ブッククラブニュース
平成26年12月号(発達年齢ブッククラブ)

暑さ寒さも何のその・・・

 今年の冬は早く来た感じがありますが、寒気の中を配達するのは辛いものがあります。私は車の免許もないし、車も持っていないので、本の配達はすべて50ccのバイクで行います。いちばん遠い所は南アルプス市の小笠原近辺。近い所はすぐそばからですが、笛吹市、中央市・・・・往復で40kmくらいをぐるぐると配達します。これは三十数年前からずっとやっていることです。この時期は寒風がたまらないほど吹き付けてきますが、一度も欠かさずにやってきました。健康でなければとてもできるものではありません。月の内、十日は配達で店にいないこともありますので、ご来店のお客様と接することができずに心苦しいこともあります。
 春夏秋冬・・・それなりに街並みや田園風景が変りますから楽しみでもありますが、やはり夏の暑さ、冬の寒さは応えます。年齢も年齢になりましたし・・・。おっと、これはグチにすぎませんが・・・そういうことを言うのではなく、配達を通じての時代の変化を語りたいわけです。

三十年前とは

 たかが三十年前間なのですが、日本はものすごく変わっているのです。私が配本配達をバイクでし始めたのは、お母さん方で車の免許を持っている人がほとんどいなかったからです。このために赤ちゃんを抱えて来店で本を受け取るなんてことができない時代でした。宅配便というのも普及していませんでした。
 こう言うと、現状から考えて「そんなことないだろう!」という声が聞こえてきそうですが、そうなのです。山梨の公共交通機関は、いまだに明治時代にできた国鉄が2本(中央本線と身延線)です。バスは山梨交通がありますが、あとは郡内を走る私鉄(富士急行線)だけです。
 山梨では車がなければどこにも行けません。どこの地方もそうでしょうが、一家に二台の車を持てる家はそうそう多くはなかったのです。しかし、どういうわけか行政は公共交通機関を充実させるより、道路をどんどん造り、自動車が増えるようにしたのです。でも、三十年前のころの母親たちは、車がないのがあたりまえで自宅で子育てをしていました。このため配達してはお母さん方と対面で話をして、子どもの様子もよくわかり、ある意味、とても貴重な体験でした。直接、絵本の反応や子育ての様子がわかるのですからね。
 しかし、便利な生活は、80年代後半からやってきました。車も買えるようになりましたし、ショッピングセンターへも気軽に行けるようになりましたが、その引き換えに地域社会も崩れ、家庭で子どもを育てるという至福の時間も失われました。多くの人は働いて車や家を持つのが精いっぱいで、子ども相手に時間をつぶすようなことが恥ずかしいことになったかのようでした。

配達の意味がしだいに・・・

 かなり縮小しましたが、現在でも配達は続けています。ところが、まったくと言ってお母さん方とは会えません。郵便箱に放り込んでいく配達です。これでは宅配便がやっても同じこと・・・こんなことに時間を食うなら、来店客との対話を大切にしたいし、県外発送している遠隔地の会員との交信を多くした方がいいと思うようになりました。ですから新規の配達会員は「なし」ということにしています。これまで配達してきた人が子どもが大きくなって配本が終われば、そこで配達も終わりです。三十年前といまでは家庭の形も変ってしまいましたね。これは生活が進化したのか、退化したのかわかりませんが、三十年前に終わった生活では「虐待」とか「留守家庭」とかいうことはなかったように思います。「社会が子どもを育てるので、お母さんがたは働いてください!」というのは、物で釣って、ただただ労働力が必要ということではないでしょうか。と、いうことは、かつての男性労働力も、「家庭は企業の一部だから、安心して働け!」ということだったのでしょう。

