ブッククラブニュース
平成27年1月号(発達年齢ブッククラブ)

あけまして・・・

 おめでとうございます。とはいえ、年末の異常な選挙の行く末を考えると、かんたんに「おめでとうございます」というのは無責任な話ですが、国民のあの選択がおめでたいと言えばいえるわけで、子どもの未来に暗雲がかかりそうな先行きをどうするか、ということなど、当然、ほとんどの人が考えないで豊かで便利であればどうだっていいじゃん、ということになると思います。。
 怖いものは見たくないのが人の習性、なるべく明るい未来を期待し、夢を持ち、どんな状態でも切り抜けられる可能性を探りたいのが世の常です。今の、現状の幸福感をつぶしたくない・・・酔っていたいというのは人情でしょう。わかります。
 今年も多くの皆さまからたくさんの年賀状をいただきました。このほとんどが写真年賀状で、お正月はゆめやの壁面が会員のお子さん方やご家族の笑顔でいっぱいになります。この光景は、いま起きている悲惨な事件などとは無縁の世界で、見ていると心が和んできます。こうして年賀状を送っていただいた方々には謹んでお礼を申し上げます。本来であれば、こちらから年賀状を差し上げるべきなのですが、年末の繁忙・・・あっという間の一年。とても大量の返信をする余裕がございません。ゆめやの印刷装置は1分に何百枚も刷れるものではなく、これはもうお詫びして年賀状は出さないという慣例にしたがうよりありません。新聞の表面(下に掲載の鎧兜の絵)掲載の賀状は、ゆめやの今年の年賀状として作ったものです。これで返させていただきます。

年賀状の写真を見ると

 皆様の年賀状は、このニュースの表紙にありますように、全点、店頭に貼り出してあります。立春まで展示しますので、ご来店の方は、ぜひご覧になってください。
 今年の年賀状の特徴は、ご家族で行ったところで撮影したものが多いように感じられました。海・山・川に、定番の七五三、誕生日の集合写真、家庭内の日々の風景・・・切り取られた「幸福」がそのまま、こちらに伝わってきます。中には背景が外国のものもたくさんありました。
 ろくに旅行もできないゆめやとしてはうらやましい限りです。でも、お子さんが小さい時から異文化を体験して、日本という枠内では得られない大きな収穫が得られるのはとてもいいことです。子どもが成長していくうえで、日本という小さな枠内のものではないものに触れるのはひじょうに大切なことだと言えます。もちろん、ただ外国に行けば、それが達成できるということではなく、あまりにも幼いうちでは意味がないでしょうし、ただふつうの観光なら「見た、食べた、乗った」で終わりでしょ。しかし、多様なものを知るには外国に行くのが一番です。ただ、余暇でお金があるから外国に子どもを連れて行った・・・なら、「どうだ、外国に行ったぞ!」という自慢にすぎませんが、それでも子どもは異質なものに触れているわけで、そう悪いことではないと思われます。なにはともあれ、旅先で笑顔を見せている子どもたち、そして親の笑顔は何にもまして輝いてこちらの目に飛び込んできます。

「長い間」という時間

 私どもとしても、この時期に、たくさんの明るいお便りや楽しそうな写真を見ることができるのはほんとうに幸福な感じがします。このような写真を見るにつけ、「絵本の読み聞かせをするような家庭では子どもが育つ環境がきちんとしている。だからこそ笑顔や活力があるのだな」と実感します。親や周囲に見守られて幸せを感じながら育つ子どもは、大きくなっても曲がっていくことはない!」と強く思います。35年間、この仕事をしてきて、多くの家族を長い間見た結果ですから、これは確信に近いものになっています。
 もちろん、ブッククラブ内部でもそういう幸せな家庭ばかりがあるとはいえません。数は少なくても親が離婚したり、DVを受けたり、さまざまな家庭の問題を抱えて育った子もいるわけで、これも家庭の問題の一つではあるのですが、幼いころからゲームや粗悪なサブカルを大量に与えられて、依存症になったりする子も時にはいます。
 しかし、幼いころから親と絵本を間にして、読み聞かせの温かい時間を過ごせた子は、人格に問題が生じることもなく成長していきます。その結果も長い時間が経つと見えてくるものです。
 年末年始は、大学に入った子、成人式を迎えた子、久しぶりに帰省した子などブッククラブの卒業者・・・がいっぱいやってきて、中には、赤ちゃんを連れて「また配本を!」という方までいらっしゃいました。ここのところ多いのですが、私の寿命がそこまで持つか心配(笑)でもあります。でも、こうしたうれしい風景がお正月の店内でも展開しました。でも、そんな言葉を聞くにつけ、話すにつけ、ほんとうにありがたいことだと思います。今年もよろしくお願い申し上げます。
 幸福な環境で育った子がすんなりと人生を送っていく・・・これを阻むものと大人として戦っていかなければいけないと強く思います。自分の利益だけ、権力欲だけで、子どもの未来を危うくする勢力さえ存在し始めた昨今です。なんとかがんばらないと、なし崩しにされてしまいそうですのでね。

