ブッククラブニュース
平成30年5月号(発達年齢ブッククラブ)

追悼 かこさとしさん

すばらしい世界をありがとうございました。
ゆめや

 つい、この間、「からすのぱんやさん」の続編を4冊出し、「どろぼうがっこう」の続編も2冊出して、お元気そのものだった加古里子さんが急逝されてしまいました。92歳! たしかに、ご高齢なのですが、まったく残念なことです。ゆめやがオープンした38年前、店頭のウインドウには「からすのぱんやさん」、「どろぼうがっこう」「むしばミュータンスのぼうけん」、「だるまちゃんとうさぎちゃん」などが平置きで飾られていました。当時でも、加古さんの絵は、ある意味古臭く、戦前の匂いすら感じるものでしたが、子どもたちには大人気で、よく売れました(ブッククラブを始めていなかったころです)・・・そして、ブッククラブの選書の中にもたくさんの作品が加え入れられていきました。
 個人的には上に挙げた順で好きなのですが、「ウチの子は『ミュータンス』や『だるまちゃん』」が大好き!」というお便りがかなり来ますから、40年経った今でも子どもたちの心をつかんで離さない何かがあるのでしょう。絵本は市場に出て20年経たないとすぐれた本かそうでないかの評価ができないと言われていますが、1970年代に描かれた加古さんの世界は、まだまだじゅうぶんにみなさんの支持を得ていると思います。親子二代にわたって加古氏の著作に親しんだ人も多く、多くの読者が悲しみの声をあげていることでしょう。

考え方・生き方

 どんな人でも必ず死にます。そういうことを考えるとますます「生き方が大切だなぁ!」とつくづく思うのです。かこさんは、科学者で技術者でした。原子力発電にもかかわったそうですが、人間の力ではコントロールがむずかしいということを雑誌で述べています。科学は暴走したら危険だということがじゅうぶんにわかっていた科学者なのでしょう。これは技術でもそうですね。見さかいなくダムをつくる、トンネルをつくる・・・必要なもので止めておけばいいのに、調子に乗ってどんどん作っていく。科学や技術が人間を非人間的にすることがわかっていた人でした。
 おそらく、それは「人間というもの」がわかっていた人だからでしょう。かこさんの経歴を見るとほんとうに日本の近代史に翻弄されながら、それでもなお巻き込まれずに自分のすばらしい世界をつくっていったことがわかります。戦争を体験して、いかに戦争が愚劣なものでるかがわかったのでしょうし、かこさんが入社した昭和電工といえば、いまから70年前にとんでもない疑獄事件を起こしたところです(これについては第三段落参照・ゆめやのHPは長すぎて読めないと言う人に最初の段落では大まかに、後の方ではじっくりと説明というわけです)。日本政府が転覆するかもしれないようなGHQや政界を巻き込んだ贈収賄事件ですが、そういう「すべて金目」という人間に大きな疑問を持っていました。そうした感覚がにじみ出ている作品が多いですよね。
 また彼は、終始一貫、子どもは遊ばないとロクな大人にならないことを繰り返し説いていました。科学絵本以外の本はほとんどが遊びで、エッセイや研究書にも遊びのことが書かれています。いかに人間にとって重要なものが遊びか・・・。かこさんは東大を出ています。戦後、東大を出た人で現在50歳代を筆頭に人格も人間性も何もない「すべて金目」の人が多くなっていますね。セクハラ、パワハラあたりまえ(先月号ニュース最後尾)、保証や退職金ほしさに嘘を言い、改竄する・・・責任は取らない、逃げ足だけは速い・・・そんな東大卒ばかりですが、かこさんが出たころの東大生は全人性を兼ねそろえていた人が多いのでしょう。世の中や人間を見る力が備わっていたということです。