節約しか方法がないのでは・・・

 そんなに生産して消費して、どうなのでしょう。子どもたちには明るい未来があるのでしょうか。山梨県ではいまや一軒の家で車を4台も5台も持っている家があります。老夫婦の車が2台、若夫婦が2台、それに働き始めた子どもの車・・・もちろん、お金があれば何百台持とうと勝手ですが、一人の人間が排出する温室効果ガスのことを考えればどうなんでしょうか。もっとも欲に駆られて労働する人にはそこまで頭が回らないでしょう。みんながそうだから自分がやってもかまわない・・・一方では環境破壊が叫ばれ、他方では消費しないと経済成長が・・・これでは、もう矛盾が並行して進むだけです。解決策などあるわけもありません。
 で、私は最小の温室効果ガスを毎月50ccバイクで吐き出しながら三十年です。嘘偽りなく休むことなく三十年やってきましたが、配達の縮小とともに少しは体は楽になっています。
 ともあれ、この矛盾を解決するには電気にしてもガソリンにしても食べ物にしても節約しかないような気がします。膨大な借金を返すために経済成長する・・・そんなことできるわけもありません。植民地でも増やすか、国民が眠らずに働くか・・・でも富国強兵・殖産興業ではいつか破綻することは歴史が証明済みです。

江戸時代の改革は・・・

 たしかに、もう節約しかないのは決まっていますが、おそらく節約する前に経済破綻が起こり、結果的に「節約」ということになるのでしょう。そこで、財政改革をうまくやった山形・米沢藩(上杉鷹山)と信州・松代藩(恩田木工)を調べるためにちょっと行ってみましたが、上杉博物館では、改革を進める鷹山公を映画上映でやっていました。見入ってしまいました。松代では真田の博物館に恩田木工の改革を展示していましたが、いまでも彼の著作「日暮硯」は必読の書です。これを読めば、あるいは鷹山の改革でも上が贅沢をして民に節約を強いるのでは成功しないことがわかります。国家公務員が平均12万円のボーナスをもらい、車の税金をどんどん上げる施策(これはほとんど報道されません)では改革などできるわけもないのです。さて、衆議院選挙、この記事がアップするときには結果が出ているでしょうが、目先の欲にくらんだ国民が果たして政権の嘘を見破れるでしょうか。見破れるわけなどないか・・・。
 もっともそんなことを一国民が考えていても社会全体の「欲」には歯止めはかかりません。時代のスピードに流されるよりないのですが、ほとほと人間と言うのは何も考えないで生きている動物だと思わないでもありません。
 あっという間にまた年末です。時代のスピードが速いのか、一日が20時間くらいになっているのか、あるいは、やることが多すぎて無我夢中なのか・・・・・・こなしているうちに時間が経ってしまうのか、3・11がもう遠い昔のようで、今世紀に入って、もう十四年も経ってしまったのか!・・・という感じもあります。時間の速さを感じているのは私だけなのか皆さんもそうなのか・・・どうなんでしょう。何も考えないうちに・・・どんどん変化が起こっている。この三十年間で前述の変化ですから、ここ数年の変化は大きいのでしょうね。気が付かないだけで。

忙しい年末になっていますか?

 子どもたちを取り巻く状態もかなりひどいものになってきているような気がします。五年前、十年前と比較すれば、そのひどさがよくわかるのですが、無我夢中で生活し、子育てをこなしていると、時間の比較もできなくなり、ひどさも感じなくなっているようです。子どもが自由に遊ぶのをなかなか目にしませんし(治安や安全の問題)、なにもかもがセットされた中で子どもが動いているように見えます。子どもにとっても大人にとっても余裕がないというのは困ったものなのですが、余裕のある生活がどのくらいできているかというと、どなたも自信がないのではないでしょうか。
 政府がIT革命で、情報通信‥‥の大変化を起こそうとしたのが15年くらい前でした。たしかに急速に情報網は張り巡らされていますが、その効果の裏で、子どもたちや大人にどのような影響が出るのかは考えもしていなかったため、こんな状態になりました。あのとき(小泉首相でしたが)「緊密なコミュニケーションとあらゆる情報が手に入る」と言っていたのに負の側面(危ないサイト、詐欺電話など)が大手を振って入ってきてます。子どもにはよくないものばかり。子どもによくないものは大人にもよくないのですが。