さて、今年は・・・

 ことしは、乙未(いつび)、羊(ひつじ)年ですね。辛卯(3・11の年)のときのような大変動はないでしょうが、新しいもの(新しいと言っても良いことだけではなく悪いことも新しい動きです)がまだ隠れている状態です。「未」に「日」偏を付けると昧(暗い・曖昧・はっきりしない)という字になるように、新しい状態がはっきり姿を見せない年でもあります。ただ、こう通り一遍に読み取っても失敗があります。辛卯のときに「エネルギーの噴出や大きな殺傷を伴う年」という予測をしましたら3・11が起きました。基本的には当たったのですが、でも、じつは起こる場所まである程度特定できたのです。「卯」はウサギで方角は「東」・・・当然、京都が中心ですから「卯」は東日本を差していたわけです。それが読み取れなかった。残念なことです。でも、まあ、今年は「未」で南南西で何かあるとしてもさほど大きなことではないと思われます。京都の南南西は大阪、和歌山、徳島ですが・・・。

危険な兆候も見逃さずに

 ただ、危ない政権が大きく日本を変え始める可能性が高いので、経済が傾くと混乱になるかもしれません。お札を印刷してバラまく赤字のバブル再燃経済がどこまで持つか。まず地方には回ってこないでしょうね。
 六十年前の乙未は鳩山首相が憲法を変えようとしたのですが、この動きは、現在の危ない政権でも進みます。ま、その来年は凋落の始まる申(サル)年ですから、ここが大変になります。あと、今年も治安状態がどんどん悪くなりそうですね。おかしな事件や事故は、今年も山ほど増えていくことでしょう。飛行機が落ちたり、想定内なのに想定外の事故も・・・。こういうものに巻き込まれないようにしたいものです。
 今年も健やかに一年を過ごして、笑顔がいっぱいの年にしましょう。寒さがつのってきています。インフルエンザには気を付けて、この冬をお過ごしください。(ニュース1月号一部閲覧)

穏やかで楽しい一年に

 フレンドシップニュースの表紙にはめ込んだように、今年もたくさんの年賀状をいただいたのですが、当然ながら年末に皆様に年賀状を出す暇がなく、いつもこの新聞で代用していてすみません。で、夢新聞用に作った今年の年賀状を表紙にしました。(左のような)これで年賀の挨拶に代えさせていただきます。なかなかむずかしい世の中になってきたうえ、さらにおかしなことになりはじめていますが、本年もよろしくお願い申し上げます。
 では、年賀状の絵解きをひとつ。いつもながらゆめやのおじさん・おばさんは醜男、醜女ですから顔を見せずに後ろ向きで、遠くを眺めています。遠くの敵軍は家紋の旗を押し立てて攻めてきています。どこの家紋でしょうね。丸に梶の葉? 旗印の「あ」がヒントですね。
 下に和歌があります。これは、千年も前のとても昔のことですが、前九年の役という戦争が岩手県でありました。この戦いの時に、征伐軍の大将・八幡太郎義家が、衣川を挟んで相手に上の句を投げました。「年を経し 糸の乱れの苦しさに」・・・・・相手は田舎豪族だから返歌なんかできないと思ったのでしょう。すると「衣の楯は綻(ほころ)びにけり」と見事に衣川まで読み込んだ歌が返ってきたのです。「歳月が経つと布地も古くなって乱れてきて」と問いかけた歌に「衣川に立てた矢を防ぐ楯もほころびてしまった」と返したわけです。
 そうです。家紋の丸に梶の葉は安倍家の紋・・・この長州政権の末裔がまた日本を混乱に落としいれようとしています。八幡太郎義家に返歌したのも安倍一族の貞任・宗任・・・安倍晋三さんは、この一族の41代目の末裔とも言われていますが・・・・。

危ないなあ!

