ブロッター

ブログとツイッターを混ぜて、さらに異論、反論、オブジェクションで固めたものです。で、ブロッターというわけです。毎日書く暇も能力もないので、不定期のコメントです。

2023/春 comment
ブロッター1  親はいつも子どものことを心配する。普通の子ならともかく普通でない子はとくに心配だ。思い込んだらどんどんやってしまう子はさらに心配だ。映画「男はつらいよ」の寅さんは観客には人気者だが、こんな子が家族にいたら親も兄弟も心配でしかたがない。他人なら無視なのだが、家族や親はなんとかせねばとなる。
 宮澤賢治はいまでは天才小説家・童話作家で通っているが、死ぬまで世間の日の目を見ず、日蓮宗の狂信者になるわ、国柱会に入ってファナティックな活動をするわで、親にも家族にも困り者の存在だったと思う。しかも、家は保守的な風土・岩手の裕福な質屋である。親たちはまったく困ったと思う。
 この作品は、宮沢賢治を天才としてではなく「困り者」という視点から見て、それをなんとかしようとする親の努力と愛情を描いている。子育てするときは、天才であるか、大作家になるかなどは到底わからない中で、この困り者を何とかするために大変な力を注ぐのだ。父とはつらいものである。いや母も弟も妹もそれは同じだが、ここでは父が涙ぐましい力を費やす。
 成島出監督によって映画にもなったが、父を演じる役所広司と賢治を演じる菅田将暉の熱演が光った。死にゆく賢治に「雨ニモマケズ」を全文語りかける場面には涙を禁じえない。親とはなんとつらい存在で、哀しいものであることか。
ブロッター2  明治から昭和まで生きた才女のエッセイ。それにしても、こういうファミリーストーリーを持つ女性が近代日本に多くいたということが戦後生まれの私にはおどろきだった。私の父と同じ時期に生まれて亡くなったのも同じころだが、庶民と上流階級ではこうも生活や人脈がちがうかと驚かされた。
 だいたい子どものころから外国に留学でき、見識が広められれば人間の質もちがってくるだろう。ある意味、勝ち組・薩摩の血を引き、父親が幾多の政府要人との交流があればお育ちも当然ちがう。
 白洲次郎の伴侶ともなった女丈夫だから、ただのお嬢さんではない。才能にすぐれ、審美眼もかなりなもの。書画骨董から仏像・庭園なんでも見る対象にできるというのはもともとの能力なのか、それとも家柄がはぐくんだものか・・・読んだ感じでは、あの太平洋戦争も平気で乗り越え、さして苦難も悲しみもなく、なにごともなかったかのように事物や世間を見ている根性には敬服するしかない。
 タイトルの「金平糖の味」がまさか父親の形容とは思わなかったが、なるほど甘いのに角がツンツンでているのは父の表現にぴったりだ。法隆寺の救世観音を見て感涙にむせぶ女性が、父の死に際して一晩中踊り狂う・・・並みの女性でないことだけはまちがいない。
ブロッター3  度肝を抜かれた谷川俊太郎の詩「ぼく」(岩崎書店刊・既出)。その「ぼく」は、なんと死んだ「ぼく」だった・・・・霊が主人公で詩を語る。少年の自死を詩としてとらえたその感性と時代性に脱帽しないわけにはいかない。もちろん、この本は売れない!。 現代のマイナーな子どもの心を見据えたもので、教育者たちからはそっぽを向かれることは間違いないからだ。教師たちはどこまでいっても夢と希望で追い立てて、きちんと少年の心に向き合わないから、いつまでたっても問題が解決せず、子どもの心に陰りがさす。詩人はそこが違う。
 今回の「ぼくとがっこう」(アリス館刊)は「ぼく」が出会う学校で、母の胎内からしだいに離れて成長していく「ぼく」が描かれる。
 外界はいろいろなことがある。嫌なことも楽しいことも体験しながら卒業までが描かれるが、この過程もわかりやすい言葉が使われている。入学から卒業。これは、じつは人間の一生でもあるかもしれない。短い言葉を繰り出しながら、さらりと生きることを描き出す・・・まったく谷川俊太郎はすごいと思う。むずかしいことを書かない。わけのわからない言葉で詩人気取りをしない。子どもでもわかる平明な言葉で世界を描き出せる第一人者と私は思い続けている。
   

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