ブロッター

ブログとツイッターを混ぜて、さらに異論、反論、オブジェクションで固めたものです。で、ブロッターというわけです。毎日書く暇も能力もないので、不定期のコメントです。

2023/冬 comment
ブロッター1  中谷宇吉郎といえば、「北越雪譜」が有名だ。宮尾登美子の「蔵」で主人公の少女・烈が教科書にした本、その著者の随筆のような著作がこれ。物理学者である彼の視線が細かく自然現象や世の中の動きを冷静にとらえているのに驚きながら読んだ。なぜなら、彼がこの文章を書いているときの多くが戦中だからである。テニアンの悲劇、サイパン玉砕などの時期に、そんなことは斟酌せず、雪の結晶や火山の動きを見ている目が、まさに学者なのだ。
 この旺盛な科学への知識欲はさまざまな分野へ縦横無尽に広がる。南米の海岸に六本足の腐乱死体が漂着した未知な動物、コンティキ号の著者が筏で遭遇した一億年前の魚・・・ここでは、コナンドイルの「失われた世界」までが引用され、古生物の現存の可能性について私見を述べている。しかも、その古代魚の発見を「ネイチャー」が報じたのは、日本が中国・漢口を陥落させたときで、浮かれた日本人の多くはそのような発見には関心も示さなかった。つまりは、この雪の学者は、ただの雪の結晶を発見した学者ではなく、高い教養と鋭い視点を持った当時としては稀な日本人だったのである。
 薄汚れた五輪に狂喜し、サッカーW杯に釘付けになって、裏で行われている軍拡や反知性の横行、法律を無視する勢いの力に、どのくらいの学者が目を注いでいるだろうか。この国はいつまでたっても明治の御代なのである。
ブロッター2  森まゆみさんといえば谷中・根岸・千駄木の『谷根千』で有名な方だが、個人的にはこの方の考えに大いに共感するところがある。それは、子どもの頃に日暮里附近をよく歩き、大学時代には上野から谷中・根岸・千駄木をうろつき回ったことが大きな思い出になっているからだ。
 森さんの価値観は、「最後の江戸人」ともいえるような美しさがある。敗戦後に両親、祖父母、親戚のおとなたち、ご近所の人たちからかけられたさまざまな言葉、庶民の考え方・生き方がすっきりとこの本で述べられているのに共感できる。バブルを境に、東京は、この価値観を失った。その意味では中曽根康弘のバブル政策は反日・売国と言ってもおかしくない価値の変換だったと思える。今日のように銭金物で動く東京ではなく、人情と思いやりとさっぱりした生活で生きるかつての東京との大きな違い・・・かすかにまだ谷根千にはそんな町並みと人が残っているが消えてしまうのも時間の問題だろう。
 あの『谷根千』というユニークな地域誌を二十五年間にもわたって持続させた女性の、おだやかな昭和の書き残しは、深く納得できる。この考え方が取りもどせれば、この国はましな国になるが、現行の政治は真逆に動いている。
ブロッター3  斉藤洋さんというのはどういう人なのだろう。以前から不思議に思っていた作家だ。白狐魔記シリーズがおもしろくて読み始めたが、とにかく筆が遅いので、続刊を待つのにイライラする(笑)。無理に待たせているのではないかと思ったりする。面白版日本通史のような本だが、読ませる魅力を持つ本だった。それ以前に有名なのは猫のルドルフシリーズ、新しい本・甲府市版が出たのは一巻目から数えて40年目である。その間にも、真面目な児童書から受け狙い本までジャンルを問わず、猛烈な勢いで書いている。いろろ気が散るから、シリーズを書く筆が遅いのかも。だが、筆運びは、かんたんにいえば軽妙洒脱・・・過去現在未来、洋の東西を股にかけて何でも書く。児童書ディレッタントとでもいうべき人だ。かと思うと、じつは大学の経営学教授なんて肩書まである。
 で、最近作・三部の中の一つがこれ。他に「サブキャラたちのグリム童話」。「もうひとつのアンデルセン童話」がある。主人公をさておいて、脇役を主人公とする解説のような面白話が満載である。この方はドイツ文学者でもあるが、堅苦しいドイツ文学の臭いなど一切発散しない、愉快で楽しい物語が多い。現代の児童書業界では稀有で多才な作家だといえる。
   

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