 さて、急速に大変な時代に差し掛かってきました。年末の選挙で勢いを得た政権がおそらくは強引な政策を進めて来るでしょう。経済破綻になりそうな勢いでお金を使っていますし、怖い法律を作り、国のあり方まで変えようとしています。でも、これも選挙に関心を持たなかったわれわれ国民の責任でもあります。お金に釣られて他のことまで考えられなくなっている世代の責任でもあります。成人式なんかを見ていると、「ああ日本もうダメかな!」とも思います。何も考えないで年金だけを当てに生きている老人はもっとダメですが・・・・。
 「あけましておめでとうございます」という言葉は、今年は、先行きを危うくする政権を認めてしまった国民の「おめでたさ」を表現する言葉になるのかもしれません。子どもたちの未来を悲惨にさせないためにも武力を誇ろうとする「楯」を綻ばせたいものですが、どうなることやら。でも、「武」というものは、本来まったく違う意味を持っているものです。考えても見ましょう。「武」という字は「戈」(古代中国の武器の一つで、片方に枝が出たほこ=つまり武器ですが)に「止」を加えてできたものです。つまり戦闘を止めるという意味。戦闘的なものを止めるのが武力。こういう武力を国民が持ちたいものですが、どうも豊かさと便利さに踊らされて数十年の国民には無理なのかもしれません。相手は武器輸出をもくろみ、戦争に加わろうとしています。

なぜ本を読まなくてはいけないか

 店頭に貼った年賀状の中にも、「いろいろなことが忙しすぎてなかなか本を読む暇がない」という添え書きが目立ちました。最近では小学校高学年でスマホを持っている子もいます。漫画をダウンロードしたり、ケータイ小説を読む子も出てきています。流行に敏感、環境に適応しようというのは若さの特徴でもありますから、本を読む暇がないのはしかたがないことかもしれません。
 まして小学校受験、中学校受験ともなればお勉強、お勉強で本を読む余裕がないことは十分にわかります。中学へ行けば、部活と受験でさらに本など読む暇がなくなります。
 当然、高校も同じ・・・・で、しかたがないということになりますが、あれほど「読書をしましょう」と言っていたはずの小学校低・中学年の動きは何だったのでしょう。
 じつは、これには大きな裏があるような気がしています。つまり意図的に中学生高校生には読書をさせないというものです。

教科書以外の考え方を・・・

 学校で目にする本は教科書ですが、小学校低学年のときは字が読めないと識字率が下がるので、それには読書ができることが一番ということとなります。だから「本を読め!」「本を読みましょう!」となりますが、絵本や低学年の児童書は、ある意味、人畜無害のことが多く書かれています。だから、読書推進なのですが、ある年齢になってくると、学校側や政府や行政側が、読まれてはまずい本もまた増えてきます。
 「読まれてはまずいのが誰か」は、はっきりとはわかりませんが、「教科書で書かれたことが真実なのだ」と考えている大人が多いことは事実です。
「教科書は間違いない正しい事柄が書いてあるので、まずこれをマスターしないと成績が上がりませんよ」、「余計なことを考えないで、はい丸暗記、丸暗記・・・・」、「前九年の役は1051年ですよ。後三年の役は1062年で終わりですよ。はい、覚えて覚えて!」で、その通り忠実にしたがえば、成績がよくなり、それが常識となります。でも、学校を出ると多くの人は教科書の内容のほとんどは忘れています。
 つまり、教科書の知識で育つと新たな視点や批判力が出てこない可能性が高いのですね。そこには物語がなく、想像力が働かず、けっきょく自分なりの考え方が出てこなくなってしまうからです。全部丸暗記して、たとえ覚えていても、それはあたかもクイズ王のような存在でしかありませんからね。

