ブッククラブニュース
平成28年5月号新聞一部閲覧 追加分

たかが絵本、されど絵本
1最初の一歩は

 読み聞かせをしている人は、みな体験していると思いますが、なぜ0歳児、1歳児が同じ本を何度も何度も要求してくるのでしょう。
 最初の配本ではじつに単純な構成の「どうぶつのおかあさん」とか「くだもの」「いないいないばあ」「おつむてんてん」などが入りますが、それまで本を知らなかった子が、読んでやると「もう一回」といわんばかりに、何度も持ってきます。まるで、親が読んでくれるか読んでくれないかを試しているかのようです。
 親は、なんでこんなに何度も!とアキアキしてしまいますが・・・・。
 どうして、こんなことを繰り返すのか・・・この時期の子どもは何度も同じことをすることが「楽しさ」になっているからだと思うのです。小さい子どもは楽しくないことは拒否します。楽しいことは繰り返します。
 そして同じ要求を繰り返して、親が応えてくれるかどうか、あるいはどのように反応するかをしっかりと見ています。

自己肯定感を与える

 要求を受け止めてくれるかくれないか・・・で、親の様子をうかがい、受け止めてくれれば「自分は認められているのだ」という安心感の中に入っていきます。だから、強引なまでに同じことを繰り返します。
 大人もそうですが、快いことは「自己肯定感」を高めます。また逆に不快なことはストレスをためることになります。
 もし、この小さい子の繰り返しの要求に応えなかったらどういうふうになるのでしょう。「忙しいからあとでね。」と言ったところで1歳の子はわかりません。そして、「自分は相手にされないのだ」と思うようになります。
 何度も親が相手にしなければ「自分は愛されていないのだ」と思うようになります。私は、最近起こるさまざまな事件を見ていて、小さいころに親に相手をしてもらわなかった子が起こす確率が高いのではないかと思うことがあります。
 一億総活躍社会もいいでしょうが、子どもを見失ってまで外働きをしてお金をもらっても裕福につながるのでしょうか。先日も東京都台東区で教育ママが15歳の娘に殺されました。きっと小さいうちから楽しい環境がなく、自己肯定感がつくれなかったののでしょうね。「保育園落ちた! 日本、死ね!」もいいけれど、政権にエサをぶるさげられて子どもを見失ったら大変です。小さい子は親を必要としています。たくさん、抱っこして、たくさん言葉を交わし、信頼感を高める・・・これは、誰がなんと言っても子育ての基本です。

道からそれない・・・

 自己肯定感を幼いころにたくさん与えてもらった子は、思春期や成人期でも大きく道からそれることはないと思うからです。
 働いて接触時間の少ない親は、そのうしろめたさから物を与えて子どもの機嫌を取ります。それもたくさん与えればいいと思って・・・・。
 何も大量に物で攻めることはないのです。絵本でも、最近の親は、とにかく図書館から山ほど借りてきて与えたりしますが、子どもは、自分が見知った本を抱っこされて何度も読んでもらうのが快いのですから、「自分の本」という快さも含めてお子さんの自己肯定感を高めていく読み聞かせをしたいものです。借りてきた本など子どもにとっては返せば「無い」に等しいものなのですから・・・・。タダより高いものはない!・・・これはここでも通用する原理です。
 とにかく、たくさん与えるのは「子どもとかかわる時間」です。考えてもみてください。昭和40年以前・・・外働きの時間は長くありませんでした。子どもが親を殺すなどという事件はほとんどなかったように思います。

本とともに過ごしてきて

 神奈川県 岡本優子さん 健太郎くん・真結子さん
 
 ゆめやさんとの出会いは、大学時代の友人の家に遊びに行き、「フレンドシップニュース」を見せてもらったのがきっかけでした。最初の印象は、「ちょっと主張が過激(頑固?)なおもしろいおじさん!?(ごめんなさい)」でした。でも子どもの発達に合った本を与えることの大切さや、まわりに流されないこと、ゲームやサブカルチャーに関する考え方などに一気に引きつけられ、「子どもが生まれたら、ブッククラブに入ろう!」と決めました。
 その後、長男が産まれ迷わず入会。二年後に生まれた長女もついにこの春ブッククラブ修了となってしまいました。お陰様で二人とも本の大好きな子になりました。一冊一冊に思い出がいっぱいつまっています。
 この間、ゆめやさんには子育ての事や子どもの性格、本の質やサブカルチャーとの付き合い方など、事あるごとにFAXや電話で相談にのっていただき、子どもたち以上に私がお世話になってしまった気がします。
 2012年には、念願叶ってお店に遊びに行くことができ、子どもたちは「夢の様な空間!」「ずっとここにいたい・・・」と目を輝かせていました。私も本物の(?)ゆめやさん(想像以上に素敵なご夫婦でした!)とお話でき、歓待していただいたのが忘れられない幸せな思い出となりました。
 これからは、ゆめやさんのガイドのない道を歩いていくのは、不安ですし、本が読める人間になるのかどうかは、これからの本人たちの本との関わり方次第だと思いますが、今までブッククラブで培ってきた力を信じて見守って行きたいと思います。長い間、本当にありがとうございました。でも、またいろいろ相談させて下さい。だから…これからもよろしくお願いします。