時間泥棒

 今年の世の中の流れを見ていて、私は、いつも例に挙げるように、ミハエル・エンデが『モモ』のなかで登場させた「時間泥棒」のことを思い出します。ゆっくりと生活し、仲良く暮らしていた人々の間にすべてを経済的な価値判断で測る灰色男=時間泥棒が現れ、時間をお金で換算して、人々から余裕を奪っていくのです。
 やがて人々は、欲につられて不必要なものでも手に入れたくなり、どんなことにも神経質になり、ささいなことでいがみ合うようになります。相手のことなど考えることなく、「豊かさ」や「栄光」だけを求めていく‥‥‥。
 こうして、物の豊かさだけを目指す国から派遣された灰色男たちが、グローバル・スタンダードを作り上げる時間泥棒の「競争世界」が生まれてしまいました。言いなりになっていく人々。こうしたなかで、余裕を奪われて物だけを与えられた子どもたちが、困難を越えて新しい世紀を切り開けるかどうか疑問です。時代のスピードが速いぶん、大人たちのやってきたことが、子どもたちにすぐに大きな影響をもたらしてしている実態も見えてきました。儲けるためならなんだってやる・・・これでは倫理も蜂の頭もありません。サブカルチャーは野放し・・・規制緩和で何でもあり、ビジネスチャンス! ビジネスチャンス! イノベーション! イノベーション! 儲かればなんでもいい。こんな言葉に騙されて倫理観を失う若者(いえいえ老人も)たち・・・危なくなってきました。

危ない時代

 危険ハーブを吸う三十歳は、情報革命のときは十五歳だったのです。危ないサイトを見て性犯罪を犯した十八歳の青年は、あのころはたった三歳でした。LINEのいじめで自殺した少年はまだ生まれていないときの情報革命だったのです。灰色男たちは何でもかんでも「夢の〜の実現」と言って近寄ってきます。
 夢のエネルーギー原子力発電・・・夢の超特急リニア・・・夢の情報ネットワークSNS・・・その負の側面については何もいいません。
 この十五年くらい、いろいろ試みてみましたが、私たち個人々々の力は小さくて、大きな時代のうねりを変えることなどまったくできませんでした。灰色男が出て来ると、多くの人は世の中の流れに流されるからです。個人として、影響を避けたり、うまく切り抜けたりすることしかできないような気がします。しかし、そういうなかで、一般では、だんだん良い物、善いことへの感覚も脱落していくような気もします。すぐれた本を読まない人はメディアが広げる考え方が一番で(一番信用できないものですが)、いいかげんな情報を信じる人のほうが多いのでしょう。地味でも個人的になんとか良い物、善いことを探したり、考えたりしながらやっていくよりないと思います。自己満足だったり、ともすると偽善だったりすることもありますが‥‥‥‥子どもには何とか良いことを薦め、悪から身を守る術をつけないと総崩れになりそうです。

少しでも思い返すように

 クリスマスが近づくと私は、その年に出会った小さな事がらをなるべく思い起こすようにしています。日々に追われていると思い起こすことさえしなくなりますのでね。多くは周囲の出来事やブッククラブのお子さんたちのことですが‥‥悲しいことのあった子、いじめなんかを受けてしまった子、そういう子どもたちが「来年は楽しい一年になるといいなぁ」と思ったりします。がんばった子、うれしくなるようなことをやってくれた子‥‥これは、未来でも頑張ってもらいたいです。もちろん、目にしたり、耳にしたりした範囲なのですが、必ず何人かいます・・・これが救いですね。そういう子どもたちが、大きな想像力を働かせて現実のパワーを越える力を発揮してもらいたいと思っています。現実に漬かって、異様なしたたかさを持ってしまった人間には現実を乗り越える力は出てきませんから・・・。
 持っている物の量を競わせる時代にあって、物を次々と与えることが子どもの心を滅ぼすような気もしてきました。忙しくて日頃、子どもと接する時間がない親ほど子どもに物を大量に与えるといいます。私の世代の例でも幼い時から欲しい物をすべて与えてもらって育った人が、かなり悲劇的な人生の後半を送っている例も多いのです。こういうことを無視して、光り輝く面ばかり見せる・・・「夢」「挑戦」・・・教育関係者が好きな言葉でもあります。

