましたから、甲府が新宿から136kmしか離れていなくても外国語ということになります。
 「お国訛りに誇りを持って!」という人もいますが、誇りの持てる方言もあれば、まったく誇りの持てない方言もあるのです。おそらく「安中はな(村岡花子)」も東京では甲州弁をまったく使わなかったと思います。

たしかにドラマは・・・

 たしかにドラマはおもしろくつくられています。ゆめやは開業当時は甲府の相生町という中心街にあったのですが、村岡花子の生家は、そこから西に300mほどのところで、私が中学へ行く通学路でした。現在のコラニー文化ホール(甲府第二高等学校跡地)の西側。でもドラマでは風光明媚な農村地帯・・・(ロケ場所は現在ゆめやがある屋形3丁目の裏の方の山の中)。幼い「はな」が本に親しんだ教会というのは我が家から200mほどの甲府中心部の教会です(ここには花子が教えた英和学院に付属する幼稚園がありました。英和学院は、800mほど北のウチの娘が通った学校でもあります。現実はテレビのようなあんな田舎ではないのですが、田舎のほうが、方言とピッタリ、マッチしていてはるかにおもしろいですよね。そりゃあそうです。私が子どものころは甲府はものすごい田舎町でした。

ささやかな抵抗で・・・

 私は朝寝坊なので、ほとんど朝ドラが見られませんが、それでも何話か見ると、見方にもよるのでしょうが、NHKの製作者たちが政治的な圧力に対して抵抗しているようなところを随所に感じます。
 例えば、修和女学院のブラックバーン校長が花子宅を出産祝いに訪れて、別れ際に言う言葉。二人の頭上を飛行機が爆音を立てて通り過ぎるのですが、校長が「あの飛行機が、いずれ平和を表すものになるか、危険なものになるか・・・」・・・というセリフを英語で言うのです。
 いまNHKは安倍政権の働きかけが強まり、会長にも委員にも右寄りの問題発言をする人が居座っていますが、製作者側には当然、それをおもしろくなく思う人たちもいるわけで、このようなブラックバーン校長のセリフを借りることで「ささやかな抵抗」をしているのでしょう。
 実際、この一年半で甲府上空を飛ぶ飛行機が激増しています。周囲に3000mの山があって乱気流もあるので飛行ルートとしては避けられていたはずなのですが・・・・・危険を感じます。そのうちオスプレイも通るかもしれません。

大正末期、昭和初期と似ている・・・

 「花子とアン」は実話をもとにしたフィクションですが、七月現在の放映では設定は大正末期です。でも、当然、ドラマは、これから第二次世界大戦の開戦、終戦、戦後に向かって行きます。映画監督の篠田正浩さんが、先日の新聞記事で、この時期の日本について、「交戦権を回復したからと言って戦争に勝てるわけではない」「僕に自決しろと言った天皇とは何者だったのか。後ろにいた黒衣(くろこ)は誰だったのか」「この国は1945年から変っていない。アメリカに降伏した状態が続いている。」「敗戦の責任をだれも取らなかったから戦前のままの政治が今でも生きている」・・・
 これは最近私が読んだ芥川賞作家の「東京自叙伝」(奥泉光)でも政治評論の「永続敗北論」(白井聡)でも同じことが言われていて、世の中の右傾化に危うさを感じる知性もまだ残っているのだとわずかばかりの安心もありました。
 本ばかりではなく、篠田監督の映画「スパイゾルゲ」も今年の春封切りだった山田洋次監督の「ちいさいおうち」でも、政治家や軍部が知性を無視して突き進んでいく時代の危うさが描いています。
 お金儲けという言葉につられて、儲かれば武器でも原子炉でも何でも売り、「景気」「成長」をダマシ文句にする危険な人に唯々諾々とついていくのは、まさに大正、昭和初期の日本人と同じでしょう。あの時代も多くの大衆がしっかりとした考えも持たず、ろくに本も読まず、お上の命令に従っていきました。
 そして敗戦です。その「お上の命令」は300万人の日本人の命をたった4,5年で消したのです。スポーツと芸能でゴマカシているテレビ、ほんとうのことを報道できない公共放送。この時代の危うさを男の子を持つ親はもっと知るべきだと思います。