からすのほんやさん

 先年、ある絵本専門誌から「好きな絵本を一冊紹介してくれ!」言われてかこさんの著作「からすのぱんやさん」の紹介文を書きました。衰えていく自営業を四人の子どもがアイディアを出し合って支えていく内容、お客さんたちの応援と交流、これはネット通販ではありえない人間的な「商い」だから「大切にしたい」というような内容でした。さすがはかこさんです。見通してます。
 この雑誌の絵本紹介は全国の児童書専門店の店主が次々に書いていくものでしたが、私が書いた翌月の号に何と「からすのほんや」という福岡県飯塚市の絵本専門店の方が紹介文を書いていたのです。
 このページを読んで、私は「きっと、この方も加古さんのファンで『からすのぱんやさん』を取り上げたかったんだろうなぁ。申し訳ないことをしてしまった。」と思い、おわびのお便りをしました。するとすぐに温かいお気持ちがあふれた返信が来て、何と名産のお菓子まで送られてきました。絵本を通して気持ちが通い合うというのが現代でも大切なものとして生きていると思います。「すべてが金目」「より安いものを買いたい」という世の中では、人が人に思いをかけ、つながっていくことはありません。加古さんの作品は人のことを思う気持ちがあふれていますから、作品が読者に「心を大切にする気持ち」を芽生えさせていくのでしょう。
 彼が工学博士であり、化学技術者であり、絵本作家であったということは、世界を現実的な目で見ながら、人間というのは現実を越える想像力で生きていくものだと教えてくれているような気がします。ほとんど絵本など知らずに絵本屋を始めた私が最初に出会った日本の絵本作家だったということはラッキーなことだったのかもしれません。
 親と子が、親と親が、子と子が、そして人と人が、殺伐とした金でつながるのではなく心で結びつきたいですね。

戦争を知っている人

 かこさんが亡くなって一週間後の5月8日付の朝日新聞の天声人語は、つぎのように書いています。
 「戦後まもない1948年春、時の芦田均内閣の瓦解につながった『昭電疑獄』が起きる。東大工学部を卒業し、昭和電工に入った新人、中島哲(かこさとしさんの本名)さんは迷いつつも社にとどまった。『社長が逮捕されましてね、給料の代わりに佃煮が支給されました』。大混乱の職場に残ったのは、学生時代からテーマを持って研鑽していた科学研究に没頭できたからだ。36歳で博士号を取る・・・」
 東京大学工学部出身の異色の絵本作家には、戦時中航空士官になることを目指したものの近視が進んでしまったため断念せざるを得なかったという体験もあったようです。
 かこさんは、戦争が終わると戦争に対する反省を行わずに戦後を生きようとする大人に対する憤りを消すことが出来きなかったようです。戦前から戦中にかけて行った発言や行動を忘却して、すべて金目で浮かれている日本人が面白くなく、どうやら子どもたちに期待をかけた感じがあります。そして、47歳で会社を辞め、児童書、とくに絵本作家の道に入ったというわけです。

大本営参謀の戦後版

 そして、2015年夏に安倍政権が安保法制を強行成立させたとき、中央公論の9月号にエッセイを寄稿し、この理屈に合わない法案を「別荘地でゴルフをしながら策定する要人は、誤った作戦で多くの兵士を犬死にさせたのに、自らは汲汲逃げまわった大本営の参謀の戦後版なのでしょうか」と批判しました。
 多数を頼んで横暴な反動政治を行う安倍政権について、「一度多数を占めたら、あとは全部任せてよろしいというありさまですが、それはまったく違うのだと思います」とも述べています。このへんのことが国民の多くはわからず、スポーツ選手や芸能人に取り囲まれて笑っている人はそんなに悪いことはしないだろうくらいしか感じていないのではないでしょうか。
 天声人語によれば、かこさんは4年前の自伝に「敗戦後70年近く経ったのに、的確な『戦争の絵本』『非戦の絵本』を描く見取り図が出来ていないのが恥ずかしいかぎり」と書いたということです。またひとり貴重な反戦作家を失いました。子どものことを考えている人はいつでも先の危機を想定します。、つまり未来のために現在を心配するのです。目先の利益にとらわれている戦後の大人たち・・・金目の親からは金目の子しか生まれません。戦後は心よりお金から始まったというさもしい日本。それを平気で「美しい国」と叫ぶ人たちには違和感だらけですが、まだ多くの人の支持を得ています。テレビとマンガ、ゲームとアニメで頭をやられた大人たちが、こういう危険な国へ子どもを連れて行こうとしているわけです。ディズニーランドやUSJなどにうつつを抜かしている親は子どものためでなく、金目のために生きているだけにすぎません。それでなくてはいい大人がミッキーだことのハリポタだことの、と、狂う異常さがあります。