頭さえ働かせれば行える

 でも、たった一枚の絵でも、たった一個の木の実でも、年齢に応じて子どもの心を大きく刺激することはできると思います。そういう子こそ膨大な情報をかいぐぐって自分のものを的確に選択し、自分なりの方法や考えで、豊かな人間関係を形作っていくことができるのではないかと思われます。
 知ることは重要なことではなく、知って行うことが重要なのだということを大人は子どもに教えたいものです。12月24日の晩に生まれた人で、何の知識がなくても何の情報がなくても自分の考えで世界に「やさしさ」を広めた人もいました。
 今年も一年ありがとうございました。来年も地味にですが、丁寧に会員の皆さんに対応していきたいと思います。寒くなってきました。風邪に気を付けて、良いクリスマス、佳いお年をお迎えください。(12月号ニュース一部閲覧)

冬至かぼちゃと柚子湯

 先日、店に入ってきた会員のお嬢さんが「いろいろなことがスケジュールでつまっていて忙しい、忙しい」と言っていました。まだ小学校2年・・・私などに言わせれば遊び盛りです。「なんで、そんなに忙しいの?」とは聞きませんでした。だいたいはわかっています。すると「何もしないうちに日が暮れてしまう!」と言うのです。たしかに冬の夕暮は日が沈むのは早いです。でも、慌ただしさを感じるのは、そんな天文の問題ではないでしょう。私が子どものころ、その子のように時間の移り変わりをそれほど感じたかどうか。子どもころは時間が速く経つなんて考えたこともありませんでした。
 ただ、物理的な感覚が変わってきたといえば言えます。70歳の老人にとっては一年は、人生の70分の1です。しかし、7歳の子では人生の7分の1でしょう。そりゃあ、70歳の老人には一年が速く感じられ、7歳の子では遅く感じられられるはずです。私が7歳の時には、一日はものすごく長かったような気がします。

時間よ、止まれ!

 そこで、「今年はサンタさんから何をもらうの?」と話題を変えると「チョコレートをつくる機械。」と答えました。「ふうん、チョコがどんどん出て来るの?」「いろいろな形のがね。」・・・私にはわからない世界のことですが、サンタクロースを待てるというのはまだまだ時間が速く経っていない年齢なのだと思います。
 しかし、師走だからではなく一年中、時間が速く進んでいます。なにせ世の中はコンピュータで動いています。コンピュータは時計を内蔵しています。「早くしろ!早くしろ!」と生活の中で叫びます。これでは追い立てられるのはしかたがない。きちんと物事をしないと叱られる世の中です。コンピュータを使って、通信機器を使って「速く!速く!より速く!」・・・
 こんななかにいると一日や一年を振り返ることもなく、当然、昔あったことも、この間出会った人も亡くなった人もどんどん忘れて「より速く」毎日を過ごす。
 これでは慌ただしさの中で自分の生活や人生を見失ってしまうのではないでしょうか。あれもせねば、これもせねば・・・!
 お母さんがたとも話します。ゆめやに来るお母さん方は、思いのほかゆったりしているようで慌ただしく配本を受けとって帰ることはあまりありません。けっこうお茶を飲みながら会話が弾みます。それでも話の内容は・・・「子どももみんなと同じにしないと取り残される」「競争の中で上に行かないと幸せな人生を送れないかも」「子どもにはできるだけいろいろなことをやらせてやりたい」・・・これではますます慌ただしくなりますので、私は「時間よ!止まれ!」と言いたくなります。こんな考えで生活していると、自分すら振り返れません。

メディアに影響されている?

 私は、仕事が夜なので(?)ほとんどテレビを見ないのですが、どうも、お母さんがたの考えは、テレビの影響(SNSの仲間情報かも)が大きいのではないか、と思うのです。芸能やスポーツを中心としたメディアの世界では輝かしいスターが登場して、いかにも「目指せば脚光が当たるぞ!」という映像を流してきます。有名とか人気とか地位とか職種・・・で影響される。これを見ていて「自分の子もあんな人にしたい」と思ってしまうのではないでしょうか。レベルの低い人は、自分の子をAKB48に入れたいと思い、もう少し上になるとプロ・スポーツ選手にしたい、俳優にしたい、さらに上になると政治家にしたい、ノーベル賞受賞学者にしたい・・・そして、これを「夢」という言葉で煽る人もけっこういるのです。重要なことは、これらの有名人が一流かどうかということ。なんの能力もない人が一流であるかのようにメディアが演出すると、観ているほうは一流だと錯覚してしまうのです。浮き上がってくるスターの下に埋もれてしまった失敗者が山ほどいることを知らずに・・・。浮かび上がっている人は能力もでしょうが多くは運です。失敗や転落をしたら悲惨だということが視聴者には見えません。そうさせまいと今度は「挑戦」という言葉で煽ってくる。物事をやって「後は野となれ山となれ!」では困るのです。そんな世界に子どもを追いやることはできませんよね。ま、やりたい人は「どうぞ、ご勝手に!」・・・・ですが。