例えば・・・

 教科書では明治維新をかなり高く評価して坂本龍馬、吉田松陰などは維新を成功させた立役者にしています。その後に続く福沢諭吉や板垣退助・・・・もうもう立派な立派な人物です。
 でも、他の本で読んでみると、アメリカの南北戦争が終わって余った旧式な鉄砲(日本へ持ってくれば新式)を大量に買って長州藩に売った人(=坂本龍馬)とか、それまで攘夷(外国人打ち払い)を唱えていたのに外国の武力の凄さを見てコロリと考えを変えた人(=吉田松陰)でもあるのです。もっと読むと、富国強兵なんてバカげたことを考えてアジアを蔑視して欧米と肩を並べようとした人(=福澤諭吉)や戊辰戦争でかなりひどい殺戮をした官軍側の参謀なのに自由民権運動で有名になった人(=板垣退助)とか・・・・教科書とは別の側面が見えてきます。本をいろいろ読むと見方は一つではないわけですね。教科書とは勝った側がつくった本ですから、勝った側がひどいことをやっても、その結果は記されないのです。

真実は隠されていく

 教科書は国が内容を吟味してつくるもので、国にとって都合の悪いことは書かないようにしています。みなさんも経験があると思いますが、中学の時、高校の時に大正時代の終わりから現代までの歴史のお勉強をきちんとしませんでしたよね。「授業時間が足りないから」とか、「受験が近いので」とか、「現代史はほとんど試験に出ないから」とか・・・・・・これもよく知られると都合の悪いことが出て来るからでしょう。何しろ吉田松陰という過激思想の持ち主が薩長の志士(?)を煽って起こした倒幕運動は、じつは論理的根拠がないのです。吉田松陰のことを調べてごらんなさい。思想家なのにこれといった著作がないのです。扇動的な文書はありますが、きちんと論理的に書かれた作品がない。残っているものの多くは書簡にすぎません。その書簡も過激な扇動的な言葉が連ねられたものばかりです。
明治維新以来、ものすごい数の長州出身の総理大臣が出たことは知っているでしょうか。参謀本部、大本営にも多く長州出身者がいました。司馬遼太郎などは「坂の上の雲」で秋山兄弟を持ち上げていますが、よく考えると軍制を整えた人たちです。でも、こういうことは教科書では伏せられています。太平洋戦争を誰が起こしたのか、責任は誰にあるのか・・・などを考えられたら困るからかもしれません。
私が教わった教科書では原子力発電は原子爆弾製造とは違う安全なエネルギーを生み出す平和利用の象徴でした。そのころは核爆弾製造競争のド真ん中で、私たちは「平和利用」という言葉にゴマかされていました。そのとき他の本を読んでいれば別の考え方も生まれたですが・・・・読まなかったために私の頭の中では原子力発電は「夢のエネルギー」でした。「平和」という言葉にダマくらかされたらいけないのですよね。
でも、いろいろな考え方で書かれた本を読まないと向こう側が使う言葉にダマされてしまうのです。「積極的平和主義」なんて言われると、言葉上では「平和のために積極的に行動する」と思い込んでしまいます。

ますます本は読まれなくなるが

 教科書では知識を増やすだけで、それも多くの人はその場限りで忘れていきます。、でも、いろいろな角度から、あることについての本を読むと考え方が生まれてきます。自分の考えです。自分の考えがないとなかなか言葉も行動もうまくいかないものです。依存症が増えているのは、自分の考えがないからです。
ブッククラブの親たちも子どもたちも、今年は、視点の違ういろいろな本を読んでみましょう。デジタルの本ではなく、紙の本ですよ。心の中に残らない字は活字とは言えません。すぐれた紙の本を繰り返し読む・・・・そうすれば、いつか自分の考えが生まれます。今年もがんばって、たとえむずかしい本でも読んでみましょう。何度も何度も読めばたいていはわかってくるものです。(1月号新聞・一部閲覧)



(2015年1月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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