ブッククラブニュース
平成27年6月号(発達年齢ブッククラブ)

泰然と・・・

 ある年代を境にして親が大きく変質してきた。もちろん、あまり好ましくない変化である。まず目立つのはマニュアル化だ。やり方を自分で考えない状態が目立つ。
 例を挙げると、赤ちゃん絵本に認識絵本という類のものがある。たとえば「どうぶつのおやこ」。絵を見て親が子どもに語りかけていく本である。これを配本された母親がこう言ってくる。
 「何にも字が書いてないのですが、どう読み聞かせをしたらいいのでしょうか」
 どうもこうもない。本を開いて、子どもに読んでやろうというとき、なにか自然に言葉は出てこないものなのか。聞いていて、バカバカしさのほうが先に立つが、かといって、ここで下手なアドバイスはできない。アドバイスすればするで、その通りにしか行わず、読み聞かせの多様性が失われてしまう。これは、あきらかに学校教育の成果である。何でも手引きに従う。従えば、答えが求められる、という習慣がついているから自分で考えるということを忘れてしまっているのだと思われる。だから、ネットを調べ、雑誌を見ることとなる。そんなところにすべての答えが書いてあるわけがない。

混乱

 次は子育ての方針の混乱だ。育児雑誌がゴマンと出ていて、どれももっともらしいことを言っているので、情報を得れば得るほど混乱する。育児雑誌にもスマホの中にも答はないのだが、それでも親は答を求める。自分で考えると間違うかもしれないと思うからだ。
 「二歳なのですが、周りでは、早期教育を始めている人もいます。数や音楽は早いうちに覚えさせたほうがいいのでしょうか。」……これが、みんな高等教育を受けた母親の言である。そんな相談に責任もって答える人などいないことがわからないのだろうか。「成功への道がひとつだけ」…子育てはテストを解くのとはちがうだが、若い親は正解を求めて必死になる。周囲を気にして、だれか成功しそうな子育てをしているとドドっーとくらいつく。
 三十年くらい前には、ブッククラブ内部で親からこんな質問をされたことはなかったし、相談もほとんどなかった。多くの母親は自分なりに判断し、取捨選択して『適当に』処理していたのである。自分の子どもの子育ては自分でする。あったりまえと言えばあたりまえのことが行われていたということだ。
 だが、現代でも悩みを持って相談を持ちかけてくる人は、まだいい。流行やトレンドに乗せられて、無意識な子育てをしてしまっている階層の親も多いのだ。

価値観の変容

 どうしてこんなふうになってしまったのだろうか。この原因は、戦後の急激な価値観の移り変わりにある。戦前は、生活行動の基準は、善か悪か、行為が美しいか、美しくないかというところにあった。
 ところが、戦後は、その基準が、しだいに失われて、『得か、損か』、『合理的か、そうでないか』になった。昭和の終りころには『好きか、嫌いか』『楽か、きついか』に変わった。たった四、五十年の間の変化はすさまじい。そして、それぞれの価値観を持った世代が、つぎつぎに親になってきたのである。いまや価値の主流は「何でもあり」「何でも許される」までになりつつある。子育てもマイ・ルールで身勝手に育てる階級も出てきた。まったく豊かさがもたらす変容は恐ろしい。根本的な考え方が変わってしまうのである。
 しかし、人間としてごく基本的なことを、『得か損か』『好きか、嫌いか』『楽か、きついか』などという判断で決めてしまっていいわけはない。子育てや家庭生活は、たとえ損でも、嫌でも、きつくてもやらなければならない部分を持っているし、またそれを要求される。
 多くの若い母親たちは、この要求(子育てする大変さ)と自分の形づくってきた学校教育でつくられた価値観(社会に出たら働くものだ)の間のギャップに悩み、不安になっている。学校は子育ての価値の基準などは教えてくれなかったから、親は子育てまで上手か下手かの偏差値競争で考えている。

欲をかかずに

 ここで一度、自分も子どもも解放するために、つまらぬ欲や競争心を捨てる必要があるのではなかろうか。水面に映った肉を取ろうと欲ばると、せっかく得た自分の肉も失ってしまうこともある。子育ては悪戦苦闘、試行錯誤があたりまえだが、ふつうにやればなんとかなるものなのだ。欲を掻くと失敗した時が大問題となる。ふつうの子に、ふつうの大人に育てばいいではないか。
 精神的なゆとりが出来れば、生活を見直すこともでき、自分なりの方針も固まってくるはずである。そして、かっての母親が持っていたような泰然(たいぜん=落ち着いていて物事に左右されない)とした気持ちで、情報に左右されない子育てをしていいってもらいたいと思う。しっかりした価値観がほしい時代だからこそ言うわけだ。
 接している人々の多くが母親なので、批判はどうしても母親に集中してしまうが、それにしても父親の姿がなかなか見当たらないのは気になる。ほんとうは父親こそ、この役目と責任を負うものなのだが…。(6月号ニュース・一部閲覧)

暑くなってきました!