ゆめやから

 この温厚篤実な、仏(フランス人ではありません・ホトケ)のゆめやをつかまえて、「主張が過激で頑固なおもしろいおじさん」ですか。まいったなあ。最初のときのこと、よく覚えていますよ。。彼女は赤ちゃん背負ってゆめやまでいらっしゃいました。まあ、さまざまなつながりができていますね。ほんとうに長いことありがとうございます。おじさんがおじいさんになっていますが、ますます過激で頑固です。(ニュース一部閲覧)

ともだちできたかな?

 園のときとはちがい大きくなっていますから登校拒否をする子はまずいないでしょう。ただ、最近、自動車の暴走など以前は考えられなかった事故が増えていますから、通学には気を付けてくださいね。「気を付けてください!」と言ったところで、突っ込んで来る車を避けられる子ども(大人も)などいません。周囲に気を配って歩くよりありません。いやな時代になったものです。
 私の子ども時代には、子どもの間でやってはいけないルールがありました。そのルールを破ると仲間に懲らしめられることもありました。大人は子どもにあまり干渉はしませんでした。だから、健康的なケンカはよく行われましたが、陰湿なイジメはありませんでした。子どももケンカ攻撃の限度を学んでいたので、一定以上の攻撃はしなかったものです。もちろん、仲間同士での暴言もどこかで戒められていましたので、言葉での攻撃もなかったように思います。
 さて、どうですか。一年生。あたらしい友だちができたでしょうか。谷川俊太郎・作「ともだち」の一節・・・

 ともだちって いっしょにかえりたくなるひと
 ともだちなら いやがることをするのはよそう
 ひとりではつまらないことも ふたりでやればおもしろい
 ともだちって いまどうしているかな とおもいだすひと
 なかまはずれにされたら どんなきもちかな
 けんかはしたっていい でも ひとりをたくさんでいじめるのは ひきょうだ

 ところが、過保護な家庭、放任の家庭、すべて外部に依存する家庭が増えてきて、このルールが子どもたちの間で消えてしまいました。上記の「ともだち」は、消えてしまった友人の関係とルールを詩にしたものです。かんたんな言葉ですが、深い訴えがあります。ぜひ、読んでみてください。そして、どういう友だちがほんとうの友だちかを考える材料にしてもらいたいと思います。すでに配本した子もいますが、配本しない子もいるので、読んでみたい方は連絡ください。次の配本に入れます。学校図書館で借りて読んでみるのもいいかもしれません。

学校図書館をどう利用するか
1競争に巻き込まれない・・・

 さて、その学校図書館の利用ですが、一年生はそろそろ始まることでしょう。調べ学習が高学年までありますから学校図書館の利用は低学年から進められます。しかし、これまで配本をお子さんに与えてきたブッククラブ会員の方から、よくこの時期に「なんだかおかしい?!」というお便りが届きます。
 例えば、「赤ちゃん絵本が置いてある」「アニメ本やマンガが置いてある」「貸出し競争があるので、読みもしないものを借りて来る」「学年別のお薦め本の内容が、お粗末」と言ったような疑問や困惑の意見が多いのです。
 この問題については、これから数回のシリーズで、学校の図書館利用の動きに左右されないで読書を楽しんでいくようにする方法を書いていきます。
 まず最初は貸出競争についてです。
 学校によりますが、本に親しませるために(まともな絵本を与えられ来なかった子も多いですから)読ませるために貸出コンクールやコンテストをしているところがあるのです。これは、学校図書館司書の間で、あるいは、どこかでマニュアル化した読書推進運動の一部として、たくさん借りた子を表彰したり、ランキングを発表したりする方法がとられています。借りるとシールを貼ってくれたり、貸出ノートがあったりして、子どもの競争心を煽ることで、本を読ませるように仕向けていくやり方です。中には月間50冊も借りる子がいて、どう考えても読んでいるとは思えないものですが、とりあえず数値(借り出し冊数)は出ますので、その意味では「読んでいる」ということとなります。しかし、これでは中学年以上で高度な読書に向かう下地はできないような気がします。

高度な読書ができることがねらい

 低学年では、ブッククラブ配本で1〜2歳くらいのものなら、月間50冊くらいは借りて読めるかもしれません。しかし、そんなものを100冊読んでも年齢に応じた読書にはなりません。子どもによっては次々に読んでいる子もいないわけではないですが、それはきちんと読書しているのか、それともただ本に目を通しているのかわからない、いわば無意味な読み方をしてるばあいもあります。自分の好みとなればアニメや攻略本などに流れます。けっきょくはライトノベルでおしまい。
 ですから、そういう競争に左右されず、しっかりと読めば一か月に1冊でも2冊でもかまわないのです。配本だけだってじゅうぶんです。つまり、競争意識を刺激されるだけの借り出しに親が一喜一憂せず、子どもの「読書の質」をよく見ておくことが大切なのです。見守ることが大事です。