想像の翼

 ドラマ「花子とアン」では、本を読む楽しさから「想像の翼を広げて生きること」がテーマになっています。
 その想像の翼は、美しいものばかりを思い描くのではなく我々を危険に陥れるものも想像して、事前に排除する力でもあると思います。
 村岡花子が訳した「王子と乞食」・・・あのエドワード王子なら乞食少年と入れ替わって庶民のことを観察し、どうすればいいかを考えますが、世間知らずで育った人が「国益、国益」というのは危ないのです。
 敗戦記念日を一年に二日もつくらないためにも想像の翼を広げてみましょう。そうすれば、扇動する人の後ろで動いている「黒衣(くろこ)」の正体も見えてくるかもしれません。では、来月までごきげんよう。(ニュース8月号 一部閲覧)

残暑お見舞い申し上げます

 去年から私は個人的に年賀状を廃止しました。あの年末の忙しいときに年賀状を印刷し、宛名を書き、投函する・・・それも数日で慌てて・・・となれば、添え書きもままならなくなります。それで廃止。その代わり、暑中見舞にしています。これなら7月の初めから9月の初めまで出せるし、添え書きも丁寧に書く時間があります。「暑中見舞」と「残暑見舞」にすれば、二か月間も出し続けることができます。
 ハガキにペン、相手の様子を尋ねる文のやりとりは、交友関係を再確認する方法でもあります。時候の挨拶とその返信は、お互いに自分の思いばかり書き合いますが、下手な字でも文章でも「思い」は伝わります。人気のドラマ「花子とアン」では頻繁に手紙や原稿を書くシーンが出てきますが、こういうアナログの時代には、時間がゆっくり流れ、人と人を直接つなぐ「気持ち」が生まれていたのでしょう。
 心に余裕があり、他の人を見つめることができるというのはいいことです。ところが、いまや世の中はお金、お金と裕福さと便利さを追いかけて、他の人を見つめる、あるいは考える余裕がなくなっています。自分の子どもや親をも考えられない人が出てきています。豊かさや便利さが悲劇をつくるのに、その豊かさ、便利を手放せない現代人・・・そういう中で人間の精神は狂ってきます。「腹心の友」に腹や心臓を解剖されてはたまりませんので、こんな殺伐とした時代だからこそ、手書きで「残暑お見舞い申し上げます」でしょうか。相手を思いながらペンを走らせれば、それは自分の思いを書き連ねることにもなります。

台湾からの暑中見舞い

 台湾・台北市で絵本専門店をやっておられる林忠正さんは、時候の挨拶をこぴっとくださいます。もともと「楽山」という出版社をされている方ですが、「子どもの本屋をしたい」ということで、初めてお会いしたのは、かなり前のことです。何度も台北から甲府まで足を運ばれて、絵本の選書や子どもの発達について話を交わし、2010年春に台北で立派な絵本専門店「花栗鼠(シマリス)繪本館」を開業されました。ブッククラブの皆さんも観光かお仕事かで台北にお出かけになった際には、ぜひお立ち寄りください。ホームページは「台北 花栗鼠繪本館」で引けば出てきます。場所は、忠孝東路四段147巷8號, Taipei, Taiwanです。
 林さんは、じつに「こぴっと」季節の変わり目にお便りをくれます。「月下美人が咲いた」、「大きな台風が通過」、「台北の夏の夜は蒸し暑い」・・・こちらも、それに応じて「朝顔が花をつけはじめた」「甲府は台風被害がほとんどない」「甲府盆地の暑さは尋常ではない」などと返信します。便りはいずれもそんな内容ですが、林さんの今年の暑中見舞いは下のような添え書きがありました。

夏の思い出

 「ゆめやさんのHPのブッククラブニュースで『言い伝えを忘れる時代』を拝読し、小学校低学年ぐらいの時期ですが、祖母から教わった 富士山の童謡『富士は日本一の山』を歌いました。また、富士に笠雲がかかれば雨が降るという話・・・伝えることの重要さを感じます。
 思い起こすと夏休みには、祖母から色々なことを学びました、子どものころはグァバという果物の種をくり抜き、天日に干し、砂糖水で1週間ほど付け込んで、おやつにしました。 美味しいんですよ。祖母は幾つも瓶詰めにして保存しますので、一緒にたくさん作った思い出があります。それから、夏バテ予防の薬草で作る寒天ゼリー、これもおやつです。
 夏休みは、家のお手伝いをして、1元(3円)を貰って、そのコインを持って、市場の入り口で自転車でおじさんが売っている、ミルクなどではつくられていない里芋の味がするアイスを買いに走ったりしました。とっても楽しい時代がありました。・・・」