 6月は最初から甲府は全国最高気温を記録しましたが、梅雨入りして寒くなったり蒸し暑くなったり。おかげで風邪気味になり、なかなか抜けません。でも、夏は必ず来るでしょうから、摂氏40度は覚悟の甲府です。もっとも、先月号で書いたようにこの調子で行くと安倍政権によって華氏451度くらいになるのではないかと思われますが、皆様のお住まいの地域はいかがでしょうか。
 華氏451度を実行して、国民の言うことなど聞かないで、強行採決に踏み切る可能性が高くなってきました。それにしても長州人の政権というのは、どうして昔から外国には弱く、日本国内には強い出方をするのでしょうね。日本一になりたい。世界一になりたい。なれるわけもないのに欲が深い感じがします。戊辰戦争の時からそうでしたし、勝てば官軍で、参謀本部も大本営も牛耳って、けっきょく戦争に走っていく。もちろん悲惨な結果になっても責任は取りませんけれどね。

地面の下が不気味ですね

 それに、気温だけではなくどうも地面の下が怪しい感じで、青森直下・岩手沖から始まって埼玉など震源の内陸地震、南では奄美大島。それに火山活動も活発です。西ノ島、蔵王、箱根、御嶽、桜島、口永良部・・・「東日本大震災の余震」なんていわれているけれど、どうもそんな感じはしません。何百キロも離れた小笠原の深い震源で東京が大揺れですから直下だったらこりゃあもう大変です。地面の下のどこかが狂ってきた感じがあります。緊急地震速報も出ますが、数分では逃げ場もないわけで、ま、机の下に潜り込むくらいの気休め程度の予報ですが、まずはお気をつけください。と、言われても、ですかね。
 しかし、それでも原発は再稼働で儲けたい、儲けたい・・・また、どこかで原子炉が壊れたらどうなるのでしょう。汚染水60万トン・・・浄化しても放射能は消えない。どうするのでしょうね。
 まあ、人間の欲と言うのは命まで無視するところまでいくわけで、日本列島全部が地震や火山の巣ですから、まったく、この政権は命知らずと言うか、未来を考えないと言うか、子どものことなど考えないというか・・・凄いの一言です。

人間も狂う?

 自然が狂うと、どういうわけか人間も狂い始めるわけで爆発、噴火と同じで、日本だけでなく世界中、欲や感情が噴き出てきた感じがあります。いちいち挙げているとキリがありませんが、人間が壊れてしまったのかと思うような事件、事故が多いですから、これまたお気を付けください。いきなり刺されるとか、50歳にもなった子が親を殺すとか友人を刺すとか・・・とんでもないルール違反の交通事故とか、わけがわからん事件ばかりです。
 だんだん世の中がおかしくなると、おかしなことが「ふつう」になります。先日、選書した本をある園に届けたら「こういう本は園児たちには人気がない。もっとアニメの本や人気の高い本にしてほしい。」と言われました。選書した本は、幼児のみなさんにブッククラブ配本でお届けしているものばかりなのですが、なんだか落ち込みました。もう、一般では、心して本を読み聞かせたり、楽しんだりする時代ではなくなっているのかもしれません。

選書も狂う?

 こういう傾向は、じつは以前からあり、例えば、小学生の夏の読書感想文の選定図書など首をひねりたくなるようなものが選ばれています。とくに低学年がそうでしたが、最近は高学年ものでもおかしなものがあります。選者が壊れてしまったのではないかと思われるような本が目白押しということもあります。ですから、ゆめやでは1994年から注文がないかぎり読書感想文関連の本や推薦図書は置かないようにしています。
 私だけが「おかしいのか?」と思うような状態なのですが、会員からも同じような意見が寄せられるので、まんざら私の選び方だけがおかしいということもないのでしょう。
 学校図書館でもそうなのでしょうが、学校そのものが官僚化してきて、何か言うとにらまれて職を失うかもしれないので、黙ってしまうのかもしれません。とくに司書の先生は立場が弱そうですから、強い発言はできないのでしょう。だんだん、世の中が劣化します。良いものを求めないで、みんなが求めるものを求める・・・

なげかわしい!と・・・

 先日も夏の推薦図書(これは地域によっても違いますが)について、会員から「おかしい!」というお便りが寄せてくれる方がいました。サッカーのネイマールや野球の田中将大を取り扱った本、妖怪ウォッチや名探偵コナン・・・私が「ほんとかよ!」と言いたくなる選書がなされているらしいのです。そして、そのお便りに「なげかわしい・・・」という感想がありました。
 まったく同感です。それにしても最近「なげかわしい」という美しい日本語も聞きませんよね。若者言葉では「最悪」とか「チョー!シンジラレナイ」になるのでしょうが、日本語も地殻変動が起きて、おかしくなっているようです。世の中、平気で嘘を言う、ほんとうのことは隠す、強引に物事を進める・・・粗悪なものでも売れれば何でもいい。悪いことでも儲かればする。こんな風潮の中で人間性が壊れてしまったのかもしれません。
 あまりにも忙しいので考えるヒマもないのか、やっつけ仕事でこなしてしまうのか・・・だんだん真面目に物事をする人が減ってくるような気がします。(6月号新聞 一部閲覧)



(2015年6月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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