新シリーズ・むかしばなし裁判

 先月、ストーリーテラーである作家・杉山亮さんと話したことはお伝えしましたが、以前、こういう話も聞きました。「有名な物語をパロディにして語ってもおもしろがらない」と言っておられました。なぜおもしろがらないかというと、みんな元の話を知らないからなのです。元の話を知らなければ、パロディにはなりません。前置きで元の物語を教えないとパロディが語れないのです。「何を言っているのだ!」ということになります。
 また、ある保育園で聞いたのですが、最近の保育士さんは昔話をほとんど知らないということでした。それはグリムも日本の昔話もさらにはアンデルセンも・・・なのです。
 そこで、あらすじばっかり書いて知ってもらっても昔話アラスジ集になってしまうので、少しエンターテイメントを入れて昔話をいくつか語ってみたいと思います。つまり昔話を事件としてとらえて、登場するキャラクターを裁判にかけようというものです。初めに簡単にあらすじは書きます。次の話を知っていますか?

1イナバのシロウサギ

 古事記のなかの話です。隠岐の島のウサギは、因幡の国に渡ろうとしてワニ(実際はサメらしい)をダマすことにしました。ウサギはどちらの仲間の数が多いか比べようともちかけて、ワニを島から因幡まで海の中に並ばせ、数えるふりをしてその背中を飛んでいきます。あと少しで向こう岸というところで、つい口を滑らせて「渡りたかっただけ!」と言ってしまいます。怒ったワニはウサギを捕まえて皮をはぎます。
 そこへ八十神(ヤソガミ)という神々が通りかかります。体中が痛くて泣いているウサギを見ると、おもしろそうに笑いながら「いったいどうした?」と言います。ウサギは泣きながら答えました。「皮をはがれて痛くてたまりません。」
 すると一番いたずら好きな神が「いいことを教えてやろう」と、ウサギに「塩水を浴びて風に吹かれるよう」に言いました。その通りにすると治るどころか、皮はこわばり、裂けて痛みがひどくなりました。次に通りかかったのが大きな袋を背負ったオオクニヌシでした。ウサギから事情を聞いて、真水で体を洗い、ガマの穂で体を包むように教えてやり、治してやりました。(「日本の神話」4)

裁判

 ウサギが訴えたのはワニ(サメ)だけでしたが、検察官は「罪は軽いにしろ八十神たちも傷害罪である」として起訴します。
 しかし、被告側弁護人は「最初にダマしたのはウサギであり、それに怒ったワニが感情的になって皮を剥ぐという行為に出たのだから単純な傷害罪にはならない。事件の発端になったのはウサギのダマシで、ウサギこそ詐欺罪で訴えられるべきである。」と主張します。
 口頭弁論ではワニ(サメ)たちは、こう意見陳述をします。「カッとなって皮を剥いだことは認めるが、ウサギが自分の欲望のために自分たちをダマしたのは許しがたい。そもそも事件の発端はウサギだ!」
 ウサギは「もし私が詐欺罪になったとしても、詐欺はダマされた方もウカツなので、一方的にダマしたほうが悪いわけはない。ダマされたほうも落ち度があるのではないか。」と反論します。
 ワニは「そんなことを言うなら、オレオレ詐欺で7000万も払ったおばあさんも悪いことになる。詐欺はダマすほうが悪いのだ。」と言い返しました。
 ウサギも負けずに「そのばあさんだって儲け話に乗ろうとしたのだから、しかたないではないか。」と譲りません。ワニはまた「八十神にダマされたウサギも落ち度があるわけで、ウサギの痛みがひどくなったのは、かんたんに八十神たちのいい加減な治療法を信じたのだからウサギも悪いのではないか。」と反論。
 八十神の弁護人も「冗談を真に受けて傷を深くしたのはウサギであって、八十神たちは何もしていない。」と主張。
 最終弁論でも検察・弁護側ともに一歩も引きません。ここで判決となりました。

判決

 Y裁判長はこう判決を出します。「自分が向こう岸まで渡るのに何か方法はないかと考えてワニをだまして並ばせたことは深い悪意があったとは思われない。この程度で理性を失ってウサギの皮をはがすというのは行き過ぎた報復行為である。よってワニたちは懲役2年、執行猶予3年とする。しかし、八十神たちが皮をはがれて途方にくれているウサギを自分たちの快楽のためにさらなる傷害行為に及んだのは、ひじょうに悪質である。オオクニヌシさんの行為を見習うべき神たちがこのようなことをするのは断じて許すことはできない。社会的にも悪影響を及ぼす可能性がある。よって、懲役5年、執行猶予なしの実刑とする。」(増ページ一部閲覧)



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