反省できるひととできない人

 かこさんは1926年に福井県に生まれました。戦前・戦中・戦後を生き、若いころは「太平洋戦争」が影を落としていた世代でした。のほとんどがそうであったように、かこさんの人生にも戦争は大きな影響を与えたはずです。
 「結果として戦地に行かずに済んだのですが、それがずっと心にしっぽのように残っています。生き残って過去の償いをしなければいけない。それは己の判断が間違っていたからです。当時私は19歳だったんですが、その年以上の大人は全部戦争に責任があったはずです。後で反対してたなんて言う人ばかりでしたが、みな戦争に賛成し、負けたことにも責任がある。しかし、全然責任を取る姿勢がないから嫌でした。それで大人には飽き飽きして、責任のない僕より下の子供たちが、将来僕みたいな過ちをしないようにしなければならない。(中略)そのお手伝いをしたいと思いました」この言葉をいまの自民党の戦争好きに聞かせたいです。金儲けだけをしたい無知な人が戦争を招く。まさにいまの日本は「まったく美しくない国」状態です。若者は裕福だけを求めて自分の心を無にしており、人とは心をつながず、give and takeさえ行わないのです。これでは孤独になり、金がなくなったときに助けてくれる人もいなくなるでしょう。親は、やがて死んでいきます。

子どもを危険にさらす国は国ではない

 かこさんは研究者として働きながら、川崎のセツルメント活動(貧しい人の多く住む地域に居住しながら、その場所の住民に医療や教育などのサポートを行う社会事業)に参加して、川崎市の工場労働者の一家の子どもたちに紙芝居を演じる活動などを始めています。
 「家の光」(家の光協会)17年6月号のインタビューでは「この子たちに、それぞれの持っている感性を磨いて、どうか僕のように愚かでまちがった判断をしない賢い子になってほしい、自分で考えられる人になってほしいと痛切に感じました。そして、そのための応援団をぼくはやっていこうと心に決めたのです。大人のためにはもう働きたくない。これからは、子どものために働こう。それがぼくの希望になりました」と語っているが、セツルメント活動を通して自らの作品で子どもの教育を充実させることに生きがいを見出していき、47歳で会社を早期退職。専業作家として生きてきたのです。
 そして、多くの人に読み継がれる絵本を多数出版していくことになるのですが、過去の過ちを繰り返させないために本を描いてきた加古氏との思いとは裏腹に、この国は再び70年以上前の失敗をまたまた繰り返そうとしています。戦争体験のないバカやカルト神道の神懸かりが増え、儲かればなんでもいいという拝金主義者が多くなりました。
 この状況はかこさんに危機感を抱かせたのでしょう。安倍政権が安保法制を強行成立させた2015年の夏には、「中央公論」(中央公論新社)15年9月号に「よくぞここまで七○年」と題された前述の(大本営の戦後版)のエッセイを寄稿しました。『国民の生命財産を守る為に、国民の生命と武器をもってする不合理法案を、別荘地でゴルフをしながら策定する要人は、誤った作戦で多くの兵士を犬死にさせたのに、自らは汲汲逃げまわった大本営の参謀の戦後版なのでしょうか』と安倍政権を痛罵したのです。

 多数決をしたらあとはすべて従えというのは本来の民主主義じゃない!
 また加古氏は先述した『こどものとうひょうおとなのせんきょ』という絵本で、たくさんの子どもたちが遊ぶ広場を舞台に、本当の民主主義とは多数決ではないということを描いているのだが、「現代思想」(青土社)2017年9月臨時増刊号に掲載された哲学者の國分功一郎氏との対談でも、「民主主義」というシステムが誤解されつつある現状に警鐘を鳴らしているます。これはこのあとの夢新聞一部閲覧で書いてあります。
 「多数決を一度してしまえば、すべてを預けていいというのはいかがなものか。逆に賛意を表しないことや、多数とは違う意見のなかにも、汲み取るべきものがあるはずです。ですから、本来であれば民主主義は、多数決で選ばれたものが、少数の意見も汲み取って、いろいろな政策を決めていくということになろうかと思います。しかし実際に起こっているのは、一度多数を占めたら、あとは全部任せてよろしい、というありさまです。ぼくに言わせれば、それはまったく違うのだと思います」以下夢新聞一部閲覧。

