ブッククラブニュース
平成29年6月号(発達年齢ブッククラブ)

映画・この世界の片隅で

 すすめられてアニメ映画を見に行った。アニメ映画は「となりのトトロ」を昭和の終わりごろに見て以来。あまり気乗りがしなかったが、すすめた人が「なかなかよくできている」と言うし、市内にひとつしかない映画館だから近いので足を運んでみた。
 太平洋戦争のときの広島が舞台。見合い結婚で広島から呉に嫁入りする18歳の少女すずの物語である、ちょっと天然が入っている、おっとりした性格の主人公だ。戦争によって様々なものがしだいに欠乏する中で、家族の食卓を作るために工夫を凝らす日々。文句ひとつ言わず、淡々と生活をこなす。しかし、戦争が進むにつれ、日本海軍の拠点である呉は空襲の標的となる。食料がなくなるだけでなく、身近なもの、大切な人も次々と失われていく。それでもなお、前を向いて日々の暮らしを営み続ける彼女なのだが、あまりにも悩まない、あるいは困らない、戦争のことすら深く考えない姿に、観ながらずっとイライラしていた私がいた。
 どんなことにもめげないで前向きに耐える・・・グチもいわないし、日々の生活をふつうに送ろうとするヒロイン・こういう女性像は日本人には受けることだろう。もちろん善人であるのはよくわかる。ひたすら必死に生きている・・・そこもわかる。

台風一過と同じ?

 いちばん恐ろしかったのは、気が付かないうちにいつのまにか戦争状態になっているというのもすごかった。この映画には「反戦」という色合いがまったくない。こんな戦争映画(アニメ)って、これまであっただろうか。「火垂るの墓」や「はだしのゲン」、ソフトな表現の「風立ちぬ」や「うしろの正面だあれ」みんな強い反戦が込められていた。しかし、「この世界の片隅で(片渕須直・監督)」は大ちがいだった。どんなことが起きても耐える・・・!
 戦争描写では原爆も爆風だけ。戦艦大和も呉港から静かに出る姿だけ、一度だけ艦載機の機銃掃射で姪の子が死ぬのだが、それでも描かれるのは日々の生活と食事や料理ばかり。防空壕も何となく嵐が来たので避難しようという感じのもの。「なるほど人は、こんな戦時でも何も深く考えずに生活をしつづけられるというわけか!」と妙に納得してしまった。
 映画が終わったあとのラストで、平和になった戦後が描かれるが、主人公は悲惨だった戦時のことを忘れたかのように、また同じように生きていく。
 「戦争は台風のようなもので、耐えて生き残れば、どうにかなる。通り過ぎるのを待って、お天気になったら被害なんか忘れて元気に生きて行こう。」と言っているかのような終わりだった。
 観たあとでよくよく考えてみた。そして、考えれば考えるほど、「ああ、これが日本人の生き方なのかなぁ!」と思わざるをえなかった。そして「現在の日本もまったく同じだ」と思った。治安維持法ができて言論が不自由になっても徴兵令状が来ても、周囲でたくさんの人が死んでも耐えて耐えて生き残れば、どうにかなる。戦争のことなんて怖くなるのでなるべく考えないようにしよう・・・「どんなことが起こっても自分は大丈夫、家族も大丈夫だ!」と思いこもう。鈍感になって、なるべく考えないようにしていれば生き残れる・・・こういう表現をした映画はあまり見たことがない。これまでにあっただろうか。しかし、私には後味が悪い映画だった。見終わって暗い気持ちになった。前向きさに感動した人もいるのでしょうがね、これは私の個人的な感想。観たあとの感じです。

ちょっと今から仕事やめてくる

 その後すぐ、「ちょっと今から仕事やめてくる(成島出・監督)」という映画を見た。ブラック企業でイジメつくされ、疲れ果てた青年が自殺しようとして不思議な友人に救われる話。そして仕事を辞め、充実した人生へ踏み出す決断する物語である。ここには、悲劇に耐えないで、自分で自分の人生を生きようとする希望が残っていた。銭・金・物にこだわらなければ人間は充実した人生を歩むこともできるような気がした。
 果たして、我慢とか気合で生きるとか、耐え忍ぶというのはすべて美学になるのだろうか。耐え忍ばない、我慢しないという生き方も必要なのではないだろうか。
 この映画も「せっかく内定したからと我慢したり、つまらぬプライドで耐えたりしたら精神を病んでしまうこと受けあい」の展開である。実際、主人公の青年はおかしくなって線路に転げ落ちそうになるのを助けられるのだが、こういう状況は、現代の企業社会では頻繁に起きていることではないだろうか。実際、電通の長時間労働での自殺事件が、この映画のモチーフだと思うが、そこから意志を持って脱する生き方が描かれている。我慢しないという選択肢もまたあるのだ。
 ところが、日常に流され、何も考えられなくなると精神が病んでくることも当然起こる。そのときはどうするか・・・違う選択をする・・・こっちの映画は、見終わって明るい気持ちになった。(ニュース一部閲覧)