夏に読んだ本の記憶

 そこで、私は、こう返事を書きました。「・・・私の夏の記憶は青い空、昆虫採集、スイカ、サイダーです。いくら外に出かけても日射病(熱中症)など気にしませんでした。家に戻ると、やはり祖母がいろいろな話をしてくれました。震災の話、戦争の話、おとぎ話・・・とても刺激的で想像力がふくらみました。おそらく、それが本を読んでいくきっかけになったと思います。」・・・・・・考えると、家族行事もなかったのですが、よく遊んだ夏の記憶は鮮明です。
 とにかく、少年時代の夏は遊んでいるか本を読んでいるか・・・そのいずれかの記憶しかありません。その記憶の横に散らばっているのが真っ白な入道雲であったり、黒光りをするクワガタだったり、半月状に切られたスイカだったり、小さな泡が浮き上がってくるサイダーだったり・・・。
 さて、かなり昔のことですが、「小学校のとき夏休みに読んだ本は?・・・」と、ゆめやのおばさんに聞きました。即座に彼女は「五年のときに『赤毛のアン』を読んだ」と答えました。そして、「それでパッチワークが好きになり、今でも趣味としてやっている。」と、言うのです。私は読んでいなかった本なので、読んでみました。

おもしろくなかった赤毛のアン

 でも、少しもおもしろくないのです。「赤毛のアン」は、狭い小さな島で、限られたふつうの人々のチマチマした生活を描いたもので、私は血も湧かず、肉も踊りませんでした。だから1巻目を読むのも大変で、続きはやめました。しかし、ゆめやのおばさんの強い要望で配本選書(高学年女子)させられました(笑)。それから30年・・・ずっと村岡花子・訳で入れています。訳は、当時としては先進的な訳で、これは誰もが評価する、すぐれた翻訳です。それは保証します。
 で、ゆめやのおじさんのほうは、小学校五年のときに読んだものは何だったか?! それは、一年間続けて読んだ江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズでした。そのころ、私は真剣に明智小五郎のような探偵になろうと思っていたのです。だから、これも現在では、アナクロっぽい選書ですが、ブッククラブ配本で4・5年生男子に入れ続けています。
 ところが、この面白い本をゆめやのおばさんは、「少しも現実的ではない。子どもじみた活劇だ!」と言います。そして、「『赤毛のアン』のほうがはるかに人間的で、希望と明るさに満ちている!」と・・・

しかし・・・

 たしかに、ゆめやのおばさんは、赤毛のアンと同じように料理も裁縫も読書もしてふつうの生活をしています。パッチワークもつくります。ソバカスも同じにあります。本を読んだ成果がそのまま表れています。おじさんのほうはどうかというと、探偵にもなれませんでしたし、こんなに多くの事件が起きているのに犯人ひとり当てられません。それどころか小林少年のような優秀な子どももそばにいません。つまり、本を読んだ成果がまったく出ていないのです。
 でも、「少年探偵団」を読んだあと、「ドリトル先生航海記」を読み、「神秘の島」を読んで、その後には「三銃士」や「指輪物語」や「三国志」を読んで、「はてしない物語」も読み、・・・数えきれないほどいろいろ読んで、しまいには、ほとんど答えがないような世界の本も読んで来て、いま、ここまで来てひとつ言えることがあります。「目立った成果はないのだけれど、おつきあいする人には恵まれた」ということです。良い人にたくさんめぐりあえる人生というのは、おそらく何にも代えがたいものがあるのではないでしょうか。
 スイスの児童文学研究家のヒューリマンという人の言葉があります。「大人のくせに本気で、あるいは楽しみとして、子どもの本と付き合っている人は、いつかどこかで知り合うものだ」・・・たしかに子どもの本に関わっていると素敵な方にたくさん巡り会えました。
利害や権力を目指してつながっている人たちは、すぐにバラバラになり、裏切ったり、裏切られたりの長続きのしない悲惨な関係になっていきます。すぐれた本を読まないからでしょう。  しかし、子どもの本に関わって、本の世界で生きていると付き合いは長くなります。ブッククラブ会員でお付き合いが三十数年の方もいますし、多くの方と長いお付き合いになっています。
 人気の「花子とアン」も子どもの本と付き合っている人の出会いの素晴らしさが描かれています。
ゆめやは、お子さんたちが良い人生を作れるように配本選書をしています。だから、「いい本をこぴっと読んでくりょう。読んだ成果は必ず出るでごいす。」と、これからも言い続けます。たしかに世の中は予想通り悪くなり、行きつくところまで行かないと、このおバカな国民は気が付かないことでしょうが、それでも言い続けたいと思います。(新聞8月号 一部閲覧)



(2014年8月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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