子どもの投票・大人の選挙

 5月2日、絵本作家の加古里子さんがお亡くなりになった。じつは、ブッククラブの選書冊数では一番数が多い絵本作家で、ある意味、このブッククラブの根幹をなす考え方に一致した方である。つつしんで哀悼の意を表したいと思う。今年も最終学年で「人間」という本を1冊加え入れた。これもまた進化(発達)を経て、どういうふうに人類が進むべきかを暗示してくれる、ゆめやのブッククラブの考え方を表現している作品である。いろいろな考え方があるとは思うが、私は、読み聞かせは「読書するため」だと思っている。もちろん、「幼い子どもが楽しむため」とか「親と子の交流のため」とか読み聞かせの効果はいろいろある。そういうことについては何度も述べてきた。しかし、最終的には自分でまともな本が読めなくては意味がない。それは多くの知識を記憶することではなく、どういう人間になるかということが目的にある。考えてもみよう。最高学府の頂点を卒業した人間が欲をかき、嘘を言い、人を貶める。これは知識だけを答えとしてきた学校教育の結果でもある。まともな本を読めなかった人間がまともな考えを持てるわけがない。
 日本は識字率が高い国だから、字は誰もが読めるのだが、本が読めない。「こんなにたくさんの本が出ているのに本が読めないなんて!」と思う人もいるだろうが、ちゃんとした本が読まれてはいないのも現実だ。この理由も何度も述べてきた。すぐれた本は子どものころ読んで、また成人して読むと読み取れなかった内容がだんだんわかるようになる。「そういうことだったのか!」と思うようになる。
 「海底二万里」を読んだとき私は、その深い意味がわからなかった。「トムソーヤの冒険」も「三銃士」も「杜子春」もおもしろかっただけで、作者が言いたいことがわからなかった。だが、いま読み返すと「そうだったのか!」とわかる。
 これは、絵本でも起きる。「からすのぱんやさん」を描いた加古里子さんが、民主主義について子どもたちに伝えるために書いた絵本がある。「数が多い方が勝ちではなく、いい考えをみんなで大切にするのが民主主義」。タイトルが「こどものとうひょう おとなのせんきょ」という本。当時は、店頭に置いてもまったく売れなかったが、これは子どもというより老人や若者に読ませた方がいい本である。

プラスとマイナス

 児童館の前の広場の使い方をめぐって子どもたちの意見が割れ、投票を通じて解決をめざす物語。多数決で決めるとケンカが起き、子どもたちは話し合いで譲り合う方法を考える。そのなかで、こんな言葉が語られる(原文はオールひらがな)。
 「民主主義は、良いことをみんなで決めるんだよな。数が多いほうが正しいのではなく、たとえ、一人でも良い考えなら、みんなで大事にするのが、民主主義だろ」・・・子どもの遊び場が狭くなっているのに、大人の「遊び場」がどんどん増えていくことに子どもたちが疑問を持つ。「大人だけの選挙で、数が多くなったものが勝手なことをしているためだ(原文のまま)」現在、この絵本の内容を考えると、何と30年を経て「日本の今そのまんま」である。  絵本に込めた思いを、かこさとしさんは、こう述べた。
 「制度には、プラスとマイナスがある。民主主義は、単に数が多い方が勝ちだというだけではなく、一人一人が社会をどんな風にしたいかを日頃から考え、票にこめて投票することが大切だ。考えが深い1票も、浅い1票も同じように扱われる恐ろしさをかみしめて、それなりに努力しないと、制度の欠陥だけが出てくることになります。この本は、そういうことを子どもにわかってもらいたいと思って書きました。」 人間の世界で「八方良し」などということができるわけがない。どうしたら支障が出ないように調整していくかだけである。
 私は30年前に少年文学をいくつも読んだがピンとこなかった。すぐれた本は再び読んだときに「理解」を届けてくれるものである。そのためには大人も頭を発達させなくてはいけない。

子どもの本と平和

 むずかしいテーマを子どもはわからないかもしれないが、いつか再び読めばもっとわかる。試験問題に答えられても、それは答えが用意されているものだから答えを暗記すればいい。やはり、頭を良くするにはすぐれた本をたくさん読んで「考える必要がある」と思う。そして、それは読み聞かせから始まったのだ。
 しかし、戦後生まれの欲をかく政治家が民主主義を踏みにじってきた。最近では、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪など、安倍政権のもとで何度も繰り返されてきたことである。加古氏は対談で「深入りして整理がつかなくなることを恐れて、多数決で何でも処理してしまえという話になっている。(中略)このままでは間違った方向に進んでしまいそうです。それがとても気がかりです」とも語っているが、実際、現在の日本はこの考え方のもとで、強い者がどこまでも強くなり、弱者が守られるどころか虐げられる社会になっているのではないだろうか。
 多数派に属する者たちが「選挙で選ばれたのは俺たちだから議論なんて時間の無駄。お前らは黙って言うことを聞け。それが嫌なら次の選挙でひっくり返してみろ」と主張する社会。それは「民主主義社会」とは呼べない。金に釣られて命を落とさないように注意するべきだが金は人を盲目にする。

 野坂昭如、大橋巨泉、愛川欽也、菅原文太、金子兜太,そして加古里子・・・強く平和を訴えてきた世代が次々と亡くなっていく。私たちは加古さんたちが残してくれた警鐘を無にしてはならないし、子どもたちのためにも引き継いでいかなければいけないと思う。(新聞5月号一部閲覧)



(2018年5月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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