新聞記者の時代

 私は月刊誌をバックナンバーで無数にトイレに置き、昔の号を読む習慣がある。もちろん「大」のとき。かなり前の論評とか記事を読むと当たっているものもあればハズレもあり、当たっているときにはその書き手を信用し、ハズレの記事を書いた人は信じない、これを繰り返す。
 で、2010年6月刊行の「母の友」という雑誌を読んでいたら、「現在そのまま」という感じの随筆に出くわした。これを全文紹介しようと思う。
     *     *     *
 テレビが出現して間もないころ、一家そろって夢中で見たドラマに、「ヒマナシトビダス」というのがあった。ヒマナなる人物が主役の、今ならさしずめ「火サス」だの「土スペ」だので放送するような推理ドラマ。テレビ最初の連続ものだそうで、1955年から7年間、放送された。
 毎回、全身を集中させて見たせいか、タイトルの一部が今でも目に浮かぶ。ヒマナ氏助手・アワテダイサク君がカメラではなく写真機と呼ぶのがふさわしい物をこちらに向けて構え、画面はその大きなフラッシュにズームイン、するとそれがバシッと光って、中心から題名が飛び出す。彼は報道カメラマン、そしてヒマナ氏は新聞記者だった。次に日本人が熱中したのは、「事件記者」(1958年〜NHK)だ。主役はもちろん新聞記者。
 戦後すぐの時代にはヒーローは新聞記者だったわけである。いずれも悪を許さぬ不屈の闘志で事件に取り組んでいた。

主役交代の時代

 それが、その十年後に米国製「刑事コロンボ」からだろうか、主役が俄然、警察官に移った。そのころから、あらゆる分野が多種多様の時代に突入したので、推理ドラマにもいろいろな主役が現れるが、リアリティを意識したドラマほど、刑事や検事、検死官、税務官など公権力を行使する職業が主役の主流になっている。
 やれやれ、新聞記者が正義の時代は短かった。いっぽう、権力側の正義の流れは太く長い。遠山の金さん、黄門さま、大岡越前、結局、正義の味方を公権力に見ようとするのね、日本人は・・・。故・藤田まことさんの「必殺仕掛人」も末端とはいえ公権力。「そこに悪があるのも承知してはいるけれど、一部善良な公権力が法を破ってでも悪を罰する」というのが、日本人の好みらしい。
 でもよく考えると怖いよ。「てめえら人間じやねぇ!」と悪人をたたっ切る長崎奉行とか、ほかの警察官を尻目に違法捜査で犯人をとっつかまえるハミダシ刑事とか。冤罪だったらどうすんの! 事情聴取で態度の悪い参考人をはったおす渡瀬恒彦警部とか。あれは長崎奉行の子孫だね、間違いなく。自分の気に入らないやつの人権は認めないのだから恐ろしい。
 もうひとつ、気になるのは、「かばう」話と「仇討ち」の話の多さね。まだたくさん放送時間があるのに自白したり自首したりするのは、まず、誰かをかばって罪をかぶろうとしている人だ。これと手の込んだ報復殺人が、筋書きの多くを占めている。欧米のドラマや小説には、ほとんど見られない気がする。公権力に正義の味方を見る、かばう話、仇討ちを好むこと、これ日本人の根深い性情かもしれない。私、合わないなあ・・・日本人。(以上「母の友」より引用)

ひょっこりひょうたん島

 これを読んでいて、最近の日本の上層部の悪事を思い出した。そして、多くの新聞やテレビが沈黙していることも気にさわる。おかげで悪事がよくわからん。誰も追及しないから、モリもカケも、みんなザルじゃあないか! もっとも若者は新聞も雑誌も読まないから、私以上に何もわからんのかもしれない。自分が逮捕されたり、徴兵されて初めて気が付くことになるのかなぁ。もっと新聞記者!がんばれ!
 ところで上のカットのテレビ画面だけど、なんで「ひょっこりひょうたん島」か、というと、この文を書いた人、このドラマの博士役(右上のメガネをかけた少年)の声優で元・参議院議員の中山千夏さんなのです。そういえば朝ドラの「ひよっこ」で、このテレビドラマがかかっていましたね。主題歌も流れていた。だんだん、まともに考えられる人がいなくなって、老人は無責任に年金生活を謳歌し、若者はひたすら評価を気にして物を言わなくなってきている。共謀罪法案も参議院を通過した。トップがトップだとドン・ガバチョのほうが偉く見えてくるね。(新聞一部閲覧)



(2017年6月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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