ふつうの生活は派手ではない

 遠藤周作という作家がいます。有名な「沈黙」という本を書きました。転びキリシタンの話で深く考えさせられる本でした。その続編で、あまり読まれていない本ですが「死海のほとり」という本があります。キリストの生涯が書かれていますが、じつは、ここに出てくるキリスト(イエス)は、超能力はない、奇跡は起こせない、無力な教祖なのです。しかし、だれよりもやさしかった。死にそうな病気の人のところではすっと手を握って看取ってやり、「盲人」や「張力障害者には、その悩みを真剣に聞いてやり、肢体不自由の人の手を取ってやる。ふつうの人々には優しいまなざしを向けて話をします。決して手から金銀を出して見せたり、空中を浮遊したり、ハルマゲドンを起こす力などありません。これは私の個人的な読後感想ですが、聖書作者によって「超人」に仕立て上げられてしまったイエスは、ちょっとかわいそうな感じになりました。
 しかし、「死海のほとり」のイエスは、まさにふつう以上のふつうで、こういう人は看護士さんの中にも介護士さんの中にも、いえいえ、もちろん世間一般の中にもけっこういるものです。そして、こういう人生を生きるのがふつうの人といえばいえるでしょう。

ふつうを行う

 ところが・・・世の中には名声や権力だけを追う人々も多いもの。「死海のほとり」の時代もローマ帝国の手先のようなピラト総督のような人もいましたよね。内心の恐怖を抑えながら、おごり高ぶってしたい放題のことをするのは洋の東西、今も昔も変りません。
 この新聞がお手元に届くころには、唐突で無謀な衆議院選挙が終わっていると思いますが、これも奢(おご)りが成したこと。勝たせたのは物を考えない無関心な国民と懲りることなく煽りに乗った人々でしょう。国民の問題です。
 こういう問題については、テレビでは考えを作ることはできませんし、教科書には答えは書いてはありません。きちんとした本、すぐれた本を読まないと考えは出てこないものです。教科書を覚えただけ、官僚の書いた作文を読むだけではダメなんです。すぐれた本を読めば、自分なりの考えが生まれてきますが、どうも日本人はそういう傾向はないようです。
 優勢になった人への戒めとして「勝って兜(かぶと)の緒を締めよ(油断して身構えを崩してはいけない)というものがあります。さあ、調子の乗ってどこまで行くか・・・見ものです。
 静かな聖夜・・・バカさわぎに繰り出すより、もう少し頭の中で思いを浮かべてみる必要がありそうです。くだらないテレビを見ている暇があったら、すぐれた一冊の本を読んでみましょう。私は、その前に「普通の日本人」として、冬至カボチャを炊いて食べ、お風呂に柚子を浮かべてゆっくり一年のことを思い返す時間を持ちたいと思います。そして、「なぜ、日本がこんなふうになってしまったか」の原点を、何冊かの本から見つけ出したいと思っています。
 寒い冬になってきました。日本は桜島、御嶽山の噴火、長野北部の地震、12月11日の富士山直下地震・・・なんとなく天変地異も重なってきています。どうか、風邪など引かないで、楽しい年末・年始をお迎えください。ゆめやもアベノミクスの影響でかなり仕事が複雑化していますが、アベノミクスに飲み込まれないように新しい年は柔軟に仕事をしたいと思っています。本年もお世話になりました。来年もよろしくお願い申し上げます。(12月号新聞一部閲覧)



(2014年12月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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